ふたつの顔を持つ男。いったいどちらが本物なのだろう。
11月15日、兵庫県知事選の投開票日を2日後にひかえた金曜日のことだ。告発文書問題で失職し、再選に臨む斎藤元彦氏の街頭演説を聞きに、兵庫県第2の都市である姫路市に向かった。
失職直後にひとりぼっちで駅前に立つ斎藤氏の姿を、SNSのショート動画で見ていた。それが選挙戦に入ると、徐々に人垣ができるようになり、投票日直前には、何かに突き動かされているかのような群衆に囲まれている斎藤氏の動画が流れてきた。いったい何が起きているのか、知りたかった。
この日の斎藤氏の演説は駅北側のロータリーで、午後7時から行われる予定だ。東京から新幹線で姫路駅に着いたのは、その1時間ほど前。すでに「NHKから国民を守る党」(N国)の立花孝志氏が駅前でマイクを握っていた。
同じ知事選に立候補している立花氏だが、告示日以降は斎藤氏の演説予定時間の前後に同じ場所にやってきては、斎藤氏の応援を続けてきた。
聴衆は2階デッキから見下ろしている人も含めれば、1000人近くに達しているかもしれない。
前のほうには中年の男女の姿が多い。グループで会話を交わしながら、イベントを楽しむかのようだ。後方に行くにつれて20代の若者の姿が増えてくる。こちらは仕事や学校帰りなのか、単独での参加のようだ。
立花氏の軽妙なトークが続いている。
「投票日に、私の名前は書いたらあかんで」
オールドメディアと呼ばれる新聞やテレビの記者たちを「事実を書かない無能」呼ばわりし、彼らが、斎藤氏やその側近の前副知事らを「拷問、リンチ、いじめ」ているのだと説く。
「メディアが報じないから僕が真実を知らせるために立候補したんですよ」「新聞記者らは既得権益にしがみつき、国民をコントロールしてきた本当に怖い奴らですよ。いままで国民を洗脳してきた」
そして告発文を作成し、のちに自死したとされる西播磨県民局長(当時)についても容赦がない。
「名誉棄損や偽計業務妨害で刑務所に行かなあかん。徹底的に追及しなきゃいけない悪い奴。なのにその人が自殺したからといって美化している」
県民局長が在籍中に公用パソコンでつづったという非倫理的なプライバシーも暴露したうえで、「処分されて当然でしょ」と話すと、聴衆からは拍手が沸き起こる。
立花氏は、告発した県民局長や真実を知らせないオールドメディア、そして斎藤氏の前の県政を「既得権益」と切り捨て、さらには告発内容の真偽を調査するために設けられた県議会の百条委員会もひっくるめて「悪」の烙印を押す。それに抵抗して改革にまい進してきた斎藤氏こそが正義で、パワハラやおねだりは「全くなかった」と断言する。
「真実はひとつ。正義と悪の戦いですよ。悪い人を見たらやっつけなきゃならないという正義感なんですよ」
そして聴衆に、こう尋ねる。
「みなさん、正義ですか、悪ですか!」
聴衆が答える。
「セーギー!」
「僕の言ってることは真実ですか、デマですか!」
「シンジツー!」
そして最後に、「NHKをー」と促す。
聴衆はこぶしを振り上げ一斉に応じる。
「ブッコワース!」
SNSでの合言葉が、リアルな世界で共有され、一体感を演出する。立花氏は「気持ちいい! コンサート会場にいるみたい」と満足げだ。
●事実を見極める目はあるのか
最前列から5列目くらいにいた私は、拍手も声もあげていない。それに気づいた隣の男女4人のグループが、ヒソヒソ話しながら訝しげな視線を送ってくる。既成勢力とされる記者だと見られたのか、他陣営の回し者が紛れ込んでいるとでも思われたのか。戦いの狼煙を上げている敵陣に放り込まれたような、居心地の悪さを感じた。
聴衆のあちこちから、立花氏に向けた「ありがとう!」の掛け声が聞こえてくる。“真実”を教えてくれた彼への感謝の気持ちだ。
立花氏の出現によって、告発文書問題をめぐる関係者の構図が逆転していく。新たに善と悪とに色分けした「真実」を知らされた聴衆は、ひとりぼっちの斎藤氏を救うことこそ正義だと信じる。そして「自分たちこそが正しい」という気概に満ちている。立花氏は、人の心をかき立てるナラティブ(ストーリー)を描くことに成功したのだ。
立花氏のスピーチに違和感を抱いたのは私だけだろうか。そもそも正義という言葉の裏には必ず別の正義がある。厳格な事実を吟味したうえで、その正義が信じられるものかどうかを見極める必要がある。正義とは、それだけ危ういものなのだ。
よい例が4年前のドナルド・トランプ大統領の支持者による米連邦議会議事堂の襲撃だ。彼らはトランプ氏の扇動によって正義を遂行しようと突っ込んだ。民主主義を破壊する蛮行として歴史に刻まれるだろう。斎藤氏の支持者の盛り上がりを蛮行だと言っているのではなく、正義を掲げるためには、事実を見極める必要があるという意味だ。
・斎藤氏によるパワハラはあったのか。
・県民局長の告発は名誉棄損にあたるのか。
・告発文書は公益通報に該当しないのか。
