【はじめに・その2】


●本質的な「成長戦略」を描けない政府方針


 前回、次回からは、データヘルス計画の詳細を示しながら、その目的と期待されている「効果」のあり方を眺めてみたいと述べたが、その前に6月に相次いで出された政府機関による、2018年以降をターゲットにした社会保障制度改革に関連するいくつかの方針について、課題を見ながらイントロダクションを続けてみたい。


 6月に示された方向性は、いずれも「データに基づく」ことが強調されている。そのために、政策方針がいかにも客観性に富み、恣意的な政策展開ではないという印象を与える。それだけに、その内容は今のうちに吟味されてしかるべきであり、細部の政策内容が決まるまでに、考え方の整理と進む方向性、つまり、進路を見定めておく必要があると思われる。


 前回でも触れたが、どちらか一方に都合のいい解釈と整理で話が進んでいくと、特に医療サービスについては、国民皆保険制度の崩壊の序曲につながる可能性をはらむ。背景に、米国側の事情によるが、TPPが急速な展開を見せ始めたことともリンクした視点が必要になる。


 ここでは、6月に示された2つの政府政策の要点を振り返ってみる。


●国民の疑問がインパクトにならないマジック


 最初は地域構想づくりにつながる政府の姿勢だ。2025年に地域の医療病床をほぼ1割カットするという方向性は、各方面に衝撃を与えた。6月15日に示された政府の「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」の報告書である。13年の病床数134万7000床を25年には「必要病床数」として115万〜119万床と算定、16万〜20万床は在宅、介護施設に転換するというものだ。


 診療データや人口動態データなどが、この算定の根拠として使われたとされるが、むろん国民の関心は今後も高齢化が進む、特に団塊世代が後期高齢者となる25年に、なぜ1割の病床数が削減対象となるのか、むしろ増えてしかるべきだという漠然とした疑問を抱える方向に向いたことは確かだ。


 当然ながら、このような人口の高齢化が進めば、現行規制通りでも150万床の病床は必要になる。しかし、そこにインパクトを置いた報道は、一般紙ではあまり見えてこない。政府は「ビッグデータ」とは、いくらなんでも表現していないが、専門家がデータに基づいて算定したことを強調する報告であったことは確かで、メディアにはこうした説明に多少の「怯み」があるのではないかという印象が残る。


 インパクトを薄めているのは、都道府県別の病床数算定が大都市部では増床を予想し、地方では大幅な減床を示したことだ。一般論でこの数字に対する感想を示せば、高齢化がこれから進む大都市部では病床はやはり必要で、すでに高齢化が進み、25年には多死社会となっている地方ではベッドは要らないだろうという理屈だなと読める。データではそうなるよな、というところであり、予想通りであることが衝撃を消した。


 必要病床数が増えなければならないとされたのは、大阪府(必要増床分1万1000床)、神奈川県(同9400床)、東京都(同5500床)、埼玉県(同3600床)、千葉県(同3000床)、沖縄県(同700床)の6都府県だけだ。その他の道府県は、鹿児島県、熊本県、北海道がいずれも1万床を超える減床算定となり、県別のバラつきも少なくない。福岡県、山口県、静岡県は7000床を超えるが、近畿圏は増床の大阪府を除く5府県合わせても1万床をわずかに超える程度にとどまる。


 それでは、推計の根拠は何なのか。調査会は、医療需要や患者数データをもとに、病床稼働率の逆数をかけて算定したと説明している。意味がよくわからないので、これは追い追い検証するとして、こうした説明で納得できる根拠とすべきかどうか。例えば、こうした数字にかなり単純な係数をかければ、「必要医療費」も算定できるのではないか、都道府県別の医療費適正化指数も標準化できるのではないかとの考え方も出てこよう。すると、西高東低といわれる医療費と病床数の関係はパラレルでいいのかという話にもなってくる。


 現段階で、都道府県の反応は一様ではないし、これに反応しているのは医師会や病院団体だが、いずれも否定的なニュアンスが強い。背景に、医療のフリーアクセス制限や、自由開業制への踏み込みが隠れていることが想定されるだけに、首肯できる話ではないことは当然の反応といえよう。


●変数をセットすればキャップではない?


