肝移植医療の失敗が続き話題となっている神戸フロンティア・メディカルセンター(KIFMEC)を含む神戸医療産業都市は、前回触れたように阪神淡路大震災後の「創造的復興」のひとつとして構想された。2011年3月の東日本大震災でも、その後の創造的復興としてひとつのプロジェクトが進んでいる。東北メディカル・メガバンク(ToMMo)構想である。
ToMMoは、東北大学を中心に、15万人規模のゲノムコホートを実施し、国内有数のバイオバンクの構築を目指す国家プロジェクトだ。「全遺伝子情報や診療情報をデータベース化し、創薬や予防医学、個別医療に役立てる計画」で、総事業費約500億円という大規模事業。もともと、大規模なヒト遺伝子研究のゲノムコホートバンク構想は政府部内で検討が進められてきた経緯があり、2010年11月に開かれた第1回医療イノベーション会議で、バイオバンクの基盤整備が提言され、翌年の11年2月に「個別化医療ワーキンググループ」の1回目の会合が開かれている。
周知のように、東日本大震災は3月11日に発災した。個別化医療WGはその直後の3月末に2回目の会合を開いているが、そこで、同WGのロードマップが決定されている。このWGのシンクタンクとなったのが三菱総合研究所で、その三菱総研理事長の小宮山宏氏が、宮城県復興会議の議長を務めたという経緯、構図をわかっておきたい。同年6月に開かれた宮城県復興会議の2回目会合で、復興事業のひとつとして、ゲノムコホート研究を小宮山議長が提案したとされる。
●神戸がテキスト?
そうした経緯を見る限り、震災後の「創造的復興」のひとつとして、ゲノムコホート研究事業が浮上してきたことは間違いないようにみえる。この点、神戸の場合と発想の点ではよく似ている。というより、神戸が「創造的復興」のひとつとして、医療産業都市構想を練り上げるのに数年をかけているのに対し、宮城県では数ヵ月という速さでToMMoの基盤が構想されている。
もともと前年から医療イノベーション戦略として検討されてきたという経緯はあるとしても、「創造的復興」の具体策として、神戸医療産業都市がテキストになったということは考えられるところだ。神戸が、再生医療を軸に、「先端医療」を標的にし、創薬、医療機器開発を目指すという点でも類似している。ただ、ゲノムコホート研究は個別化医療を具現化する技術開発であって、それに付随する産業振興を目的のひとつにしているのに比して、神戸は医療施設の集積地としてもその経済効果を目的とし、例えばホテル、清掃などといった雇用の集積も狙った部分では、ToMMoはややスケール的には小さい印象がある。
ToMMoは、11年6月の東日本復興構想会議で宮城県の村井嘉弘知事が構想を提案、同16日に第2回医療イノベーション会議で、山本雅之・東北大学大学院医学系研究科長が提案したことで実現へのレールが敷かれた。山本氏は、12年2月に発足した東北メディカル・メガバンク機構の機構長を務める。
医療イノベーション会議での山本氏の提案説明を、いくつかの資料からあたってみると、①地域の本格的な復興のためには、地震と津波によって失った機能をそのまま元に戻すだけでは復旧にすら至らない②東北医療の本格的な復興のためには、長期にわたり地域住民の健康被害に対応しながら復興の核になるプロジェクトが必要③そのため東北に未来型医療の拠点を掲げ④最も必要な人材をひきつける起爆剤とする——などが要旨だったようだ。
この説明では、復旧ではない復興、すなわち「創造的復興」が主張の核であり、その具体策として核となるプロジェクトが必要であり、それが人材の確保につながることが示されている。東北の地域医療で、最もセンシティブな問題は医師不足だ。そのことが仙台への医科大学新設につながっていることは自明だが、復興のカギとして、医師不足にも対応できるプロジェクトがまさに必要だということが、実は論点の中核となっている。
このことは宮城県復興会議でも小宮山氏が、こうしたプロジェクトが現実化することで、研究したい医師が集まりやすくなる、コホート研究の進展でゲノム情報が集約されれば、製薬産業などの企業誘致も可能になるといった趣旨の説明をしたと伝えられる。
なお、このプロジェクトは文部科学省と科学技術振興機構(JST)が進めるCOI・STREAMのロードマップにも位置づけられている。文科省主導のプロジェクトだが、神戸医療産業都市も理化学研究所が中心軸となっており、こうしたプロジェクトに、とりわけ文科省の関心が強いことが窺われる。
COI(センター・オブ・イノベーション)の事業化方針をみると、産学官協同でCOI・STREAMとToMMoが連携し、ToMMoは15万人を対象にしたコホート研究を担当し、遺伝子情報と問診表をDB化し、一方で東北大や東芝などが遺伝的因子、環境因子、生活因子などを母子手帳、医療情報、健診情報などに統括し、これらを総合DB化した「ビッグデータ解析」を行い、その解析に基づき将来の健康状態を予測することが語られている。「生活習慣病を含むより広範囲な疾病をより高精度に将来の健康リスクを算出する」とするが、こうした事業に不安と危惧を持つ人々が出てくるのは自然の流れともいえる。
●倫理面での対応はアピールしているが
こうした危惧に対応したことはToMMoでも示している。12年10月からは、文科省が「倫理・法令全国WG」を設置して、ToMMo外関係者による、倫理問題の審議を行ったこと、東北大、ToMMo両者によるガバナンスの整備などで、倫理面での批判に対応する姿勢を強調している。
