『健康の分かれ道』は作家で医師の久坂部羊氏が記す〈健康と上手に付き合っていく方法〉だ。著者は健診センターに勤務するだけに、その内情に詳しい。


 前回紹介した『健診結果の読み方』でも触れたが、健診の数値基準について疑問視する声は多い。


 血圧やコレステロール値が代表格だが、さまざまな基準値は厳しくなる傾向にある。〈基準値がゆるくなることは滅多にありません。厳しくしたほうが、医療者、健診業界、製薬会社にとって好ましいから〉。治療するのが医師の仕事だが、患者がいなくては、ビジネスとして成り立たない。医療は矛盾を内包する業界である。


 ゆるい基準なら問題なしと判定される人も、厳しい基準では病人になる。一方で、患者の側も厳しい基準に疑問を持たないケースも多い。むしろ、〈専門的な情報や説明で納得させられ、ときには感謝さえする始末〉である。


 巨大な健診ビジネスと健診好きな国民、ある意味、両者が共存共栄している国なのだろう。著者は血圧やコレステロール値などで、若者と高齢者が一律の基準で評価される点を疑問視する。当然ながら高齢者は異常と判断されやすくなる。年齢を考えれば問題がないにもかかわらず、数値上「異常」と判定されて〈服薬や食事療法や運動療法で涙ぐましい努力をする人もいます〉という。


 本書で、健診や人間ドックのちょっとした謎も解けた。


 医師の診察で、聴診があったりなかったり、診察を受ける医師によって違っていたのだが、基本的に聴診は〈胸部X線撮影や心エコーがあるのだから、聴診のような無駄なことは早くやめられたらいい〉類いのものだ。


「何もしてくれない」と思われないように、風邪に抗生物質など、わざわざ必要のない薬を出す医師もいるが、聴診も同じことらしい。〈聴診をするときは、視線を下げて少し首を傾げます。こうするといかにも耳に神経を集中しているような感じになり、受診者さんに好印象を与えます〉という。医師も芸達者になる必要がある。

 

 以前、人間ドックの診察で、しばらく続いていた指の不具合を告げたところ、「医者に行ったほうがいい」と言われて、「あんたも医者だろう」とつっこみそうになったが、同様のやり取りは珍しくないようだ。病気と診断される恐怖から健診でお茶を濁したい患者と、不具合があるなら専門医に診てもらえという健診医のすれ違いである。


 いずれにしても、悪いところを伝えて診てもらうほうが、診断の質は高い。不調が続くなら、健診や人間ドックを待つより、さっさと病院に行くのが得策だ。


■定年間際で陥る「上昇停止症候群」


 後半部分では精神面の健康、老化について触れている。

 

 著者は現代において〈精神の健康を保つのは至難の業〉と捉えている。理由は〈日本がむかしに比べ、自由で平和で豊か〉だから。大昔は貧富の差も今日の比ではなかったし、少し前に話題になったドラマ『不適切にもほどがある』の時代も、理不尽なことは多かった。それでも、〈本人も周囲もそれはそんなもんだと思い、いたずらに状況を悪化させることが少なかった〉。思い当たるふしがある読者も多いだろう。


 医療の進歩も影響している。精神障害の範囲が広がり、以前はちょっと変わった人だったり、勉強ができない人、落ち着きがない人で済んでいた人に診断がつくようになった。診断がつけば〈当人も周囲もそういう「障害」だと思い込む〉ようになる。


 さて、定年が見えてきた人々が注意したいのが〈上昇停止症候群〉。役職定年やら定年再雇用で地位や報酬がガクッと落ちる人は少なくないが、会社への貢献に対して評価や報酬が少ないことに虚しさを感じてやる気をなくしてしまうという。


 いくつになっても健康の心配事は続く。いや、不具合が増えるぶん、年齢を重ねるごとに増していく一方だ。高齢者にとって認知症治療は大きな関心事だろう。ただ、レカネマブの登場で過剰な期待が集まっているが、著者いわく〈認知症治療は、結核菌が発見される以前の結核療法に似ています〉というのが実情だ(うまい喩えだ)。


 なお、著者は現代医療を全否定しているわけではない。例えば人工肛門については、その効用を〈理想的な排泄介護を実現〉と絶賛している。


 健康に気を付けるのは悪いことではないが、若い頃と同じような健康状態を目指しては、逆にストレスもたまる。失った機能の回復に執着するより、残った機能で楽しく過ごしたり、現代のテクノロジーを活用したり。自ら取捨選択していくとよいだろう。そして、身体面でも精神面でもほどよく諦めるのが、健康と上手に付き合っていく方法なのかもしれない。(鎌)


<書籍データ>

健康の分かれ道

久坂部羊著(角川新書1012円)