松本人志氏や伊東純也氏の疑惑追及や暴露報道そのものへの議論の白熱で、慌ただしく年明けの日々が過ぎるなか、いつの間にか『週刊新潮』に「岩田明子の貴方にスポットライト」というインタビュー・コーナーが設けられていた。『週刊文春』で言えば、「阿川佐和子のこの人に会いたい」、休刊した『週刊朝日』でも「マリコ(林真理子氏)の言わせてゴメン!」という長寿コーナーが思い出されるが、著名な文化人をホスト役に「時の人」を招く対談は、多くの週刊誌で看板ページの役割を担ってきた。とくにその代表格・文春の阿川氏の対談は今週で実に1480回もの回数を重ねている。


 新潮の岩田氏のコーナーは今週で8回目。まだ産声を上げたばかりであり、評価を下すには早すぎるかもしれないが、手元のバックナンバーで確認してみると、どの号でも正直、目立つ印象はない。たとえば今週号のゲストは元財務省職員で国際弁護士という肩書も持つテレビ・コメンテーターの山口真由氏。ホスト役の岩田氏とはともに東大の同窓だが、「東大法学部卒女子のロールモデルを探して」という記事見出しのフレーズは、どう見ても読者の興味をそそるとは思えない。超ハイスペックな学歴をもつ女性同士、男性エリートとはまた異なる苦労があるのだと意気投合してみせても、新潮読者の大多数を占める平凡なオッサン連中には共感のしようがない。有名人ゲストを呼ぶ対談の醍醐味は「こんなことまで聞いてしまうのか」という踏み込んだ質問だが、岩田氏の会話にそうした「ハラハラ感」はなく、ごくあっさりとやり取りは進んでゆく。


 岩田氏と言えば、安倍晋三元首相の生前、その懐に「最も食い込んだ記者」とされていた元NHK政治部記者。彼女だけにその責を帰するのは酷なのかもしれないが、彼女がエース記者だった時期、NHKニュースは自民党ベッタリの忖度報道に大きく舵を切っている。たとえば国会の質疑では、野党側の質問はアナウンサーが極端に短く要約し、答弁部分だけを長々録画で紹介して「~と政府は野党の指摘を否定した」とまとめるスタイルが定着した。岩田氏本人も、北方領土交渉で現実とはかけ離れたポジティブな展開を予想してみたり、『産経新聞』的な「歴史戦」なるキーワードをNHK報道に持ち込んだり、露骨なほど「安倍氏寄り」の報道姿勢を見せたものだった。


 ただ意外だったのは、フリー記者となり民報番組で見せるようになった彼女の「素顔」である。そこにはNHK時代、想像されていた櫻井よしこ氏ばりのイデオロギー性はなく、むしろ夜討ち朝駆けでただひたすら役所や政治家から「ネタ」をもらおうとする無思想・無批判の「密着型」だったことがうかがえる。似たタイプの「特ダネ追求派」は左派・リベラル系の媒体にもまま見られ、先週号の対談ゲストだった安藤優子氏もそのひとりと言えるだろう。ニュースの選択や切り口にこれといった見識はなく、「とにかく他社を出し抜いて目立つ記事を書きたい」と闘争心を燃やすタイプである。


 ここで疑問に思えるのは、そんな岩田明子氏を『週刊新潮』が看板対談のホスト役に起用するメリットだ。毎号巻末に櫻井よしこ氏の大長寿コラムを載せる右派雑誌新潮として、固定読者であるオジサン連中に喜んでもらえるのは、むしろ櫻井氏の後継者たり得る「右派論客」の岩田氏ではなかったか。阿川佐和子氏や林真理子氏の強みは「そこそこの教養」と「適度な下世話さ」で、ゲストの本音を引き出す力量と庶民性だが、そのいずれをも欠く受験秀才的な岩田氏に「集客力」を求めるなら、やはり振り切った「イデオロギー性」を押し出す以外にない。個人的な好みは別として、ビジネス的に考えれば、どうしてもそう思える。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。