・メディアは本当に事実を伝えていないのか。
・県民局長の非倫理的なプライバシーはどこまで本当なのか。
このいずれにも、この時点では事実を確定させる結論は出ていない。
●「メディアが本当に正しいのか」
街頭演説中、後ろを振り返ると多くの人がスマホをスタンドで固定したり、頭上に掲げて撮影している。前方から振り返ると、夕闇に光るイルミネーションのように見える。
そこに、斎藤氏が登場する。弁士が交代しても、群衆はその場に居残る。おそらく数千人に達しただろう。選挙の街頭演説と言えば、支援組織が動員をかけて人を集めるのが定番だ。だから、聴衆からは「やらされている感」が漂う。だが、目の前にいる支援者は、明らかに前のめりだ。気づかせてくれた真実を信じ、正義を貫く高揚感に満ちている。
この日は誕生日だという斎藤氏に花束が贈られると、熱気は最高潮に達する。斎藤氏は背筋をまっすぐにしたまま90度のお辞儀を繰り返す。
いつものように落ち着いた声で、これまでの実績をアピールする。財政再建のために県庁舎の改築費用を抑え、公用車のセンチュリーを廃止し、5期20年間の井戸敏三県政からの脱却を目指してきたこと。県立大学の無償化や有機農業の推進、デジタル商品券、学校の教室にクーラーを取り付ける近代化にも着手した。
「(今回の選挙は)日本の社会のあり方を定める大事な分岐点。メディアの報道が本当に正しいのかどうか。おねだりと言われましたが、おねだりなんか私はしてないですから」
そう言うと、笑いとともに、あちこちから「ファイト!」「負けるな!」の声が飛ぶ。いわれなき嫌疑をかけられた悲劇のヒーローを励ます民の声だ。数々の選挙取材を重ねてきたが、これほど候補者と聴衆の距離が近いと感じる街頭演説を聞くのは初めてだ。
●フィルターバブルに見舞われる
軽い夕食を取った後、ホテルに入ってTikTokをのぞいてみる。尺の長いYouTubeより、ショート動画のほうが効率的に情報を集めることができる。そこで気になった動画をYouTubeをたどって、じっくり見る。
先ほどまで行われていた姫路の街頭演説の様子が、すでにアップされていた。スマホの撮影は、このためだったのだろう。その動画を切り抜いてTikTokに投稿された演説風景が次々と画面に現れる。斎藤氏の演説風景にHIPPYの「君に捧げる応援歌」を合わせて「11/15 姫路駅前 これが民意」とのメッセージが添えられている。2階デッキからロータリーを埋め尽くした圧倒的な群衆を映した動画には、どん底から這い上がる旋律を奏でるドラマ「GOOD LUCK」のテーマ曲が流れている。「みんなに本当の情報広げて知事選成功させよう」と訴える動画もある。
私の嗜好をアルゴリズムが察して、同じような動画ばかり表示されるフィルターバブルに見舞われているのだ。これらの動画がさらにリプライされて、拡散されていく。何十万回も。
これまで政治に関心のなかった県民に向けて政治参加を促すツールは、刺激的で躍動感にあふれている。ひとたびSNSを覗けば、圧倒的な数の動画で「正義と真実」のエコチェンバーから抜け出せなくなるのだ。
告発文書問題をテレビや新聞で追っていた人と、ネットで引き込まれた人。その媒体によって深い分断が生まれているはずだ。問題の行方にモヤモヤ感を抱いていた人が、SNSで立花氏の明快な正義・真実論に触れ、心を揺り動かされる。そして見たこともない熱気を帯びた現場に駆り立てられる。そんなことを考えながらTikTokを見ていると、あっという間に3時間が過ぎていた。私のTikTokには、検索でもかけない限り対抗馬の稲村和美前尼崎市長の動画は、ほとんど流れてこない。
投開票日までの残り僅か。さらに大きなうねりとなって先鋭化していく。既成の価値観に対する怒りの感情は憎悪をかき立て、メディアや百条委員会のメンバーへの激しい中傷誹謗に発展していく。
●側面支援の動画が推進力に
こういったネット上の現象をいち早く分析したネットコミュニケーション研究所のレポートによると、YouTubeのショート動画の合計視聴者は、斎藤氏と稲村氏ではあまり差がないにもかかわらず、斎藤氏を応援した立花氏の動画の合計視聴者数は1500万回に達している。それを切り抜き配信された動画も1299万回再生されている。それ以外にも著名ユーチューバーが投稿で斎藤氏を応援する解説動画をアップしている。つまり斎藤氏本人のSNSより、立花氏らによる側面支援が大きな推進力になったことがわかる。
17日の投開票結果で、斎藤氏は圧勝した。対抗馬の稲村氏に13万票以上の大差をつける110万票を獲得した、奇跡に近い返り咲きだ。
だが私は、こんな短期間に、投票総数の45%を集めた「民意」に、やはり危うさを感じた。
目の前で90度のお辞儀を繰り返す謙虚な男と、パワハラなどの疑いをかけられた傲慢で冷酷な男の、いったいどちらが本物の斎藤氏の姿なのか。
●謙虚さと冷酷さのどちらが本物?
