週刊現代が「内幕レポート」と銘打って『次の総理は石破か谷垣 安倍晋三あっけない退場』という記事を載せた。安保法制の強行採決前後から各種世論調査で支持率が急落、「不支持」が「支持」を上回るようになった情勢を受け、自民党内で対抗勢力の動きが活発化し始めた、という話である。


 とは言っても、本文に決定的なデータは見当たらず、残念だが「当たるも八卦当たらぬも八卦」とすら言いにくい、あいまいな“予測”に終わっている。ということで、今回はもうひとつ目を引いた政局記事、週刊ポストの『安倍が怖れる「天皇談話」のあの“お言葉”』を取り上げておく。こちらは、それなりに内容を伴った記事にまとまっている。


 封切り間際の映画『日本の一番長い日』(原作は終戦の日を描いた半藤一利氏の同名の著作)』に引っかけたのだろう、『永田町の一番長い夏』というサブタイトルを付けられたこの記事は、今年の8月15日、全国戦没者追悼式典での天皇の「お言葉」に注目したものだ。


 支持率の低下にたじろぐ政権は、国立競技場問題を白紙撤回する少し前、「戦後70年」の首相談話に関しても、閣議決定を伴わない私的談話に格下げして、世論を刺激する“火種”を少しでも減らそうとしているが、それでも村山談話や小泉談話に盛り込まれた「お詫び」や「侵略」の文言は避ける方針だと伝えられている。


 片や先の大戦に深い悔恨の思いを持つ天皇は、年明けに「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のありようを考えていくことが、極めて大切」と述べ、6月にフィリピン大統領を招いた宮中晩餐会でも、戦争中、同国民に多大な被害をもたらした歴史に「(日本人は)深い痛恨の心」を忘れてはならない、と語られている。


 このように、第2次大戦における日本の「侵略性」を認めたがらない首相と、周辺国の惨禍に繰り返し言及されてきた天皇のスタンスは、明らかに異質なものなのだが、今年の終戦記念日にその違いがくっきりと表れるのではないか、とこの記事は言うのである。


 同じ趣旨の記事は、左派リベラル誌の『週刊金曜日』にも見られ、タカ派雑誌『サピオ』を発行する小学館のポストがなぜ、と訝る人もいるかもしれないが、不思議ではない。この小学館、7月には『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(矢部宏治、須田慎太郎著)という天皇の談話を集めた書籍も刊行しているのだ。


 30年以上前、全条文をそのまま書籍化した『日本国憲法』を大ベストセラーにしたのも小学館だったし、反戦・反原発を訴えた俳優・菅原文太氏の時事対談を昨年の病没まで掲載していたのも同社のPR誌『本の窓』だった。ある意味、主義主張にこだわらず幅広い本づくりをするのが、この会社の持ち味なのである。


 実際の戦没者慰霊式典では、政治的な注目を天皇の側が嫌がって、表現をぼかされてしまう可能性もありそうだが、戦争体験者がある程度の固まりとして最後に迎える節目の記念日に、国を代表する2人の認識がかくも隔たってしまっていることは不幸なことである。個人的には、むしろ首相の側にこそ、戦後日本が歩んできた道筋の連続性を鑑み、「タカ派的独自色を打ち出す野望」を抑えてもらえないものか、と感じている。


 沖縄での長期取材にもようやくメドがつき、居住する東京に何とか戻って来た。ひと言だけ感想を述べておくと、安倍政権の「独自性」は過去3年、沖縄でも風化しかけていた歴史への思いを人々に蘇らせ、基地問題はもはやイデオロギーでなく、ヤマトvs沖縄という民族の問題になりかけている。私的な告知になり恐縮だが、取材成果は今月後半から週刊朝日にて連載する。関心のある人はぜひ、お目通しいただきたい。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。