石破茂新政権の迷走が著しい。満足な国会論戦なく解散することも、裏金議員をみな公認するということも、総裁選中の本人の訴えとはまるで違う。首相にいざ就任してみたら、周囲の人々に手かせ足かせはめられて独自の色が出せないのか、それとも石破氏はもともとこのように優柔不断な人なのか。旧安倍派の有力者にねじ込まれて公認にまつわる処分ができなくなったとか、老獪な森山裕幹事長に主導権を握られてしまったとか、断片的な話がちらほら出てはいるものの、内実はまだまともに報道されていない。何となくのイメージで言うならば、「周囲の頑強な反対」で動けないというよりは、彼個人の「肝の座らなさ」に主たる原因があるように思える。
党内基盤の弱さはもとより自明のことだった。それを一変して盤石なものにするためには、総選挙の公認で「裏金議員」の一部を見せしめ的に排除して、党内の反対勢力(旧安部派)を分断・弱体化する以外、おそらく方法は存在しなかった。だが、石破氏はみすみすこのチャンスをふいにした。高市早苗氏や小林鷹之氏を支持した右派勢力は、この対応を見て石破氏を見くびるようになり、「処分をちらつかせての統制」は今後もう利かなくなるだろう。
総裁選の終了後、石破氏の苛烈な「反対派潰し」があるものと一瞬でも思ったのは、組閣人事にその意思を感じ取り、政治ジャーナリスト・鮫島浩氏のネット記事や動画配信を見てのことだった。鮫島氏は9月30日配信の『プレジデント・オンライン』に「自民党に麻生太郎氏の居場所はなくなった……『石破政権』を生み出した“脱麻生・脱安倍”という強烈な地殻変動」という解説を書いたあと、10月3日のユーチューブ配信で、党役員のポストを拒絶した高市氏と小林氏の行動を「野党宣言」と見なしたうえ、石破氏側の対抗策をこう見立てた。
曰く、両者を支える旧安倍派の裏金議員のうち、石破氏に恭順の意を示す者は別にして、従わない者は非公認にしてしまう。そんなある種の「踏み絵」により、反対勢力をガタガタにする――。これこそが世論の支持と安倍派の分断のふたつを同時に実現する一石二鳥の作戦に他ならないのだと。
結果的にこの動画発表からわずか1日後に、鮫島氏の「筋読み」は外れることがわかるのだが、党内基盤がほとんどない石破新首相がこれ以外の方法で基盤固めをできるかといえば、実際それは見当たらない。かつての小泉純一郎首相や安倍晋三・菅義偉氏のコンビなら、こういった冷徹な「政敵潰し」を躊躇なくやったように思えるが、石破氏はおそらくその性格上、そこまでの「腹の括り方」はできなかったようだ。産経新聞元論説委員長・乾正人氏は4日配信の産経「『自民大乱』の予兆が見えた!『悪党政治家』ではなかった石破茂」という記事で、鮫島氏とはまた違った視点から、石破氏の内閣・党役員人事の問題点を指摘、したたかに敵を取り込む方法でなく「わかりやすい報復人事」をしたことで、選挙後の党内抗争はもはや避けられない事態だと書いている。
今週の『週刊文春』は「石破茂新総理を操る2人の“女帝”」、『週刊新潮』は「包容力なき雄弁家『石破茂』研究」という新首相にまつわる記事を載せているが、どちらもふわっとした人物記事であり、あまり実のある内容はない。次週はぜひ、総裁選から1週間足らずで目まぐるしく動いた(もしかしたら石破政権の短命を決定づけた)権力闘争の内幕を生々しく書いてほしい。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。