『週刊文春』石井妙子氏の連載ノンフィクション「ウェンカムイ 死刑囚・木嶋佳苗の生痕」は、筆者の石井氏が木嶋死刑囚の故郷・北海道別海町を導入部で訪ねたあと、法廷での異様な立ち居振る舞いが好奇の目を集めた話題になり、「“共犯”編集者の告白」と銘打った今週の第4話では、獄中での小説執筆を支えたパートナー、『女性自身』の編集者(当時)が、彼女の妖気に飲み込まれるように憔悴し、脳出血に倒れ、離職に追い込まれるまでの流れを追っている。


 昨今の美的感覚では、決して端麗とは言い難い容姿にもかかわらず、婚活サイトなどで男性を次々篭絡して大金を巻き上げ、殺害していった木嶋死刑囚。「(性的な)テクニックというよりも本来持っている(女性器の)機能が普通の女性より高い、ということでほめて下さる男性が多かったです」。在籍した高級デートクラブでも引く手あまただったと主張する彼女は、法廷でそんな「名器自慢」まで口にして、傍聴者を驚かせた。そんな強烈な自己愛の塊だった木嶋死刑囚に、女性自身の編集者が持ち掛けたのは、事件の話でなくラブロマンス的な私小説の執筆であった。


 彼女には願ってもない提案で、さまざまな下調べを矢のように求めつつ大学ノート41冊分もの「超大作」を書き上げた。出版の前倒しも強硬に求めるなど、提案した編集者のほうが気圧される展開となり、やがてストレスのせいだったか脳出血に倒れる。そしてその後遺症を押し、受け取ったのは、性描写と自己陶酔に塗れた原稿の山。女性自身の版元(光文社)はまったく出版を受け付けず、板挟みとなった編集者は、不自由な体で奔走した結果、ネットメディアや他の出版社で何とか書籍化の話をつけ、精魂尽き果てたように業界を去っていったという。


 いずれ連載でも触れると思われるが、木嶋死刑囚と言えば、獄中結婚を3回もして、3人目は『週刊新潮』のデスク。そのことは何年か前、『週刊文春』で報じられている。鉄格子越しでも、次々男性を惹きつける「不可思議な力」を持つ女性。魔術のようなその影響力・支配力は、彼女の「独占情報」を渇望するメディア関係者にも及んだ。


 先週号の第3話「劇場型裁判と朝日手記」によれば、彼女はゴシップメディアのみならず『朝日新聞』をも操った。一審判決の日、朝日のウェブ媒体・朝日デジタルには、彼女自身による長大な独占手記が載った。しかし内容は、検事の批評や獄中での健康法など取りとめのない雑文。「このような手記をわざわざ死刑判決が出た当日、発表することに、なんの社会的な意味があったのだろう」と石井氏は問う。朝日の担当女性記者は、跳ね上がったアクセス数を自社発行の『ジャーナリズム』誌で自画自賛。石井氏は「新聞の誇りは、いったい、どこに行ってしまったのか」と呆れ果てている。


『サンデー毎日』今週号には、「共産党を除籍、排除された漫画評論家」という地方の元党員の取材記事が載った。先に共産党の党首公選制などを書籍で提案し、党を除名されたジャーナリスト・松竹伸幸氏を擁護するブログを書いたことが原因。私はふと、30余年前の冷戦終結時を思い出した。あのときにも共産党員の不満が相次いで漏れ出して、『週刊朝日』は何本もの記事を載せた。外部には内情を決して明かさないはずだった政党も、激動の時代にいよいよ変わろうとしている――。そんな期待が高まったが、結局は一過性の党の動揺に終わった。いい加減共産党もそろそろ風通しをよくしないと、支持は先細る一方のように思われてならない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。