インターネットで「がん 治療」で検索をかけると、さまざまな「最先端」の医療が登場する。少し前から怪しげなサイトが検索順位で最上位に表示されるようなことはなくなっている。それでも「スポンサー」と表示がある怪しげなサイトは早々に表示されるし、下位になればいくつも出てくる。なかには、明らかに医療広告ガイドラインに抵触しているようなものもある。


 がん患者の情報収集力には感心させられることも多いが、一方で怪しげな情報や医療を信じ込んでしまう人たちもいる。


『がん「エセ医療」の罠』は、免疫細胞療法ほか、がん治療の世界でエビデンスのない治療を提供し、人々を食いものにする自由診療の世界を描いた1冊だ。エセ医療の世界は、まさに無法地帯。信じ込んだ患者はほとんど効く可能性がない治療に巨額のカネを払うハメになる。にもかかわらず、なぜ人々は騙されるのか?


 ひとつは、がん治療で行われる「標準治療」という呼び名が与える印象だろう。〈現時点で最も有効性が高い〉治療なのだが、「標準」という言葉からは、松竹梅で言えば、竹や梅のような響きがある。そのため、松、〈標準治療よりも優れた“特別な治療”が存在する〉印象を持つものも少なくない。


 もうひとつ大きいのは、がんに罹患すると〈「死」がすぐ背中に迫っている焦燥感に駆られ、普段であれば考えられない選択をしてしまう〉ことだろう。


 エセ医療を選択してしまうのは、無知な素人と考えがちだが、本書に登場する患者のなかには、元大学教授の消化器外科医、美容皮膚科医といった医学的知識や財閥系シンクタンクの主任研究員のようにリサーチ力を持った人々も含まれている。


 前述のように、エセ医療にはカネがかかる。こうした人々は所得水準も高く、高額な医療費の負担能力があるだけに、エセ医療「ビジネス」のターゲットになりやすい面もある。


 現代はインターネットで簡単に情報収集できる時代だが、著者が危険性を指摘しているのが〈フィルターバブル〉だ。検索エンジンが検索やクリックの履歴などからユーザーに都合がよい(と思われる)情報を優先的に表示する結果、ユーザーが自身の考え方や偏った価値観のバブルのなかに孤立してしまう現象だ。そこに認知バイアスのひとつである「確証バイアス」が働けば、少々他人からエセ医療のおかしさを指摘されたところで、患者は聞く耳を持たなくなってしまうだろう。

 

■施術後は元の病院に丸投げ


 一方、エセ医療の提供者側に目を向けると、「非専門医」ががん治療を行っているケースも珍しくない。〈美容整形、アンチエイジング、東洋医学、下肢静脈瘤など、がん治療とはあまり関りがないと思われる診療科を掲げながら、がん免疫細胞療法の届け出を行っているクリニックも目につく〉という。


 当然、患者の面倒を見るノウハウを持たないため、施術後の定期通院や重篤な状態に陥った場面では、元の病院に丸投げされるようだ。


 がん治療は専門性が高い分野である。製薬会社の多くはがん領域専門のMRを置いている。がん医療を標榜したり提供する医師には一定の制限を設けるべきだろう。


 明らかに専門外のケースは外形でインチキ臭さの見分けがつきやすいが、なかには一見信じてしまいそうなものもある。本書に登場する国立大学教授ががん「免疫アドバイザー」になっているクリニック、旧帝大名誉教授が推薦文を書いているがんサプリ、自治体のがんセンターで総長を務めていた人物が院長となっているクリニック……。一般の患者からは「お墨付き」に見えてしまうことだろう。


 極めつきは、たてつけは民間クリニックにもかかわらず、国立大学病院の敷地に設立された「金沢先進医学センター」だろう。批判を受けてがん免疫細胞療法の受付を終了したようだが、地域の「国立大学病院の先生」(に見える医師)に勧められれば、多くの患者は効果を信じてしまうはずだ。


「お金があるんだったら、やれるだけやればいいのでは?」とみる向きもあるかもしれないが、がん治療においてエビデンスの希薄な医療は必ずしも吉とはならない。


 標準治療を受けずに怪しげな代替医療だけに頼ってしまうリスクはもちろんだが、考えられ得る標準治療が奏功しなかった場合も同様だ。ギリギリまで治療を続けるよりも、早期から緩和ケアを受けたほうが、長生きできることがわかってきたからだ。余計な医療が体に負担をかけて、命を縮めてしまうリスクもあるのだ。

 

 もし自身ががんになったら――。誰もが普段であれば考えられない選択をしてしまう可能性も十分にある。しかし、本書を読んだことで少しは冷静な判断ができるかもしれない。がんになる前に一読、がんになったら再読すべき1冊である。(鎌)


<書籍データ>

がん「エセ医療」の罠

岩澤倫彦著(文春新書1210円)