政府が今年6月に決定した「新成長戦略」では、未承認の治療技術や医薬品など保険外診療を保険診療と同時に受けられる「患者申出療養(仮称)」の導入が盛り込まれた。安全性などをタテに厚生労働省と日本医師会が反対したものの、「岩盤のように固い規制に果敢にチャレンジする」(安倍晋三首相)という方針の下、規制改革の目玉商品を作りたい官邸サイドが戦略に盛り込んだ形だ。

 しかし、医療保険制度の法的な枠組みを子細に見ると、保険診療の範囲が極めて曖昧なことに気付く。保険診療に保険外診療の上乗せを認める「混合診療」の是非は一種の神学論争の域に及んでいるが、「土台」部分に当たる保険の給付範囲を前提として良いのだろうか。費用対効果の高い医療技術や医薬品を推奨する「医療技術評価」を通じて、保険給付の枠組みを再考するべきである。


◇ 混合診療の線引きは曖昧


 保険診療の範囲を巡る法的な枠組みを見ると、健康保険法や医師法に混合診療を禁止する規定は存在せず、詳細は「保険医療機関及び保険医療養担当規則「保険薬局及び保険薬剤師療養担当規則」(以下は療養担当規則)で定められている。具体的には、保険給付の範囲として、前者は「(保険医療機関が実施する)診察や薬剤支給、手術」などを列挙し、後者は「薬剤支給や薬学的管理・指導」を挙げている。


 一方、前者は保険医療機関に「特殊な療法又は新しい療法等については、厚生労働大臣の定めるもののほか行つてはならない」、後者は保険薬局に「厚生労働大臣の定める医薬品以外の医薬品を使用して調剤してはならない」と規定しており、混合診療を禁じる根拠とされている。


 しかし、保険外診療は最初から療養担当規則のカバー範囲ではないため、保険診療と保険外診療を「同じ時間、同じ場所」で実施しなければ可能である。昨年10月24日に開催された政府の規制改革会議の議事録には日本医師会代表と委員の間いで、興味深い遣り取りが残されている(大意が変わらない範囲で言葉使いなどを改変、省略)。

(委員) 山田医院(仮称)に発熱患者が来た。検査した結果、グラム陰性球菌による腎盂腎炎という診断に至った。そこで有効と思う抗生剤を投与したけど、余り効果がない。ここで山田先生は「新しく発売されて薬価収載された抗生剤を使いたい」と思ったが、保険収載の適応症が肺炎に制限されている。山田先生は事情を患者に説明して納得して貰い、保険診療をしつつ薬剤の実費だけを患者から貰った場合、これは混合診療か。


(日本医師会) 混合診療には当たらない。


(委員) では、山田先生は近所の親しい鈴木クリニック(仮称)に紹介状を書き、保険外診療で抗生剤を投与して欲しいと依頼し、患者は鈴木クリニックで保険外診療を受けて薬を投与された。これは混合診療か。


(日医) 混合診療には当たらない。


(委員) 鈴木クリニックで薬剤のみを実費で購入し、山田医院に戻って投与した場合は。


(日医) 同じ時間に同じ診察室で一緒に提供しなければ混合診療ではない。


(委員) 鈴木クリニックで買った薬を山田医院に戻って保険診療と併せて投与して貰った場合は。


(日医) 混合診療には当たらない。


(委員) 山田先生の診察を保険診療だけで終えた後、翌日もう一度来院して頂いて、カルテも変えて診療を全て保険外診療として抗生剤を投与した場合は。


(日医) 混合診療には当たらない。


(委員) 山田先生が薬代を自分で負担しつつ、保険診療と一緒に投与した場合は。


(日医) 混合診療には当たらない。


(委員) 後日、患者が「お世話になりました」と言って金一封を持ってきて、封を開けると抗生物質の実費分が入っていた場合は。


(日医) 公的病院では一切受け取らないルールだが、混合診療には当たらない。


 この遣り取りは混合診療の線引きが如何に曖昧模糊としているかを示している。結局、ルールは「同じ時間に同じ診察室で、保険診療と保険外診療を一緒に提供した場合に限り、混合診療になる」と決めているに過ぎないのだ。


