50歳の声を聞くと周囲で増えてくるのが親の介護にまつわる話。自らの健康状態、将来の介護についても不安になり始める歳頃だ。『介護格差』は介護をめぐる経済、健康・医療、情報、地域、親類・縁者、世代・意識の格差の実情を明らかにしつつ、介護の課題をあぶりだす1冊である。
さまざまな格差のなかでも、思いのほか大きいと感じたのは「地域による格差」である。昨今、地域による介護保険料の格差は広く知られるようになったが、本書が指摘するのは介護保険サービスの提供状況だ。
その大きな要因のひとつが介護人材の不足である。人口減、ヘルパーやケアマネジャーの高齢化により介護サービス提供体制の先行きが心配される地域だけでなく、〈小さな離島では、もはや介護サービスは存在せず介護保険料だけが徴収されている事象もある〉という。
ある程度以上の規模の都市に住んでいても安心はできない。
市町村による「高齢者福祉サービス」の実施は市町村の判断にゆだねられ、地域間の格差につながっている。また〈市町村(保険者)の法令解釈の違い〉による格差も存在する。
公務員に異動はつきものだが、〈市町村の担当者が異動で変わり解釈が変更されたことでサービスが利用しづらくなることもある〉というから厄介だ。
2019年に金融庁が出した『高齢社会における資産形成・管理』は、老後への備えに2000万円が必要として国民に衝撃を与えたが、おカネがあるだけでは解決できないものもある。病院への入院や高齢者施設への入居などで求められる「身元保証人」の問題だ。
昨今、身元保証人を請け負う会社も出てきてはいるが、〈民間の身元保証会社に対しては公的機関の監査・指導体制が制度化されておらず、あくまで市場経済の範疇でしかない〉。会員からの資金を流用し破産状態に陥ったケースもある。
■ロスジェネは介護も危うい
これからの問題として大きいのは何と言っても「世代間の格差」だろう。
団塊の世代と並んで高齢化の大きな山となる団塊ジュニア世代に介護が必要になる2050年以降には、地域の格差、失われた世代の蓄財の不足、医療・介護・年金など社会保障関連の財源不足、下の世代の少子化に伴う介護の担い手不足など、介護を巡る諸問題が現在をはるかに上回るレベルになっている可能性が高い。
医療と介護の連携強化やICTの導入による効率化、資格制度の見直し、外国人介護士の増加、支援ロボットの導入など、できることはまだまだあるが、マクロレベルの大きな変化にどこまで対応できるのだろうか?
介護を見据えて個人レベルでできることとしては、まず「かかりつけ医」を見つけておくこと。
介護認定などで突然シャキッとする高齢者のエピソードは「定番」だが、〈普段から主治医(かかりつけ医)とつきあって通院する医療機関が定まっているか否かによっても、介護生活は大きく変わる〉という。
そして、〈若い時から人間関係の重要性を認識し「人付き合い」を心がけておく必要がある〉。特に気を付けたいのは男性だ。学歴や現役時代の職歴にこだわって、デイサービスや高齢者施設で周囲に打ち解けない高齢男性は珍しくない。介護施設でお気に入りの仲間たちと「ガールズトーク」を繰り広げる女性陣に対し、ポツンとひとりの男性高齢者はよくある風景だ。
著者が長年の経験から、介護生活に大きな影響を与えると考えているのが、介護を受ける人の「人間性」や「人柄」だという。親族や友人、介護職員が気持ちよく支えてくれるほうが介護の質は上がるのは容易に想像がつく。
ちなみに、十分な蓄財をしていても、〈過剰なまでの「ケチ」になると親族にさえ敬遠されて支援を得づらくなる〉という(高齢者でなくても同じだが……)。
著者は介護予防として元気なうちは働くことを進めているが、社会性を保ちながら稼ぐという意味でも働くことは有効なのかもしれない。人柄がよくてケチではなくて、働き続けて介護に備える……。これからの高齢者に悠々自適はないのかもしれない。(鎌)
<書籍データ>
『介護格差』
結城康博著(岩波新書1100円)