先日の衆議院選挙とアメリカの大統領選挙報道で、ほとんど話題に上らなくなったが、総選挙前に問題になったのが農林中央金庫の巨額損失だ。なにしろ、農林中金は24年4~6月期決算で4127億円の純損失を出し、来年3月期決算では1兆5000億円の赤字を見込んでいる、というのだ。4月から6月までのたった3ヵ月で4000億円の損失を出し、年間では1兆5000億円の赤字になるというのだから驚く。しかも、農林中金は米国債を中心に運用していて、実際の債券評価損は2兆3000億円で、発表された4000億円の評価損という数字は利益を差し引いた数字だという。
農林中金の巨額損失はリーマンショック時の5000億円の損失に続く2度目である。リーマンショック時は民間銀行も巨額の赤字を抱え、銀行再編に発展。その騒ぎで農林中金の巨額損失ぶりは陰に隠れてしまった。だが、今回は大手民間銀行がどこも数千億円の利益を上げているのだから、農林中金の資金運用は見事に失敗したと言うしかない。
それにしても、驚くのは農林中金の運用金額だ。農林中金の総資産は100兆円で、そのうち資産運用規模は50兆円に上る。庶民には信じ難い金額だ。今回の含み損はもっぱら米国債を中心に投資していたが、米欧の金利上昇と円安の進行で債券相場が下落。巨額の損失を出したと説明されている。農林中金では25年3月期に見込まれる1兆5000億円の損失は、出資者であるJA(農協)グループと協議し、JA(農協)が1兆3000億円規模の出資をすることで健全化すると説明する。
この巨額損失は新聞や経済誌でも大きく取り上げられたが、多くのエコノミストたちはもっぱらゼロ金利下で運用難から金利の高い米国債に偏った投資の結果だと解説している。
しかし、リーマンショック時といい、今回といい、巨額損失の根本原因は農協組織の構造問題ではなかろうか。周知のように農協組織は、農産物の販売、農業指導、金融の3部門から成り立ち、金融部門は都市近郊にある農協バンク、その上位組織に当たる都道府県単位の県信連、さらに農林中金という形になる。
この組織は巨額の資金を持つが、それは農業収入から貯金したものではなく、都市近郊の農民が土地を売却した数千万円から数億円単位の貯金や、田畑に建てたアパートの賃貸料の貯金である。
東京都には田畑は多摩地域以外にはほとんど見当たらないが、東京都の農協預金額は全国のトップクラスだ。むろん、神奈川、埼玉、千葉などの近郊地域の農協は莫大な預金量である。
だが、都市部では農業をしている人は少ないから農協バンクは貸出先がない。そのため、単位農協は上部組織の県信連に預金する。しかし、県信連も融資先がないから、農林中金に預金する。農林中金はゼロ金利下でも単位農協への利子と県信連の利子分を生み出さなければならないから貸出金利は高くなる。しかも、農民は大規模農業をする農家以外、借りる必要がないから貸出先がないのだ。
だいいち、大規模農業を行なう人は金利の高い農協系銀行を敬遠、民間銀行から借りてしまう。農林中金は農林業に融資することが建前になっているが、農業、林業には融資先がほとんどないのが実情だ。そのため、農林中金は国債に投資したりするのだが、国債の金利もゼロ金利下で利益が生まれない。勢い、金利が5%を超える米国債に大量購入するのだ。今回の巨額損失は金利低下で米国債相場の価格が下落。巨額損失が出てしまったというものだ。
だが、リーマンショックの時も農林中金の貸付先の多くは不動産業者だった。当時の農林中金の言い分は「住宅を建設するときには木材を使うから林業の振興になり、農林業関連融資であり、農協資金の貸出先として問題はない」と理屈づけていた。当時の損失は単位農協から少々の不満があったが、結局、農協が出資して穴埋めした。今回も同様の穴埋めをするということだろう。
リーマンショック後、農林中金の中堅幹部のK氏と知り合った。K氏は「総選挙の告示日に農林中金に行ったことがありますか。空っぽですよ」と言うのだ。「告示日には各候補者が決起集会を開きます。農林中金のある東京第1区の自民党の決起集会に農林中金の男性職員全員が駆け付けるんです。その日に農林中金に行くと、女性職員しかいませんよ」と笑うのである。
