昭和から平成にかけ、国政選挙を毎回それなりに取材していたころ、素朴な疑問として脳裏にあったのは、「組織票」なるかたまりへの違和感であった。所属する会社の経営者が誰を応援しようと勝手だが、社員にまで同調を求めるのは問題だし、あまりにも簡単に指示に従う社員が多いことが不思議だった。実際とくに地方の選挙では、そういった組織票が付くか付かないかで、候補者の強弱が決まっていた。企業票のみならず、地域別の応援でも組合票でも宗教票でも同じことだ。所属する集団の「上の人の指示」に従う投票行動は、我が国の政治風土の後進性を示していると思っていた。


 だが今思えば、あの時代のほうがまだマシだったのかもしれない。いったい誰に自分の1票を投じるか、そのことにそもそも何の考えもない人は、せめて「身近な目上の人」の指示を仰ぐほうがまだ健全ではないか。それほどにSNS時代の投票行動には「突飛な現象」が目に余る。地縁血縁や組織への帰属意識がどんどん薄まるなか、「何の考えもない人」が、その「空っぽの判断力」で動いてしまうのだ。たとえば、わかりやすい動画キャンペーンなど、すべて都合のいい一方的発信に過ぎないのに、一定数の人は「マスコミとは異なるより深い情報源を得た」と思い込み、中身よりも手法に共感してしまう。


 あの「ガーシー候補」の当選以来、そういった危うい有権者の出現には気づいていたのだが、あの種のインチキ臭い「流行」に引っかかる人がそれ以降、どんどん増えてきた気がする(極端なことを言えば、闇バイトが流行してしまう現象にも、同じような“判断力の低下”があるように思える)。この調子なら、醤油さしをペロペロ舐める動画を自撮りする人が、国会議員に選ばれる日が来ても私は驚かない。先の東京都知事選や今回の兵庫県知事選で、怪しげな「動画プロパガンダの扇動」が異様な盛り上がりを見せていることも、結局は同じような現象に映る(それぞれの“バズり候補”に関しては、ネット書き込みのバイト募集が行われている)。


「103万円の壁」というピンポイントの公約で躍進した国民民主党キャンペーンの「バズり方」に関しても、必要な財源の大きさや効果への疑問等々の事情がわかるにつれ、同様の「いかがわしさ」を正直感じている。「バズらせた者勝ち」という風潮にマッチしたいかにも今風な「支持のされ方」ではなかったかと。


 今週は『週刊文春』も『週刊新潮』も、そんな「時の人」玉木雄一郎氏にスポットを当てている。文春のタイトルはそのものズバリ「玉木雄一郎は信じられるか?」。新潮のほうはもっと際どいラインを攻め、「『大平正芳元首相の生まれ変わり』と大宣伝したものの……『玉木雄一郎』が説明できない家系図」という特集を組んでいる。民主党候補として初当選を果たした2009年の選挙以来、地元香川の生んだ元首相・大平氏の親戚ということをアピールしてきたが、具体的にどんな親戚かを陣営に尋ねてもはっきりした答えはない。ということで、編集部がとことん調査したところ、親戚は親戚だが、玉城代表の伯母(父親の姉)の配偶者の弟が結婚した相手が、大平元首相の次男が結婚した女性の妹、とあまりにも遠いつながりがあるだけであった。新潮記事は「大平元首相との『薄すぎる関係』を利用してのし上がった、小賢しい『ユーチューバー』政治家」とまで、玉城氏を辛辣に評している。


 これに対し、文春の記事は所得税がかかる年収の下限103万円を178万円にまで引き上げる党の目玉公約をめぐる諸問題、たとえばこの措置に伴う財源は約7兆円になると見込まれているのに、減税による経済効果は1.4兆円しかないことなどを指摘する内容だ。そのうえで「果たして玉木氏は政界のニューリーダーなのか、はたまた、ただのトリックスターなのか」と疑問を投げかける。新手の流行にホイホイ乗りたがる政治家は、やっぱり怪しげな人物に見えてしまう。それが私の印象である。


………………………………………………………………

三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。