『週刊文春』GW特大号(合併号)は、計21ページの超特大企画として「いまからでも間に合う大河ドラマ『光る君へ』特製ガイド 月のみちるころに」という平安時代特集を掲載した。『光る君へ』は主人公・紫式部(吉高由里子)をのちの摂政・藤原道長(柄本佑)の「初恋の人=ソウルメイト」という位置づけに設定した宮中の恋と権力闘争の物語だ。脚本家・大石静作のオリジナルストーリーである。


「歴史好き」を自認する日本人の大半は、実のところ歴史そのものより歴史小説の愛好者に過ぎず、それなりに知識のある時代は小説やドラマ、映画で扱われる戦国時代と幕末に限られる。私自身、そんなひとりであり、平安時代と言われても、わかるのは教科書にあった太文字の歴史用語くらい。紫式部は『源氏物語』の作者であり、藤原道長は摂関政治で権勢をふるった藤原氏の代表的貴族。それだけだ。


 だから『光る君へ』を毎週、面白く見てはいるものの、「歴史モノ」としての評価は正直下しようがない。文春記事のなかで作家・林真理子氏が「『光る君へ』を大絶賛するのはほとんどが女性で、男性の方はあまりコメントがない」と書いているが、そうであろう。自分の貧弱な知識では何の蘊蓄も絞り出せない時代なのだ。同じ特集で歴史学者の倉本一宏氏は、平安貴族には「恋と遊興ばかり」というイメージが付きまとうと言っているが、この点も男性に食指が動きにくい理由だろう。


 大河では過去一度だけ、平安中期を舞台にした『風と雲と虹と』(76年)という作品が制作されているが、こちらは平将門と藤原純友による朝廷への反乱劇。同じ平安でも男性受けしそうな激動の物語だ。それでも、この特集記事で作家・永井紗耶子氏は「平安時代のおもしろさは政治的な権力闘争にある」と指摘する。今回の大河はそれをうまく描くことにより、宮中の静かな物語でありながら「意外と男性も観ているように感じます」と、林氏とは違った見方を示している。


 確かに、私自身、今回引き込まれたのは、その巧みなストーリー展開のせいだった。例えば、主人公・まひろ(紫式部)の少女期の出来事として、母親との外出中、騎乗する上級貴族の進路に飛び出してしまうアクシデントがある。すると、激怒した貴族はまひろの目の前で母親を斬殺してしまう。しかも時を経て、この残忍な貴族が実は、恋する道長の兄、道兼であったことがわかる……。紫式部のドラマと聞き、「まったりとした展開」を予想していたが、いきなりそんなミステリーじみた仕立てになっていた。


 NHKでは、目下放送中の朝ドラ、女性法律家の草分けをモデルにした『虎に翼』も出来がいい。昭和初期、初めて女性に門戸が開かれた大学法学部の学生として、主人公・猪爪寅子が男尊女卑の世に立ち向かってゆく。そう言えば、昨年にBSや総合で放送した『大奥』もインパクトが強かった。江戸時代、男性だけにかかる疫病が蔓延した設定で、歴代将軍の多くは女性、大奥で子作りに尽くしたのは男性だったという話にした。そんな荒唐無稽さにもかかわらず、大河ドラマ顔負けの重厚さでドラマ化に成功、史実とフィクションが見事に溶け合って、社会的な男女の役割差の不条理を考えさせる作品が誕生した。


 思えば過去半世紀余り、自分の生きた時代を振り返ると、なかなか改善の見られない社会問題が多いなか、ジェンダーをめぐる価値感に限っては、間違いなく大きく変化した。本欄で少し前に取り上げた民放ドラマ『不適切にもほどがある!』も「マッチョな男社会」からの移ろいがテーマだった。もちろん、国際的なジェンダーギャップ指数では、まだまだ下位にいる日本だが、以前なら企画として成立しなかったであろうこうしたエンタメ作品を、我々シニアの男性視聴者も面白がる程度には、日本も変わってきたように思う。


………………………………………………………………

三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。