K氏によれば、リーマンショックで多額の赤字を抱えたことから農林中金の中で中堅幹部や若手職員から農協全体の改革の声が上がり、農林中金は指導員を各地の農協に派遣し改革に乗り出したことがあるそうだ。30歳代後半のK氏も農協改革のために地方の農協に派遣されたという。だが、K氏によれば「でも、改革はできませんでした」と語る。以下はK氏の話である。
「単位農協に行って、まず驚くのは価格が高いことです。農家に販売する種や苗、肥料、殺虫剤など、すべて民間の業者より2割から3割高いんです。農機具もそうです。そんなに高くてどうして売れるのか、というと、組合員である農家は購入時にお金を払わなくともいいんです。まぁ大福帳ですよ。秋にコメを収穫したとき、農協を通して販売しますから、その時に精算することができるんです。むろん、大規模農家は価格の高い農協からは種も肥料も農薬も買いません。大規模農家は種苗会社や肥料、農薬メーカーの代理店と価格交渉して安く購入しているんです。農機具も農協が扱うのは小型がほとんどですから大規模農家には売れない。それどころか、大規模農家は利用価値がないから農協にも加入しませんよ」
北海道の大規模農家などではアメリカの、大型耕運機やコンバイン、イモ掘り機などの中古品を購入し、整備して使っているそうだ。
「それでもJAバンクには預金が集まります。しかし、預金が集まっても貸出先がない。せいぜい大都市近郊の組合員の農家が畑や空き地にアパートを建てて副収入を得たい、とアパートの建築資金を借りるくらいしかない。むしろ、地域の中小企業や不動産業者が準組合員になって借りることのほうが多い。仕方がないからJAバンクは預金の大部分を上部組織の県信連に預金する。県信連も貸出先がごく少ないから農林中金に預ける。むろん、農林中金は県信連に利息を払わなければならないから、勢い不動産業者や住宅メーカーに貸し出し、あるいは、国債などに投資して運用するしかない。リーマンショック後、世界の金融市場で活躍するフランスのアグリバンクのようになることを目指しましたが、運用知識がないから無理です。真似たのは米国債に巨額投資したことだけです」
コロナ後、金利低下が起これば、農林中金が巨額の赤字を抱え込むのも当然だったのだ。改革はこうした農協組織全体の構造を変えようと目指したが、頓挫したという。
「農協の職員にハッパをかけて肥料や農薬などをメーカーと交渉して安く購入し、農家に安く販売できるようにする一方、大規模農家には組合員になって購入してくれるように説得したんです。ところが、その最中に地元選出の国会議員から『波風を立てるな』とストップがかかったんですよ。いえ、地元だけではありません。農林中金本部にも国会議員から圧力がかかり、改革を止めて元の職場に戻るように指示されたんです」
まるで、テレビドラマに出てくるようなことが起こったのだ。それから数ヵ月後、K氏に電話すると、「もう農林中金を辞めましたよ。愛想が尽きましたから。今は外資系の会社にいます」と、いうことだった。以前、小泉進次郎議員が自民党の農政部会長就任後「農協改革をする」と宣言したことがある。父親の純一郎元首相はよかったかどうかはともかく、いち議員の頃から郵政民営化を叫び続けていたこともあるから、息子の進次郎議員も本格的に農協改革をするだろうと思ったら、いつの間にか農協改革の話はどこかに行ってしまった。自民党の農林部会で批判されたらしい。小泉議員の農協改革宣言はマスコミ向けリップサービスだったのだろうか。
農林中金の巨額損失問題は米国債投資の失敗だけの問題ではない。今年のコメ価格は不足感が広まり、昨年より5キロ当たり1000円以上値上がりしている。円安を原因に農薬も肥料も高騰していることもあるが、農協はいち早く農家から高値で米を集荷購入している。農家も農協も潤っただろうが、その高騰での儲けが巡り巡って農林中金の損失を埋めることになるのだろう。消費者だけが高騰したコメを買ったことになる。
農林中金の巨額損失をなくすためには農協そのものの改革を論じなければ解決しない。さもなければ、数年おきに巨額損失が起こることになるのだろう。(常)