●タンポンの有用性と処女性崇拝


 前回、衛生材料メーカーから持たされた紙バッグ2つに、縦に印字された大きなアルファベットがあり、そこには「TAMPON」とあったことを書いた。新米記者の頃だ。50年以上前。バッグの中身は生理用品で、1つのバッグにはタンポンが大量に詰められていた。女性社員に渡したとき、彼女は「このバッグを持って電車に乗ったの」と怪訝そうに聞いた。


 はじめの電車では、対面に座る女性がバッグと私を何度か見返す視線に気づいたので、その時点で私はバッグの「TAMPON」を知った。だが、このバッグを隠そうなどとは思わなかった。乗り換えた地下鉄では、どのくらいの人がこのバッグに反応するかに関心は向いた。ほとんどの人は他人が持つ紙バッグには関心を持たない。「TAMPON」に気付いた人は、一瞬、私の顔を見るが、表情を変えることはなかった。


 私より年嵩の経理担当女性は、私の説明を聞いて安堵したようだ。「助かるよぉ」と笑顔になり、「でもねぇ、タンポンは使わない。うちの会社で使っている人はいないと思う」と続けた。20代だった私はそうした事情に疎い。「どうしてタンポン使わないの。テレビでもCMやってるし、結構普及しているんじゃないの」と質問、彼女は「だってさぁ、使いにくいし、ちょっとさぁ」ともじもじするだけだった。


 生理用品の小特集企画では、女性の個々の実情に合わせた使い方のレクチャー方法や製品開発について、複数のメーカー開発担当者にインタビューする企画で進めていた。先輩女性社員とのやりとりで、その企画を縮小し、タンポンの普及状況に焦点を当てた企画を併載することを考え付いた。営業の了解をとって、再び生理用品メーカー取材を始めた。


●50年以上続くキャンペーン


 国内におけるタンポンの使用率は、現状でも「常用」で2割程度、「時おり」「必要に応じて」で5割を超える程度だとされる。これは欧米と比べると大きな差だ。欧米では「常用」が6~7割を占める。


 私がタンポン取材を先述のエピソードを機会に始めてから50年。当時の生理用品メーカーにはタンポンの普及に強い期待があった。21世紀に入るまでに、そのシェアは欧米並みになるだろうと確信していた。特に外資系メーカーにその期待が強かった。新規参入も相次いでいた。私もたぶんそうなるだろうと思っていた。なので、タンポンの製品特性や開発動向をノートしていくことにも熱心だった。


 おかげで、今でもタンポンの形状の違い、吸収力の差異で測定する品質評価、アプリケーターの有無、デオドラントの有害性議論などを記憶している。国内メーカーはいわゆる俵型の製品が多く、平均的に吸収するのに優れた製品開発を志向していたが、外資系はパラシュート型の製品で使いやすさに重点が置かれていたという印象もある。


 現状はテレビのCMを見るとわかりやすい。生理用品のCMは圧倒的にナプキンだ。タンポンは、最近では旅行時の使用をアピールするキャンペーンCMしか見たことがない。50年を経ても日本のタンポンは、未だキャンペーンが継続しているのである。


●科学的ツールとして


 タンポンは日本の女性にはハードルが高い。マリーケ・ビッグはハードルの高さはアメリカ人女性でも同じであることを語っている。それなのにどうして使用率が違ってくるのか。ビッグはタンポンを初めて使用したときの印象とそのときに得た思いを総合したように、「わたしにとってタンポンはつねに月経問題に対する次善の策だった。穴をふさぐという前提自体が無粋に思えたし、月経とは“流れるもの”であるという事実から反しているように思えたからだ」と述べる。


 しかし、ビッグはタンポンに関して、その後に展開されるいわゆる「スマートタンポン」に視点を移していく。タンポンがそこで「流れない」ことで、経血の分析の余地を促し、予防医療に貢献する時代の到来を見ていくのだ。経血は「もはや生殖に使われないただの老廃物とはみなされず、すべての人間に関連する遺伝情報の源として、生殖の領域を超えた目的や価値を備えた物質として扱われるようになるだろう。遺伝性疾患の診断、骨盤内炎症性疾患、子宮筋腫、環境毒素、早期がんの検査をはじめ、もちろん生殖能力に関する検査にも利用されようになる」との期待を示す。


 ただし、ビッグはこうしたタンポンの経血検査による新しいテクノロジーは、男性中心の科学に織り込んでいくものでなければならず、女性の生体を監視したり規制するものであってはならないと釘を刺している。


 ここに注がれている視点は、女性の生理を生殖の観点からのみ眺めず、女性のウェルビーイングに資するための「科学のツール」として眺めるということである。タンポンはそこに科学的試料となる意味合いをまとう。そして生理を生殖の観点からのみ眺めることは、男性側に性的な関心を付随させ、女性という性のシバリ、ビッグが言う「監視、規制」の対象にのみつなげていく。


●相性が悪かっただけ


 ビッグほどではないにしても、タンポンに対する姿勢は欧米女性にはクールなものがありそうだ。次のテクノロジーにつながるとの思いの一方で、ビッグ自身が10代のとき、最初にタンポンを試そうとした動機を、いわゆる「そういう子たち」の仲間入りをしたかったとしている。つまり、少なくともアメリカでは、20世紀後半には10代のはじめ、タンポンを使用することが「大人の女性」になるための背伸びの道具であったことがわかる。性的な意味での、憧れが動機になっている。


 しかしビッグは、性教育の授業で知った「忘れられたタンポン」の話で、挿入しているのを忘れると敗血症になるという恐ろしさ、試したタンポンが母親のものだった、つまり高年齢常用者用のものだったことで違和感を強く感じたことなどが、「次善の策」となったとの自己分析を語っている。


 彼女は性差別に関するかなり厳しい指摘や主張を著書全般にわたって展開しているのだが、タンポンが次善の策になった経緯には、力学的な相性の悪さなども強調され、処女性に関する意識は言及されていない。


 私が50年前にタンポンを欧米並みに普及させたいとするメーカーに取材をした際、そのメリットの強調、啓発的な宣伝意欲を何度も聞いた。私が男性であることを意識してか、「膣への挿入」という製品特性に関わるハードルの高さについては、彼らの口調は滑らかさを失った。「日本の女性は潔癖感が強い」「処女ではなくなるという誤認がある」などといったまわりくどい言い方でデメリットである最大の関門を説明した。


 どうやって、日本の女性を説得するか、確かに難しい課題だった。大っぴらに、あけすけな語り口を採用すれば、眉を顰められるのは目に見えている。つまり、「はしたない」印象は避けたいが、タブーはタブー。常用者は2割という状況はそうした企業側のストレスを大きくしているのだろうなと思う。


 しかし、時代は変わり始めた。性差別に敏感な時代が来た。タンポンを選択するかどうかは女性の自由(まぁ昔からそうだったのだが)であり、それを非難するのはセクシャルハラスメント。そうした前提をサブリミナルしながらテレビCMで女性を説得してはどうか。具体的な「賢い使い方」はバーコードというツールがあるではないか。


 そして、経血を女性の予防医療につなげる道筋をつけ、開発企業とコラボしていく。企業側のジェンダー教育もできるだろう。日本の企業にその教育をどうするか。ジェンダーバイアスをどうやって取り払っていくか、簡単ではない。簡単ではない理由を次回からみていく。(幸)