「コメがない!」「コメの値段が高い!」と大騒ぎになっている。確かにスーパーに行ってみると、いつもコメを置いている場所にコメがない。そういえば、しばらく前、スーパーで買い物用カートにコメを積んでいる主婦の姿をたびたび見た。今日はコメの安売りをしているのか、と感心していたが、その頃、九州で豪雨が続いていたからコメの価格が上がると感じて早めに買っていたようだ。こうした行動が連鎖的に起こったのだろうが、たちまちコメ不足が起こった。


 農水省は「コメはあります。じきに新米が出ますから」と鎮静化を図ろうとしたが、効果はなかった。むしろ、コメ不足に拍車をかけた。新米が並んでも価格は高騰した。例年、新米なら5キロで2000円くらいだろう。ところが、今では3500円くらいに値上がりしている。しかも、「お一人様1袋」と札がかかっている。大阪府知事は「備蓄米を放出すべきだ」と発言したが、農水大臣は「新米が出るので、コメ不足は解消します」と言い続けた。


 コメ不足と言えば、30年ほど前になるだろうか、細川内閣以来だ。当時のコメ不足も7月ごろの端境期だったと思う。実はこのとき、大手精米業者を取材したことがある。すると、「コメはありますよ」と真顔で言うのだ。どういうことなのか聞くと、こんなことを話してくれた。


 通常、この時期は新米が出回るのだが、どういうわけか毎週土日に雨が降る。農家には爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんの「三ちゃん農業」と呼んでいる「二種兼業農家」が多く、田植機やコンバインを動かすのはもっぱら勤め人である父ちゃんの仕事で、いつも休日の土日に動かしている。だが、今年は土日に雨が続き、コンバインを動かしての刈り入れができない。3週間も土日に雨が降ったため、当然、新米が出回らない。だから精米業者も困っている、ということだった。


 まぁ、それでもこのときのコメ不足騒動の功績は、それまでの農家保護のため「1粒たりとも入れない(輸入しない)」と言っていた国会議員のセンセイ方も細川内閣のコメの輸入に賛成したことだった。だが、その頃の日本のコメ消費量は年間900万トンだったように記憶している。ところが今のコメ消費量は700万トンだという。20年で200万トンも減ったことになる。今回のようなコメ不足騒ぎが起こると、ますますコメ消費量は減るだろう。


 ところで、今回のコメ不足は訪日外国人によるコメの消費増が11万トン、小麦の価格高騰からコメに回帰した消費増が9万トンに上ったこと、さらに供給のほうでは豪雨による生産減が5万トン加わったためだと説明されている。さらに推測を加えれば、第二種兼業農家ではさらなるコメの値上がりを見越して売り惜しみをしているだろう。おそらく、大阪府知事が備蓄米を放出すべきだと言ったように備蓄米を放出すれば、コメ不足は解消するだろう、いや、値下がりを予測して売り惜しみをしていた農家が我先に売り出してコメ価格は急落しただろう。


 それにしてもなぜ急にコメ不足が起こったのだろう。新聞やテレビでコメ不足を取り上げていたが、もっぱら、線状降水帯の発生に代表される豪雨、原油や肥料の値上がりで生産量が増えない、果てはインバウンド客が多くなり日本米の消費量が増えたためだ等々、表面的な話ばかりだ。コメンテーターとして並んでいる経済評論家やエコノミストのなかには根本原因を知っている人もいるだろうに、と思う。


 本当の原因は農業の構造にある。周知のように日本の農業は専業農家、一種兼業農家、二種兼業農家が担っている。言うまでもなく、専業農家は農業専門で規模も大きい。一種兼業農家は雪国に多く、冬場は農業ができないため、出稼ぎに出たり、近くの工場などで働いている。私の知人の奥さんの実家も五町歩の田圃を耕作しているが、雪が積もる冬場は近くのスキー場で働き、雪が溶け始めると農業に戻る。


 二種兼業農家は先述したとおり、三ちゃん農業である。この二種兼業農家は人数も多く、自民党の岩盤支持層だ。なにも岩盤支持層はトランプさんだけではない。日本ではもっぱら「保守王国」と呼ばれている。


 なにしろ、10町歩以上の田圃を耕作する専業農家や一種兼業農家は大型の耕運機やコンバイン、小型無人ヘリコプターを使って肥料や殺虫剤散布を行なっていて夫婦以外には従業員やアルバイトが加わる農業だから票の数は夫婦2人の2票だが、五反歩程度の田圃でコメをつくっている二種兼業農家の票数は4票くらいある。農業の大規模化を推進するよりも、三ちゃん農家の利益を守る体制を維持したほうが自民党議員にとっては当選確実になるから大事なのだ。


 農水省のなかで日本農業の活性化として大規模化を構想しても自民党政権下では相手にされず、実現しなかった。その好例が秋田県の八郎潟干拓事業だ。1世帯30町歩以上の大農経営を行なうパイロット事業として全国から希望者を募りスタートした。ところが、途中で農業政策が変わり、最大15町歩に制限され、大規模農業を夢見た農民は成長していた稲を耕運機で潰させた。そして農地には稲作でなく野菜をつくらされたりしたのである。


 だが、消費者の食生活はコメ離れが進み、コメの消費量は年々減少しているため、コメが余ってしまう。この余剰米対策として、減反政策が始まった。コメをつくらず休耕田にすれば、補助金を出すという政策だ。一説には「日本の農業は5兆円の生産だが、3兆円の補助金を出していると言われ、これはもはや、産業とは言えない」と言う声すらあった。