ToMMoのコホート遺伝子解析の目標を詳しく見ると、①難読領域解読によるToMMo全ゲノムリファレンスパネルの高精度化②その継続的取組み③三世代ゲノムを活用した疾病責任遺伝子の探索④その探索に特化したジャポニカアレイV2設計(COIと共同研究)⑤参照DBの確立とゲノムとの統合解析——などが示されている。日本人のこうした統合解析が必要なことは、「現状では世界で唯一コーケシアンのものしかなく、日本人とはかなり異なる」ことが説明されている。
日本人はモンゴロイドであり、コーカソイドとは違うという人種的な差異の遺伝子研究が必要なことはいうまでもないが、それがパーソナル・ヘルス・レコード(PHR)として、集積され、個人情報がゲノムレファレンスパネル化されることは、もう少し、国民レベルでわかりやすく説明し、合意形成を得る必要があるという批判が出てくるのは当然の帰結であろう。むろん、前述したように、ToMMoも倫理に関する審議基盤を構築し、研究運用のガバナンス体制を整備しているのだろうが、欠けているのはもう少しオープンにされた国民的論議といえる。
ToMMoにおけるゲノム解析は、現時点で1070人分の全ゲノム解析が完了している。単独の施設、単一の方式で遺伝的に均質性の高い国民集団を高精度に解析した例は世界に例がない。また、それによって1200万個以上の新規の遺伝子多型を収集している。頻度5%以上の遺伝子多型の頻度情報は昨年8月に一般公開されているが、その情報も国民に周知されているとは言いがたい。確かに疾病リスクを、こうした遺伝子多型情報で適確に掴む期待は大きいが、その運用には別のリスクも存在する。
●災害便乗型のプロジェクトとの批判
当然のことながら、こうしたToMMoの動きに対する警戒、批判も少なくはない。批判はやはり倫理面のリスクに集まるが、こうした「創造型復興」で医師不足に対応しようとする動機の正当性、また被災地の医療提供体制が完全に「復旧」していないのに、こうした事業に多額の資金(約500億円)が注ぎ込まれることへの不満である。
また、倫理的側面でも、医療倫理の問題と、いわば便乗型ともいうべき復興の名を借りた言葉は悪いがドサクサ紛れの事業導入の倫理的可否という2つの問題がある。
宮城県に在住する医師である水戸部秀利氏は、医療系雑誌でヘルシンキ宣言の13年改定版で示された、弱者集団および個人を対象とする医学研究が「当該集団の医療ニーズや優先事項に応えるものであり、かつ非弱者集団では実施できない場合のみに正当化される。さらに対象となる弱者集団は、この研究の結果として得られる知識、診療、医療介入等の恩恵を受ける立場にあらねばならない」と規定されたことを根拠として、被災者は医療的にも経済的にも困難を抱えた社会的弱者であり、被災地での遺伝子研究はヘルシンキ宣言に抵触しているとしている。
むろん、議論になることは目に見えるが、やはり被災地で遺伝子コホート研究をスタートさせることは、多少の違和感は否めないのも理屈である。逆説的には、こうしたコホート研究が被災地でなければできないという根拠は何もない。カネがないから今までできなかったが、復興支援で予算化されるならやりましょうというように、映じるのは仕方がない。さらに、こうしたパネルないしは情報が、どのような経由をたどって、具体的に何に活用されるかもまだ不透明だ。
言ってしまえば、特定健診の始まりと同時に、モデル地区を作って、住民合意を得て、こうしたプロジェクトが発進するのがベターだったといえるだろう。特に遺伝子情報は、すでに米国では民間医療保険の加入者の弾き出しなどにも使われている例もあるといわれている。将来的には被災地だけではない「弱者」を作り出す可能性すらあることも材料にして、繰り返しになるが国民的合意をめざした「わかりやすい」議論が必要であろう。脳死移植の問題や、尊厳死の課題など、意見は四散し、合意を得るのがほど遠いと考えられるテーマは多いが、だからといって被災地振興(創造的な)を理由にした、このプロジェクトに批判が生まれるのは必然的な流れだということはできる。
●カネの使い途の優先順位は検証されているか
このようなプロジェクトが進む一方で、「復旧」はどうなっているのか。宮城県医師会の嘉数研二会長は4月に行われた医学会総会の震災をテーマにしたセッションで、津波被害が甚大だった石巻、気仙沼の現状を会員アンケートの結果で報告したが、9割以上の医療機関が移転を含めて再開に漕ぎ着けていたが、機能は5割以上が以前に戻っていないことを明らかにしている。
平たく言えば、実は1割の医療施設が減ったのであり、医療提供体制が完全に復旧したわけではない。看護師不足、そして患者そののもが減っているという現状の中で、現実には医療機能が損なわれている状態は継続している。特に、復活のための資金的支援も十分ではないことを、同会長は強調した。カネの使い途の優先順位がちがうのではないかという率直な疑問も生まれる。
神戸でもそうだが、「創造的復興」は、被災地の復興手段としてデメリットがあるわけではない。しかし、便乗的な印象でハード的な復興、新事業への優先配分という図式には、被災者がどこにいるのかという問いも生まれてくる。
復興特区として、東北にカネが集まるのは当然だが、人びとの暮らしや健康を守る体制が整備されることが優先だという意識が、ToMMo構想をスタディにするとやや薄れている印象は免れない。何よりも、そうした背景の中に、医療の先端性にのみ光が当たって、それが将来の仕組み、制度構築にどう影響していくのかという先が読めない。弱者を守るという目的が強く意識的に内包されないと、どんなプロジェクトも国民に不安を与え、そして不信につながるようにみえる。
次回は、この連載を振り返って、いわゆる米国型医療制度への舵取りのリスクを総括し、まとめにしたい。(幸)