昨年10月と今年2月、NHKスペシャルが『冤罪の深層』『続・冤罪の深層』で大川原化工機へのひどい「濡れ衣捜査」を暴いたが、こうした「スパイ対策」の内実を知るにつれ、政府がいま前のめりの「経済安全保障」に関しても、もやもやした疑念が湧いてしまう。もちろん、広義の経済安全保障ということでは、今回のウクライナ戦争で世界が痛感したように、非常時に戦略的物資の流通から紛争国を切り離せる可変的な多国間貿易システムの構築が必要に思えるが、国内での議論はそういった大局的なものではない。その主眼はあくまでも「内なる敵国内通者」の炙り出しに思えてしまうのだ。


 わかりやすい例を挙げるなら、香港での国家安全維持法や愛国主義教育法、ロシアでの「外国の代理人」指定の簡易化といった措置が思い浮かぶ。これらは本当に自国の安全を高める措置なのか、それとも統治者が異論を吐く国民を排除する道具にすぎないのか。習近平もプーチンも、答えは前者だと言い張るに違いないが、第三者にはそうは思えない。前記NHK番組によれば、大川原化工機の冤罪は、右翼的思想を持つ公安警察の幹部が功を焦りつくり出したものだったようだが、この手の取り締まりは、簡単に「反体制派を叩く道具」に堕しやすい。国家機密に厳格な米国の場合は、一方で徹底した公文書の保管と公開ルールがあり、そのおかげで国家の犯罪的行為がしばしば後年暴かれる。公文書の破棄や改竄が日常茶飯事の我が国とは、その点がだいぶ違う。


 今週の『週刊文春』は「日韓総力取材 巨弾キャンペーン」の初回として、「日本人9千万人の個人情報が中国、韓国に… LINEヤフーの暗部」という記事を載せた。計8ページもの大特集である。日本最大のコミュニケーション・インフラLINEのデータが、運営会社「LINEヤフー」ばかりでなく韓国企業の親会社「NAVER」においても閲覧でき、3年前、このことが『朝日新聞』に報じられ、「データの国内化」を約束した後も実態はそのまま。それどころかLINEデータを扱う子会社には中国にあるNAVERの子会社も存在する、という内実を報じている。


 確かに顧客情報の管理という観点から改善されるべき問題とは思うが、正直、「国外とくに中国政府にデータを悪用されかねない」という、現時点ではまだ「懸念」に留まる問題をここまで大々的に報じるニュース判断が正直ピンと来ない。ウィキリークスでかつて暴かれた米国CIAによる同盟国政府や企業へのハッキングがその後どうなったか、あやふやなままであることと比べても、危機意識の優先順位がわかりにくいのだ。日本にとって最大の脅威になっている中国への警戒はもちろん必要だが、一応は西側友好国の韓国に対してもここまで危険視する理由は、戦後処理問題をめぐり国内保守勢力に反感が根強くある「アンチ層の多さ」を当て込んだ煽り記事にも見えてしまう。


 今週の『サンデー毎日』では、作家の高村薫氏がコラム連載「サンデー時評」で、ジャーナリストの青木理氏が「抵抗の拠点から」で、それぞれに政府の経済安全保障政策の危うさを論じている。高村氏は、経済安全保障に「重大な支障を与えるもの」を特定秘密保護法の規制対象として指定する新法案の「あいまいな線引き」を批判する。大川原化工機事件を直接取材・報道した青木氏は「本質が政治警察である公安警察は、政治の意向に阿ってしばしば事件を『作る』」とまで言い切って、警鐘を鳴らしている。中国やロシアのような「反面教師」を間近に見る我々は、香港からカナダに亡命した周庭さん、あるいはロシアの牢獄で不審死を遂げたナワリヌイ氏の例などを思い起こし、「外国との内通者」というレッテル張りの持つ意味を、もう少し冷静に考えるべきだろう。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。