抗がん剤「エンハーツ」の伸長などにより、第一三共の業績は右肩上がり。2024年3月期は大幅増収増益、1兆5800億円の売上高で、2000億円の営業利益を見込む。


 企業の業績はトップのかじ取りに大きく左右されるが、製薬会社の場合、ひとつ前の世代のトップの影響が非常に大きい。薬の研究・開発にかかる時間は10年単位。成果を享受できる頃には通常トップが変わっているからだ。


 その意味では、第一三共の好調は『新薬に出会うまで』の著者、中山譲治氏が社長・会長時代にまいた種の果実と言っても過言ではない。


『新薬に出会うまで』は日本経済新聞の「私の履歴書」をまとめたものだが、中山氏のキャリアは一般的な製薬業界の社長とは異なる。政治家一家に生まれ、就職前に米国のビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得するなど、育ちは御曹司感たっぷり。披露宴に勤めていたサントリーの佐治敬三社長(当時)が出席したり、二度にわたって休職して政務秘書官を務めるなど、働き始めてからも一般社員とは異質だった。


 当時の上司は扱いに困ったに違いないが、ただの「ぼんぼん」ではなかった。サントリーの不振事業だった医薬事業が、立て直しから旧第一製薬への売却へと向かうなかで頭角を現し、製薬業界の人となっていく。


■予期せぬ社長就任と方向転換


〈自分が選んだというよりも自分の置かれた場所で生きてきた〉という著者は、ほどなくして〈わらしべ長者〉さながらの大出世を遂げる。


 第一三共は三共と第一製薬とが2005年に経営統合して誕生したが、〈第一出身でも三共出身でもない、第一三共では取締役にもなっていなかったので、まさか社長になるなんて思いもしない〉、サントリー出身の著者が社長に就任するのである。


 本書には書かれていないが、異例の社長就任の背景については、当時さまざまな憶測が飛び交った。印ランバクシーの買収をめぐる混乱のなかで、「三共と第一製薬、どちらの色もついていない著者なら丸く収まるだろう」というのが、多くの外野の見方だった。それだけ、当時の第一三共はひとつの会社としての融合が進んでいなかった。


 著者が社長に就任した2010年は「最悪」といってもいいタイミングだった。クラビット、オルメサルタンといった主力薬の特許切れが迫っていた。ランバクシーをめぐっては、承認の際のデータ捏造など、その後も悪いニュースが続いた。


 ランバクシーは紆余曲折ののち、印サン・ファーマシューティカル・インダストリーズへの売却が決まった。買収時に掲げた「複眼経営」に終止符を打ったのである。


 ここで終われば、財務型の経営者による事業整理だが、時を同じくして第一三共は大きく方向転換する。がん領域および抗体医薬(抗体薬物複合体:ADC)への本格参入である。


 だが、〈手元にグローバルながんの製品や注目される開発品はなく、がん領域への方向転換を聞いて社外アナリストだけでなく社内でも「エーッ」と思った方が多かっただろう〉と著者が振り返るように、徒手空拳感が強かった。


 抗体分野もしかり。バイオ医薬品が新薬開発の中心になっていたが、第一三共はどちらかと言えば乗り遅れているイメージがあった。


 しかし、抗がん剤「エンハーツ」は主力製品に成長、ADC関連でも、米メルクと大型契約を結ぶなど、〈方向転換〉は着実に成果を上げた。さらなる成長も期待できることが、株価がどん底だった2012年頃から10倍超にまで上昇した要因だろう。


 もう少し読みたかったのが、社長就任の経緯や、ランバクシー問題の収束までの裏側だ。社内外でもっと激しいやりとりやドロドロの攻防があったと推察されるのだが、まだ少々生々しいのかもしれない。将来の続編に期待したい。(鎌)


<書籍データ>

新薬に出会うまで

中山譲治著(日経BP日本経済新聞出版2090円)