ネット時代になりつくづく思うのは、日本人は「廊下を走るな」的な「些細なルール違反」にべらぼうに厳しいということだ。兵庫県知事のパワハラを告発した県幹部が自殺に追い込まれたり、鹿児島県警が不祥事揉み消しのためメディアのガサ入れにまで踏み切ったり、そういった組織的で深刻な問題は「そこそこの反応」で鎮まるのに、たとえば議員が海外視察中、エッフェル塔を背にはしゃいで写真を撮るような、個人のわかりやすい「やらかし」には、けた違いの批判が集中する。


 直接的な被害者はとくに見当たらないケースでも「ルールはルールだ、守らないやつは悪い」と非難は収まらない。被害者への同情とも理不尽への義憤とも異なるこの手の処罰感情はいったい何なのか。日々SNSを見ていると、しばしばそういった「ナンタラ警察」の暴走にドン引きする。


 最近で言えば、パリ五輪のエース格だった女子体操選手へのバッシングにそのことを痛感した。今週の『週刊文春』は「高校時代に飲酒強要騒動も! 宮田笙子をつぶした体操協会の〝大罪〟」、『週刊新潮』は「『五輪辞退』何とかならなかったか… 『宮田笙子』19歳の『喫煙・飲酒』問題」と銘打って、この問題を報じている。


 文春記事によれば、宮田選手には高校時代、「寮で部活の後輩に飲酒を強要した」という情報もある一方、20歳以上か未満かは別にして、体操界には昔から喫煙文化があるらしく、男子体操のレジェンド・内村航平氏もヘビースモーカーだったという。そんなあいまいなルール下で、今回だけ出場辞退という「事実上の厳罰」に処した体操協会の判断に記事は疑問を呈している。新潮記事のほうは、元陸上選手・為末大氏による「今からでも彼女の出場を認めてあげてほしい」というコメントで、より踏み込んで協会決定に異を唱えている。


 ネット上では、さまざまな分野の著名人が為末氏のように「寛大な処置」を求める声を上げているが、一般のネットユーザーは「出場辞退は当然」という声が圧倒的。「ルールはルールだ」というのである。こんな状況だと、もし仮に再度五輪出場の道が開かれても、果たして彼女自身、それに耐えられるか。「未成年の喫煙・飲酒は禁止されている」「彼女をなぜ特別扱いするのか」という大合唱が湧くことが最初から目に見えている。そうなるともう、鋼のメンタルを持たなければ、競技どころではなくなってしまうだろう。「プレッシャーに負けて喫煙してしまった」という趣旨の釈明をした彼女が、正常な精神を保てるとは到底思えない。


 今週の文春には「開会式『死んでしまう…』小山田圭吾が今だから明かす「炎上中」に考えたこと」という記事も載っている。東京五輪が開幕する直前、式典の音楽担当者だった小山田氏の古いインタビュー記事が「発掘」され、子供時代、友人に排泄物を口に入れさせたり、自慰を強制したりした、などという内容があったために大炎上、小山田氏は五輪での仕事を降りざるを得なくなった。今回の記事では当人が改めて当時の状況を語っている。実際にはインタビュー記事をまとめたライターが、コメント内容を大幅に脚色してしまっていたのだが、炎上後の情報の修正はもう不可能だったという。この記事は、電子版の文春により詳しい内容があり、「イジメの実際」と騒動とのギャップが説明されている。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。