●「無意識のバイアス」から復活していること


 前回の最後に記した私の母方の祖父。軍人だった祖父は、「男」を語ることなく、平和で自由に生きたが、彼は性による自らのアイデンティティーの束縛から、いつか抜け出たのではないかと思っている。それは何が契機で、何が起きたのか、起きなかったかもしれないが、軍人という「職業」を通じて、男らしさを語ることから決別したのには理由があるとしか思えない。


 大抵の軍隊経験者は「男らしさ」は軍隊経験を通じて訓練されたことを語り、そしてそれに「誇り」を持ち、強調する。自分がかつて英雄だったらしきことを話に盛り、いかに男らしく振舞ったか、そしてそれが人生においての教訓であり、周囲の人々にそれに追随するよう命令するか要請する。


 こういうのを「男性性」というなら、私には拒否感が強い。そういう男は嫌だということを表明すれば、「女々しい」と速攻で非難される時代に私は少年だったが、祖父の存在が私に「女々しい」ことも「あり」という柔軟な感性に導いてくれたと思っている。


 祖父は自らの軍隊経験を、「戦い」抜きで私に聞かせた。台湾で新婚生活を送り、台湾で珍しい果物や昆虫に出会ったことを詳しく語った。祖父の死後に、北杜夫の台湾での昆虫採集を題材にした随筆を読んだとき、祖父がいかにそうした生物世界をやさしく見守っていたのかを確信した。


 また、独軍と戦うために地中海に向かう軍艦上からみた南の島々の人々の暮らしや生き物。ことにエクアドルで補給のためにかなり長く逗留した経験から、生物の日本との違い、海の透明度の違い、人々のゆっくりした暮らしへの羨望を語った。私はときどき、祖父がどのように戦ったのかを訊いたことがあるが、彼の返事はいつも「忘れた」だった。


 とくに地中海のマルタ島には数ヵ月いて、住民の警護や監視を任務としていたらしく、彼はそのときに文化の違いを肌身で感じたようだった。具体的にそれが何だったのか、少年の私には話しても意味がないと思ったのかもしれず、多くは語らなかった。ただ、そこで自らを変える「カルチャーショック」があったことは薄々わかった。マルタ島を語るとき、祖父には望郷に近い感慨があることを私は感じ取った。


 祖父が第1次大戦後に除隊し、第2次大戦までの間、何をしていたのか、私はよく知らないが、母や伯父たちによれば、大工をしながら工員もしていたらしい。酒好きだったが、酒での不始末を祖母は祖父に拭わせた。祖父は祖母に精神的には頼りっぱなしだったエピソードが多く、新婚時代から祖母の死まで幸福な人生を送っていたことがわかる。


 私には、どこか、祖父が祖母に「男らしく」振る舞うことを嫌がり、祖母もそうした「男らしさ」を求めていなかったことが、この夫婦の安定の基礎ではないかと考えている。祖母は祖父の不始末に厳しいが愛情をもって対処させた。祖母が「男らしさ」を求めず、人として祖父を教育したのではないか。そこに従順に依拠した祖父は軍人ではなく、男ではなく、人として生きることができたに違いない。女が男に「男」を求める文化から私の祖父母は遠いところにいたと思える。


●家族のあり方がパターナリズムを熟成する


 母方の祖父が住む実家から離れ、都会での暮らしを始めたとき、私たち家族が住む借家にはテレビがなかった。そこで歩いて5分ほどのところにある父の実家に夕刻になるとテレビを見に出かけていた。しかし、そこで父方の祖父の父権主義的で横暴な振る舞いを何度も目にした。祖父と、同居する伯父には夕食で一品加えられているのを目にした。私は何度か祖父に抗い、そのたびに殴られた。父が同席しているときには父から殴られた。


