3月10日(日)~3月24日(日) 大阪府立体育館(画像は「NHKスポーツオンライン 大相撲『おすすめ動画』」など)
<兄弟子の横綱照ノ富士に祝福される>
東前頭17枚目と文字どおり幕尻の尊富士が110年ぶりの新入幕初優勝を飾った。14日目の取り組みで右足を負傷して出番が危ぶまれたが、強行出場。怪我を感じさせない出足を見せて賜杯をつかんだ。1横綱4大関で臨んだ春場所は今年も荒れに荒れた。
スピード出世の2人が牽引
今場所は、先場所初入幕の大の里(前頭5枚目)と、初入幕の尊富士が15日間を通して引っ張った。尊富士は相手の懐に潜ると間髪入れず下から脇をしめて寄り切るのが勝利のパターン。鳥取城北高、日大と強豪でもまれただけに、相撲巧者だ。大の里も同様に学生エリートだが、恵まれた身体(192㎝・183㎏)を生かして前に出る相撲を心掛け、多少不利な体勢からでも押し切る馬力が魅力だ。ただ番付上位の相手になると、猛進するだけでは通用しない。
<12日目/琴ノ若―大の里>
12日目、新大関の琴ノ若戦。立ち合いに鋭さがなく、右腕を手繰られて体を崩したが、構わず前に出て小手投げを食らった。番付の違いを見せつけられたが、四つでも取れるだけに踏み込んでも押せない場合にどう対応するかが今後の課題だ。しかし、この日まで9勝2敗と優勝争いに残り、翌日から2連勝して2場所連続の11勝は立派の一語に尽きる。インタビューの受け答えも誠実で好感が持てる。態度物腰に大器の予感がする楽しみな新鋭だ。
幕内を見渡すと、大の里に引けを取らない大型力士が増えてきた。王鵬(24歳、前頭3枚目、191㎝・176㎏)、豪の山(25歳、前頭6枚目、178㎝・158㎏)、湘南乃海(25歳、前頭12枚目、194㎝・187㎏)の3人は、大の里とともに1~2年後には大関獲りで競っているはずだ。
不甲斐なかった上位陣
若手の活躍は、上位陣の不振と表裏一体である。照ノ富士は優勝した次の場所で休場できずに苦労した。2場所続けて15日間を乗り切る体調になく、途中休場は止むを得ない。新大関の琴ノ若は14日目、カド番で後がない貴景勝に星を譲ったような取り口でガッカリさせたが、大関の義務である2桁に乗せて何とか面目を保った。
霧島は先場所、綱取りに失敗はしたものの11勝と実力が安定し始めたかに思われたが、初日の小結・阿炎に引き落としを食らい、一気に調子を下げてしまった。この1戦で思い切った立ち合いができなくなったのか、以後もズルズルと後退して5勝10敗と屈辱の場所になった。千秋楽後の報道によれば、首を痛めていたという。最後に琴ノ若を退けて意地を見せたが、師匠が定年で閉鎖する陸奥部屋の最後の花道を飾るために完走したとすれば、ケチは付けられない。来場所からは、モンゴルの先輩と慕う元横綱鶴竜の部屋に移籍する。巻き返しを期待したい。
<初日/霧島―阿炎>
卑怯者が見せた失望の2番
豊昇龍の卑劣ぶりには呆れるほかない。10日目、前日に小兵の翠富士(前頭5枚目)に肩透かしであっけなく敗れた。こういうとき、この大関は直ぐに星を戻すために立ち合いが変化する。正攻法の関脇・若元春には対戦成績で分がいいにもかかわらず、右に変化した。支度部屋に戻る際に館内から声が上がったのか、振り返ってひと睨み。審判部のある親方は「何だ、アレは、という声が聞こえた」と話した。
<10日目/豊昇龍―若元春>
14日目の琴ノ若戦は、目の前で1敗の尊富士が負けて優勝争いに色気が出た。ここも変化する匂いがプンプンした。案の定、立ち合いは右への変化。しかし、落ち着いてまわしを取った琴ノ若には通用せず、無様に土俵に転がって後味の悪さが残った。阿炎と豊昇龍は、星勘定が悪くなると安直な戦法で黒星を帳消しにしたがる。立ち合いの変化は、小兵力士が番付上位か巨漢力士に対してのみ許されるべきもので、三役力士ましてや大関のやることではない。この大関は今後も同じようなことをする。悪名高かった叔父の朝青龍は、取り口は決して綺麗ではなかったが、逃げるような相撲は少なかった。
北青鵬が角界追放、親方にも厳罰
2月下旬、3月場所まであと1ヵ月に迫るこの時期に残念なニュースが飛びこんできた。1月の初場所で6日目から休場した北青鵬(22歳・前頭8枚目)が引退した。弟弟子に対する日常的な暴力行為を重く見た相撲協会が引退勧告を出し、本人は勧告を待たずに引退届を提出。宮城野親方(元横綱白鵬)も委員から年寄への2階級降格と3ヵ月の20%報酬減額を食らった。
札付きの問題児、クビは妥当
角界の悪習である「いじめ」だけなら風土の問題にも受け取れるが、殺虫剤に火をつけて暴行したり、それを見て喜ぶさまは常軌を逸している。さらに後輩の現金を抜き取ったばかりか、財布に接着剤を付けるという悪辣非道な振る舞いは即時解雇に値する。こうした悪行を1年以上重ねてきたことは、管理監督すべき立場にある親方が放置してきたと言われても仕方なく、その責任は当然免れない。
北青鵬は昨年の3月場所が新入幕だから、今年の初場所が6場所目。ちょうど1年で角界から身を引くことになった。2メートルを超す長身で、時間をかけながら相手が疲れたところを見計らって頭越しにまわしを取りに行って釣り上げる。何の芸もない力任せの相撲である。最初は物珍しさから館内も沸いたが、取り口を覚えられて淡泊になり、巨漢を持て余して小兵力士に転がされることもあった。北青鵬の取り組みでテレビ解説をしていた宮城野親方が「こんな相撲では上には行けません」と突き放していたが、その辛口は北青鵬の日常生活には届いていなかった。
北青鵬事件の2週間前、都内のホテルで断髪式を挙行した逸ノ城は、親方のおかみさんに暴行まがいの行為に及んだとかで出場停止を食らったことがある。年寄株を巡って親方との間に軋轢が生じ、高じて十両優勝直後に突如引退した。モンゴル力士がどうだ、と言うつもりはない。しかし、こうたび重なると「揃いも揃って」と思いたくなる。暴力行為は貴乃花部屋の一件もあったから、モンゴル力士特有のことではない。しかし、彼らのほとんどが人の倍以上の努力をして功成り名を遂げているだけに、土俵以外のところで人格形成ができなかったのかと思えてならない。
宮城野部屋は伊勢ケ浜一門が運営を預かることになり、一時的に閉鎖される。かつて起きた同様の事件のように、数年後に部屋は再興されるだろう。角界もそろそろ、「塀の中の懲りない面々」から脱皮しないと、愛想を尽かされる。(三)。