 その後、農民が高齢化、さらに農業を止める人が増えて岩盤支持層は揺らいだが、それでも、かつてのように自民党議員を当選させることはできなくなっても、落選させる力を維持しているから、政府の農業政策を変えることはできなかった。その結果のひとつがたまたま雨が多くなったことから起こった細川内閣時代のコメ不足だ。


 この農政を大きく変えたのが08年に政権交代した民主党政権だ。民主党幹事長だった小沢一郎氏が主導した「戸別所得補償方式」である。国内消費量に相当する量を生産する田圃を申告してもらい、コメ価格が急落した場合は、その田圃で生産したコメの生産費を政府が保証するというもので、農家は決して損が出ない仕組みだ。申告しない田圃ではコメをつくってもよし、野菜をつくってもよし、という仕組みだ。当時の目論見では日本のコメは美味しいと中国で評判になっていたから、申告農地以外の田圃でつくったコメを50万トン以上輸出できると見られていた。この方式なら国内消費量を確保できるし、休耕田をなくすこともできるし、だいいち減反補助金を出さずに済む。


 実は、この戸別所得補償方式は当時、農水省が検討していたものだったが、民主党政権誕生時に小沢氏が「戸別」という仕組みを取り入れて成立させたものだった。当時、「小沢が農水省の構想をパクッた」とも言われた。ともかく、「戸別」としたのは、3ちゃん農業の担い手である2種兼業農家にも気を配り、反対を抑えるためだったのだろう。実際、たまたま東北地方に行った折、田圃を見たら、所得補償を申告した田圃には縄が張られ、その縄に「所得補償農地」と書いた紙が張り付けられ、風にひらひら舞っていた。その隣の申告していない農地には以前と同じように稲が実っていた。


 この戸別所得補償方式は賢い方法だ。というのも、農業国でもあるフランスではこの方式が採られていた。アメリカでも一部で同じような政策が採られてもいた。一方、日本では休耕田補助金が出されていたため、アメリカから「補助金政策だ、アメリカのコメを買え」と始終言われていた。ところが所得補償方式は補助金には当たらないし、ヨーロッパではアメリカの農産物に対抗するために各国で広く行なわれている方式だけに、アメリカも文句を言えないのだ。この戸別所得補償方式は「新薬創出加算適応外薬・未承認薬解消」とともに民主党の優れた政策だったと言える。


 ところが、民主党政権は3年で潰れ、第2次安倍内閣が誕生した。安倍晋三首相(当時)は民主党政権がつくった政策をことごとく潰しにかかった。第1次安倍内閣時代に年金問題から参議院選挙で過半数を民主党に奪われたことに怨みがあったのだろう。だが、新薬創出加算と戸別所得補償方式の2つは中身がよかったからか、潰す名案がなかったからか、すぐには潰せず、3年近くかかった。


 新薬加算は毎年改定で潰し、コメのほうは所得補償を止める一方、余分な田圃には飼料米をつくらせ、補助金を支給する方式に替えた。家畜の飼料が不足していたからだが、有り体にいえば、テイのいい休耕田だ。荒れたままにせず飼料用作物を栽培させるようなものである。すると、農家は補助金で確実に儲かるから飼料米のほうに力を入れるようになってしまった。むろん、飼料米とは手間暇かかる稲より麦のほうが主力になったのは言うまでもない。だが、コメの消費がインバウンドで増え、水害で正規米が少し減ると、たちまちコメ不足に陥ってしまったのだ。これが今回のコメ不足を起こした根本原因であり、構造的な問題である。


 今回のコメ不足に対し、確かに備蓄米を放出すると言えば、売り惜しみしていたコメや、在庫になっていたコメ、流通途上のコメなどが急遽、出回ることになるだろう。だが、こうしたことは一時的な対症療法に過ぎないのではなかろうか。構造的な農業施策を変えなければ、異常気象のたびごとにコメ不足が起こりかねない。地球温暖化が進んでいるそうだから、今後、たびたび起こりかねない。


 農業施策と言えば、昨今は農民の高齢化が進み、農業を続けない農家が増加している。ほとんどは後継者難だ。多いのは二種兼業農家である。そりゃそうだろう、農家には休みがない。土日は休日だからといって稲刈りを月曜日に延ばすわけにはいかない。イネは生き物だから時期が来たら田植え、刈り取りをしないと時期を逸する。農繁期は言うに及ばず、農閑期でも草取りや農薬や殺虫剤の散布、朝夕の水の管理などあるし、野菜の栽培もあるだろう。


 非農家の多くの家庭では、休みもなく忙しい農家に可愛い娘を嫁にやりたくないだろう。だいいち、農家の長男自身がサラ―リマンをやっている。今さら親の後を継いで農業なぞやりたくない……。後継者難から農業放棄が起こるのは当然の帰結だ。


 農協や市町村が廃業した農地を借りて農業を続けてくれる人を探している。だが、そうそう見つかるわけがない。先日、テレビを見ていたらコメンテーターが「こうした農地を集めて大型農業をやればよい」などと言っていたのには笑ってしまった。あっちに5反、こっちに8反、向こうに1町歩の土地で大型農業ができるわけがない。大型農業というのは1ヵ所に数十町歩以上の土地で行なうものだ。大型の農機をあっちこっちに動かしていたら効率化にならないくらいわかりそうなものだ。


 要は誰も農業問題を真剣に考えていないことだろう。そしてこれからもコメ不足が忘れ去られたころに、またコメ不足が起こることになりそうだ。(常)