 殴られる理由は常に理不尽で明らかな誤解、私が祖父の持ち物を盗んだなどという言いがかりで、父はそれをわかっていながら私を祖父や伯父の前で殴っていたふうがあったが、父から謝罪された記憶はない。そうした空気を察していたのか、母は父の実家にほとんど足を運ばなかった。殴られて、泣きながら帰ってきた私と何度か一緒に泣いた。父方の祖母はそうした光景の中で、祖父や父を制することはなかったが、ときどき私たちの借家を訪れて母に詫びていた。女たちが何も言えない家族の流儀。


 母方と父方の家族の対照的な形の中で私は育った。母の兄や弟は、祖父母がどうやって費用を工面したのか知らないが、国立の高等教育を受けて、エンジニア、公務員、医師の職業を得た。彼らはいずれも独立心が強かったが、父方の父の兄弟たちはお互いに依存する傾向が強く、家族同士の揉め事が絶えなかった。


 こうした自分の育ちの環境を思い出すと、家族のあり方が人としての尊厳や公平で公正な感性といったものを育むことがわかる。パターナリスティックな家族の光景は、暴力を伴いやすいと同時に、歪な依存的な関係性を構築することに寄与する。後述したいが、家族介護の現代的課題も、その意識の中から醸成されている。


 一方で、夫婦間のリスペクト、互いの独立心に対する非関与と寛容は、直接的な愛情の交換を促す。そして、子どもたちを含む家族の関係性に依存の程度を低くする。どちらが健康な姿かを思うと、私の育ちからの主観的判断は「母方家族」である。「父方家族」はある意味、「無意識のバイアス」を育てる装置である。


●結婚したら働かない


 この「無意識のバイアス」については、雑読からみた女性側から示される現況のレポート、その多くの事例が職場、業務上や研究業績に対する評価の差別などで埋め尽くされ、そのほとんどの原因がそこにあることがわかる。無意識のバイアスは、私は、家族のあり方のなかから、性別に関わりなく固着していくものだと考える。


 私は、若い頃に付き合った女性に、「結婚したら私は働かない」と言われて率直にたいへん驚いた記憶がある。「どうして」とびっくりした私が質問すると、「当たり前でしょ」と即答された。大学で同じ勉強をしているのに、彼女はそのキャリアを花嫁道具だと考えているらしいことが衝撃だった。そのことを男性の友人たちに告げると、彼らもまた多くが彼女の考えに肯定的だった。私が少数派だった。「無意識のバイアス」はマジョリティなのである。


 時代は変わったように見える。教育の場や、リベラル系メディアなどが、性差別への気づきをオープンに語るようになった。しかし、それで「無意識のバイアス」はなくなっただろうか。


 例えば米国国立科学財団(NSF)の元長官であるリタ・コルウェルは著書、『女性が科学の扉を開くとき』で、25年前から始まった新たな産業革命ともいえるワールド・ワイド・ウェブが滑り出したとき、そこに飛びついたのはリスクを好む若い男性だったとして、「その結果、情報技術や電子商取引の革命はその利益、魅力、パワーと共に、あらゆる民族系の女性や、アフリカ系・ラテン系アメリカ人男性のすぐそばを素通りしていった。今日のハイテク産業では、マイクロソフト、グーグル、アップル、ツイッター、ヤフーの従業員の約70%が白人とアジア人男性であり、女性は主に、特許や利益を生む発見につながらない、販売やマーケティング部門の地位の低い仕事についていることが多い」と語っている。


 情報産業は「人新世」をもたらしたとも語られる「革命エンジン」だが、「無意識のバイアス」は温存している。


 コルウェルは同著書で、シリコンバレーの初期の投資家、ピーター・ティールが「女性に投票権を与えることは民主主義と資本主義にとって害悪だ」と書いたことを明らかにしている。これは2009年の発言である。驚くしかない。さらにシリコンバレーの世界では、セクハラが横行し、女性を「特典」にしてイベント開催していたことなども明らかにしている。


 白人男性と一部のアジア系男性の世界では「無意識のバイアス」ではなく、意識された女性差別が「情報産業革命」の現場で横行した。「人新世」は父権主義の復活のサインでもある。(幸)