◇ 出遅れた医療技術評価


  さらに、保険給付の範囲についても、有効性や費用対効果は検証されているとは言い難い。確かに薬品に関しては薬価基準があり、収載を希望する製薬会社が経済評価の結果を添付することも認められている。しかし、基準に載せる際の判断は品質や安全性、有用性で判断されており、費用対効果や経済性評価の視点が欠けている。


図1:基金と国保連の査定率差異(点数ベース)  

出所:厚生労働省資料


 保険診療の範囲に関しても、明確なエビデンスは少ない。社会保険診療報酬支払基金(基金)と国民健康保険連合会(国保連)がレセプト(報酬明細書)に記載されている行為を保険診療の範囲として適当かどうか事後的に判断しており、近年は電子化されたレセプトのチェックが強化されている。現場からは「基金のレセプトチェックが厳しくなってきたので、少し意識せざるを得ない」(首都圏で活動する在宅医)との声も出ており、保険給付の厳密化の観点で言えば望ましい方向性だ。


 だが、診療報酬の点数ベースで見た査定率(請求点数と査定に回った点数の比率)を見ると、基金と国保連の間で格差が大きい上、審査に当たる各都道府県の支部・連合会でも差異が見られ、「ローカル基準の存在は公然の秘密」(現場の医師)。これらの事象は保険診療の範囲が定まっていないことの表れと言える。


◇ 医療技術評価の導入を


 患者の個体差、医師の裁量を考えれば、杓子定規に保険給付の範囲を決めるのは不可能だ。しかし、レセプトやDPC(診断群分類)、電子カルテなど国全体のデータを集めて有効性や費用対効果を検証し、一定のガイドラインを示すことは可能である。


 これが「医療技術評価」と呼ばれる手法である。公的医療制度に取り込んだのは1993年のオーストラリアが最初であり、イギリスでは国立医療技術評価機構(NICE)を中心に、1999年から公的医療の対象範囲を制限している。具体的には、医薬品や治療・診療行為、医療材料などの費用対効果を検証し、エビデンスを基にガイドラインを策定。そこでは「推奨」「一部の集団のみ推奨」「研究のみ」「推奨しない」などの形で考え方を示し、推奨しない医薬品を使った場合、国の費用支出を認めず、民間保険や患者の自己負担になる可能性がある。ドイツやフランス、韓国、タイなども医療技術評価を導入している


 一方、日本は対応が遅れている。厚生省(現厚生労働省)が有識者検討会を舞台に1997〜1999年に議論を進め、2001年度予算概算要求で国立公衆衛生院(現国立保健科学院)に医療技術のデータベースを構築する事業を盛り込んだが、「官製データベースは医師の裁量権を侵害する」という批判が自民党の日医系議員から出て頓挫。現在は中央社会保険医療協議会(厚生労働相の諮問機関)に「費用対効果評価専門部会」が発足し、2016年度の導入を目指して議論が進んでいる程度に過ぎない。


 確かに医療技術評価については、イギリスでも「費用対効果が優先され、患者の選択権を狭めている」「製品差別化のハードルが高くなり、医薬品産業を衰退させている」などの課題が指摘されており、決して万能薬ではない。


 しかし、医療の透明化と給付効率化を図る点で重要なツールであることは間違いない。混合診療拡大の是非に一喜一憂する前に、その土台となる保険給付の範囲についてエビデンスに基づいた議論が必要である。


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丘山 源(おかやま げん)

早稲田大学卒業後、大手メディアで政策プロセスや地方行政の実態を約15年間取材。現在は研究職として、政策立案と制度運用の現場をウオッチしている。