アベノミクスのブレーンを務めたことでも知られ、経済学者として輝かしい経歴を持つ浜田氏が記した躁うつ病の闘病記『うつを生きる』。聞き手に米ハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏という意外感のある組み合わせもあって、手に取った。
本書は浜田氏のライフイベントをたどりつつ、躁うつ病の発症から治療、入院、治癒までの経過が細かくつづられ、これに内田氏が精神科医としての所見を述べていく形で進んでいく。
精神疾患には遺伝的要因やさまざまな社会的要因が関係してくるが、浜田氏は海外で講義恐怖症になり、〈学生に教えるのが段々と怖くなった〉頃から躁うつ病が始まっている。
世界的な学問上の業績を残す浜田氏ほどの人物が、なぜ不安を抱くのか?
内田氏は、精神科の正式な診断名ではないと断りつつも、浜田氏の手記を参照して「インポスター症候群」の可能性を挙げている。
インポスターとは、〈自分の力で何かを達成しても自分にはそのような能力はない、評価に値しないと過小評価したり、他人が思う自分と自分自身の能力が一致していないと不安を覚えるような症状〉。
凡人にはわからない悩みだが、才能あふれる人や名声を得た人が自死したケースのなかには、インポスター症候群だったと思われる人もいる。
では、浜田氏の躁うつ病はどんな病状だったのか?
うつ状態は1日のなかで変化する。人によってつらい時間帯や変化の状況は異なる。浜田氏は、朝から昼までがつらく、それが終わるとずっと楽だったという。
内田氏によれば、〈うつ状態のときは、いわゆるIQの意味での知能は落ちないものの、情報処理能力やそのスピードはかなり影響される〉が、浜田氏の場合、〈研究というのは一見異なるところ同士を結びつけて発展させる類推や対比の思考ができなければいけない。しかし、うつになると創造力がどうも不足してしまって、それまでのように研究ができなくなった〉という。
一時は、希死念慮(死にたい気持ち)を抱いて、〈地下鉄に飛び込んでしまいそうな衝動に駆られた〉ほどで、かなり深刻な症状だった。
■日米で異なる医療スタッフ・患者の関係性
闘病の詳細は本書を読んでいただきたいが、浜田氏は突然の離婚や子どもの自死などの困難を経つつも、入院治療や薬物治療、周囲の協力により躁うつ病を克服した。
医療の面で気になったのは、米国での医療を経験した浜田氏と実際に医療に携わる内田氏の目から見た、日米の医療の違いだ。
米国では、医療スタッフ同士の関係に日本でしばしば見られるような過度な「序列」はあまりない。
医師と患者の関係もフラットだ。昨今、日本でも「共同意思決定」という言葉が少しずつ聞かれるようになってはきたが、〈言葉を交わしながら一緒に納得できるやり方を探していく関係がアメリカの医療者と患者の間には多くの場合見られます〉(内田氏)という。
文化や国民の意識、医療制度が異なるため、必ずしもどちらがよいとは言えないが、医療スタッフや患者の間の関係性が異なることで、提供する医療や治療の効果にどんな違いが出るのか、気になるところだ。
経済学者ならではの見立てだと感じたのが、浜田氏が指摘する経済政策と医学の類似性である。〈科学的でありながら、ひとつに解決策が定まらなかったり、患者さんや経済の変化を見ながら修正を重ねるところだったり、技法が科学というよりアートに近い〉。どちらも一筋縄ではいかないのだ。
躁うつ病や数々の困難に直面しながらも、何とか乗り越えて超一流の実績を残してきた浜田氏。その半生を記した本書は、いわゆる自己啓発本や成功物語とは違った意味で、生きていく力をもらえる1冊でもあった。(鎌)
<書籍データ>
『うつを生きる』
内田 舞、浜田宏一著(文春新書1078円)