30代の終わりから40代の半ばにかけ、南米でフリー記者をしながら「バックパッカー崩れ」のような暮らしをした時期がある。1990年代の終わりから、2000年代半ばの時期。いま思えば日本でデジタル化が進行したあの6~7年、文明生活を離れた暮らしをしたことで、私は時代に取り残されてしまった感じがする。


 とりあえず貧乏旅の折々に日本に原稿を送るには、インターネットとEメールは欠かせない。そう思って離日前に初めて私物のノートパソコンを買い、メールアドレスを取得した。そのころ日本で会っていた人たちの名刺には、まだほとんどメールアドレスはなかったから、その時点の「デジタル適応度」はそれなりに「まぁまぁ」だったように思う。


 だが、南米各地をあちこち動きつつ自室や安宿で原稿を書き、それを「フロッピーディスク」に保存して街角のネットカフェから日本に送信する。添付する写真はフィルムカメラで撮影し、プリントアウトしたものをネットカフェにてスキャンする。そんなスタイルで作業を続けるうち、帰国時には「浦島太郎状態」になってしまっていた。USBメモリーやらデジカメやら、ICレコーダーやらの新しい機器が知らぬ間に普及して、そのうえにスマホの出現である。慌てて仕事道具一式を新しく取り揃えたものの、どの機器も未だ満足に機能を使いこなせないまま、今日に至っている。何もかもがアップアップの状態だ。


 さすがにこのままでは生きた化石になってしまう。改めてそう思ったのは、今週の『サンデー毎日』の記事「老後激変 野口悠紀雄の人生100年時代の勉強術「Chat GPT」は高齢者の最強の味方だ!」を見てのことだ。これによれば野口氏はChat GPTを相手にお喋りをするうちに、シェイクスピアのマイナー作品や映画『市民ケーン』の印象的なシーンについてなど、生身の人間でもなかなか見つからない絶好の「話し相手」だと思うようになったという。


 野口氏の先進性はそれだけではない。彼はスマホを電話として使う以外、95%は「音声入力」のために利用している。音声認識では過去さまざまな機器を試してみて、現状ではiPhoneが最も便利だという結論に達したという。事前に本を読むなどしてテーマを決め、そのうえでiPhone片手に公園を散歩する。歩きながら考えを整理してiPhoneに吹き込むと、40分ほどの散歩で、約3000字の原稿が書けるという。


 3000字の原稿と言えば、月刊誌記事のだいたい1本分、10ページほどの分量だ。私が現在持っているルポルタージュの連載もこのくらいの長さだが、机にかじりつきトータル10余時間、ヒーヒー言いながらパソコンのキーボードを叩いている。たとえ粗削りな下書き原稿でも、40分の散歩でできてしまうのなら、プラス数時間を推敲に費やしても半日ほどで完成することになる。夢のような話である。


 私の現状の力量では、スマホのメモ(使ったことがない)をPCに移す手順をまず覚えなければならず、音声入力を試すのはそれからだ。そもそも私はまだ、iPhoneで撮った写真をPCに移すやり方も、まだ理解できていない。いずれ必要なとき覚えよう――。そう放り投げてきたいくつもの課題を1つひとつクリアしていかないと、結局はアナログ老人で終わらざるを得ない。改めてそう自戒させられた記事だった。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。