実は演説中の斎藤氏を見て気になったことがある。彼はマイクを常に両手で握っているのだ。姫路での街頭演説だけでなく最終日の三宮でも、両手で握り続けた。3年前の知事選ではどうだったのか。ネットで探して見つかった3本の動画では、ほとんど片手で持っている。両手より誠実さと謙虚さに欠ける印象になるから不思議だ。斎藤氏も、そのことを意識していたのだろうか。
そういえば、百条委員会での聴取や、連日のように開かれていた会見でも、斎藤氏は冷静に、そして誠実に対応していた。記者の意地悪な質問にも嫌な顔ひとつせずに謙虚な姿勢を崩さなかった。
かたや百条委員会が実施した職員アンケートの回答を読み返してみると、まったく別の顔が浮き彫りになってくる。
斉藤氏と同じ総務省出身の職員は実名で具体的に答えている。ある会議で、彼は叱責を受けた。座席の卓上名札の置き方が斜めになっていたのだ。このほかに、何度も「厳しい指導・叱責」を受けているが、彼は業務上の必要な範囲内での指導・叱責であり、「パワーハラスメントを受けたという認識はなかった」と答えている。が、地域づくり懇話会の事前レクの席上、県職員幹部に対して机を叩いて激怒した件を挙げて、「県職員への指導・叱責の仕方としては、適切ではなかった」と答えている。
パワハラかどうかは、叱責を受けた本人の感じ方による。だが、回答内容を読み進めていくにつれて、そのリアルな実態に胸が痛くなる。匿名の回答ではあるが、具体的な自身の目撃・体験談を記したものも数多い。
「行事の段取りに不満があると秘書課の職員に対して猛烈に怒る。秘書課は同じ轍を踏まないために担当部局への要求のハードルがだんだんと上がっていく。トイレ(極力きれいな)、個室(姿見等もセット)、導線(極力歩かせない)、着替えの必要性など、以前地雷を踏んだ項目については特に配慮が必要」
「(訪問先での試食に店側から対応できないと断られた件を知事に報告すると)『どんな調整をしてるんだ。知事が行くって言ってるのに少しも時間が取れないのか。もう●●とは付き合わんぞ』と言い放った」
「知事イベントにマスコミが少ないと不機嫌になる。ストレスで眠れない日が続き、体調を崩しました。1日も早く斎藤知事には辞職してほしいです」
具体的な会議名や場面が記されているものが多く、架空のできごととは思えない。机を叩いたり「俺は知事だぞ」と激怒されたり。こういった叱責が常態化していた様子がうかがえる。
県政を改革する手腕と、数々の実績は評価に値する。だが一方で、県民に仕える公務員が知事の手鏡の手配や導線確保にあくせくし、不備があれば理不尽に怒鳴られる。職員は自身の子供に、こんな仕事を誇れるだろうか。勇気を振り絞って回答した職員の気持ちが事実だとすると、斎藤氏の傲慢さは目に余り、あまりに冷酷だ。
街宣カーの上で両手でマイクを握る謙虚な斎藤氏と、いったいどちらが本当の姿なのか。それを探るためには、“事実”を見極める情報リテラシーこそがカギを握ってくる。
一連の斎藤問題は、単に斎藤氏のパワハラが問われているだけではない。告発者を守る公益通報のあり方も、正義を語る言説やSNSのあり方も、すべて民主主義の根幹をなす言論空間を揺さぶる問題なのだ。深堀していけば、「オールドメディアvs SNS」という単純な図式の欺瞞も見えてくるはずだ。
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辰濃哲郎(たつのてつろう) 元朝日新聞記者。04年からノンフィクション作家。主な著書に『歪んだ権威――密着ルポ日本医師会積怨と権力闘争の舞台裏』『海の見える病院――語れなかった雄勝の真実』(ともに医薬経済社)、『ドキュメント マイナーの誇り――上田・慶応の高校野球革命』(日刊スポーツ出版社)など。