 政府調査会の報告が25年を基軸としているのに対し、再度の消費税増税を控えて注目されていたのが、6月30日に閣議決定された「経済、財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針2015)だ。「日本再興戦略(成長戦略)改訂2015」「規制改革実施計画」とセットでの決定である。その前に示されていた骨太の方針素案では、方針策定について、「データに基づく医療・介護提供体制の適正化」が示されており、前記6月15日の政府調査会報告書は、一連の政府政策方針のひとつだ。


 骨太の方針2015では、社会保障費の伸びについて、「安倍内閣のこれまで3年間の経済再生や改革の成果と合わせ、社会保障関係費の実質的な増加が、高齢化による増加分に相当する伸び(1.5兆円程度)となっていること、予算、物価動向等を踏まえ、その基調を18年度まで継続していくことを目安とし、効率化、予防等や制度改革に取り組む」としている。


 これについて甘利経済産業相は、「目安はしっかりと掲げた。経済成長や歳出改革の過程を変数としてとらえ、柔軟性を持って達成しやすくした」と述べている。あまりよくわからない説明だが、小泉改革時代の骨太方針2006とは違うことを強調していることは明らかだ。小泉政権では、5年間で社会保障費用1兆1000億円(年間2200億円)の削減を打ち出し、実行したが、途中の政権交代で中途半端に立ち消えた。


 変数というのは、むろん政策展開過程で予想される消費税増税、TPP批准による景気変動の不確定要素も織り込み、それにも対応できる「方針」ということが強調されたとみるべきだが、具体的に意味するところは小泉政権がとった「キャップ」を被せるという政策手段はとっていないということだろう。


 しかし、「高齢化による増加分1.5兆円程度」という数値目標は示されているし、前記25年の必要病床数推計を合わせてみれば、一定のキャップを示したと受け取ることも可能だ。事実、医療団体の一部からはすでに「実質的なキャップ」という反応が示されている。


●高齢化を抑止する政策はない


 骨太の方針2015で見え隠れするのは、成長戦略と位置づけながらも、相変わらず社会保障費は「コスト」の概念で、政策目標が打ち出されていることだ。国家経済のプライマリーバランスをとるという視点では、当然コストだが、成長戦略としては、社会保障は微妙な位置づけにある。最近になって「社会保障産業化」という言葉が歩き始めているが、高齢化とそれに伴う社会的コストを成長因子に振り替えようという意識が出始めている。


 社会保障産業化は一見して、世界に例のない高齢化が進む日本では理に適った考え方のように見えるが、それは高齢化の進展を抑止するという展望を持たないと意味がない。前回、人工透析がすでに減少への道を辿り始める兆しがみえ、その理由がすなわち高齢化で、透析患者も亡くなり始めたこと、その展望の中で団塊世代の高齢化が進む中では、人工透析は治療からターミナルケアに意識転換が起こり始めていることを指摘した。人工透析は、日本の国民皆保険制度の象徴的な保険適用技術だが、それが社会的認識の変化とともに胃ろうのようにターミナルケアへの位置づけに転換する途上にある。


●多死社会はすでにスタートしている


 つまり、すでに日本社会は共通認識として、世界に例のない高齢化社会ゾーンに入っていることが合意されつつあり、多死社会を従容として受け入れる準備に入っているということが理解されなければならない。成長戦略は、社会保障を産業化するのであれば、多死社会を阻止する戦略でなければならない。すなわち、介護で生まれる雇用や、ビッグデータ時代、マイナンバー制で生まれるICT産業の国内消費の一時的な浮揚に期待した成長戦略では、もはや埒はあかない。新幹線に火を放たれないように年金12万円でも暮らしが立つ社会的支援体制とともに、人口の維持、高齢化20%レベルの維持といった思い切った成長戦略の中に、社会保障産業が構造化されなければならない。そういう視点に立った成長戦略が描ききれなければ、そもそも「成長戦略」とはいえないだろう。


 変数を織り込んだことで、キャップではないとしながらも、10年後の病床数を示し、社会保障の伸び率をシーリング化するニュアンスが存在すれば、関係者間の合意形成はとりにくい。少子化は騒がれるほど社会的関心はなく、移民政策に至っては未だに誰も口を閉ざしたままだ。時間は経っていく。多死社会はすでに始まっているのに、である。


 政治や産業界の動きをみていると、こうした危機感が何も伝わってこない。ビッグデータは、例えば健康寿命の延伸という期待、終末期医療費の抑制という効果に期待が強いのは当然だ。糖尿病患者の健康管理が奏功することで、医療費適正化の効果は、きっと目に見えるに違いないが、多死社会にあっては、20年を経れば自然に社会保障費の絶対額は減少に転じる。そのとき、CDP中の相対額としてその割合が減っているというのが、本来の「成長」の目標である。(幸)