『バリアバリューの経営』は、「車いすの起業家」として知られる垣内俊哉氏の創業から現在にいたるまでの歩みを綴った1冊である。
垣内氏らが起業したミライロは、ユニバーサルデザインやユニバーサルマナーに関するコンサルティングや教育研修、建築物等のユニバーサルデザイン化の支援などを行う企業。デジタル障害者手帳「ミライロID」の開発・運営などでも知られる、障害者の困りごとを中心とする社会課題解決にフォーカスした企業だ。
同社は、起業からほどなくして著者自身の〈車いすユーザーとしての視点や経験〉に着目、実践を通じてサービスを進化させ、次なる障害者の困りごとや企業の課題に事業領域を広げていく。
この規模のスタートアップとしては珍しいケースだが、同社は早くから〈障害のある社員を採用して、新たな視点を社内に取り入れ〉るなど、多様性のある組織の構築を進めている。また、〈手を離すべきところは離して、組織として成長していかなければならない〉と権限委譲を進めたり、事業の標準化についても早期に取り組んだという。
トップのカリスマ性に頼るスタートアップが少なくないなかで、多様性や持続可能性を意識した経営と言える。
もちろん、すべてが順風満帆だったわけではない。コロナ禍で業績が落ち込んだ際には、取引先に出資を仰いだ。それでも〈経営の自由度を守るためマイノリティ出資〉を条件とするなど、難しい交渉も乗り越えている。
これから起業を考える人にとって本書は良質なケーススタディとなるはずだ。
■広がるブルーオーシャン
本書では、障害者が社会活動を行うにあたってのバリアを大きく3つに分類している。
ひとつは、〈施設や店舗などの「環境」のバリア〉。
海外を旅したことがある者なら誰もが感じるのが、車道と歩道の大きな段差や路面のあちこちにあいた穴。トイレの環境も劣悪だ。その点日本は、着実に「バリアフリー化」が進んでいる。近年は駅のエレベーター設置や公共施設のバリアフリートイレも普及した。〈日本の環境面でのバリアフリー化は比較にならないほど進んで〉いる。
次は、「意識」のバリア。著者はパラリンピックで訪れたブラジルで環境面の遅れを補って余りある体験をする。段差や狭い場所での旋回に困っていると、人々が〈我先にと手を貸してくれ〉たのだ。
実は日本人が弱いのはこの部分。必ずしも冷たいわけではないのだが、〈無関心を装う〉〈知識や経験がないという理由で、手を差し伸べられない〉。身に覚えがないだろうか?
そして、もうひとつは「情報」のバリア。障害者が〈必要な情報を、適切なタイミングかつ、利用しやすい形で入手するのは、今のところそれほど簡単ではありません〉というのが実情だ。
ミライロでは、これらのバリアを解消する事業を行っているが、一般の企業にとっても障害者とどう向き合うかは他人事ではなくなっている。
足下で大きいのは、障害者差別解消法の改正だ。2024年4月から企業など事業者に、障害のある人への「合理的配慮の提供」が義務化された。企業は障害者から「社会的なバリアを取り除いてほしい」との要望があったとき、障害特性や個別の場面や状況に応じて柔軟な対応が求められるようになった。
中長期で見れば、障害者は巨大なマーケット。『令和6年度障害者白書』によれば、日本で暮らしている障害者は身体障害者436万人、知的障害者109万4000人、精神障害者614万8000人で、国民の約9.2%が何らかの障害を抱えていることになる。ここに高齢者を加えれば、人口の4割近い。バリアフリー、ユニバーサルデザインの製品・サービスに巨大なマーケットが広がっているのだ。
にもかかわらず、〈さまざまな人にとって使いやすいインクルーシブな製品やサービスを提供している企業の割合は、世界でもわずか5%程度〉。まさに「ブルーオーシャン」。本書には著者や他の障害者から見た、さまざまな社会課題も記されている。ライバルのいない巨大市場で新たなビジネスを興したい向きにとっても、参考になる視点が満載だ。(鎌)
<書籍データ>
垣内俊哉著(東洋経済新報社1980円)