昨年9月6日、兵庫県の告発文書問題を調査する県議会の百条委員会で、文書を作成した西播磨県民局長(当時)が自死したことへの道義的責任を問われた斎藤元彦兵庫県知事は、こう答えた。


「亡くなられたことは大変辛いですし、お悔やみは申し上げたいと思います。ただ亡くなられたことは本人にしか理由はわからない。非違行為が判明した以上、処分するのが人事行政上の進め方です」


 斎藤氏は問題発覚後、通報者を「徹底的に」探すよう指示し、県民局長が作成者であることを突き止めた。その公用パソコンを回収して勤務時間中に私的な文書を作成していたなどとして停職3ヵ月の懲戒処分を下した。


 これまで斎藤氏は一貫して、文書には「真実相当性がなかった」と繰り返してきた。告発した県民局長は、公益通報者保護法で保護されるべき通報者ではなかったというわけだ。


 だが、もし告発文書に公益性が認められたとすると、斎藤氏は同法で実質的に禁じる「通報者の探索」や「不利益な取り扱い」に違反していたことになる。それだけではない。違法な「通報者の探索」を進めた結果として回収されたパソコン内のプライバシー情報が暴かれることを怖れていた県民局長が自死したことへの道義的責任が生じてくる。斎藤氏は、一気に窮地に追い込まれることになる。


 今年1月19日、百条委員会の委員を務めていた県議が自死したことが明らかになった。その原因は不明だが、昨年11月の出直し選挙翌日に、ネットでの激しい誹謗中傷を理由に県議を辞職していた。県民局長に次ぐ関係者の死で、告発文書問題はさらに混迷を深めている。


 この複雑に絡み合った騒動の糸をたぐっていくと、原点は県民局長の告発文書に公益性があったかどうかの1点に行き着く。告発文書問題の経過を追いながら、同法改正のために議論していた検討会議事録などを合わせて検証すると、見えてくるのは斎藤氏の初動対応におけるボタンの掛け違いだ。

 

「うそ八百」が実は「強い口調での指導」


 文書問題の初動を少し整理しておく。


 斉藤氏がメディアや警察、県議らに送られた告発文書を入手したのは昨年3月20日だ。翌日、当時副知事だった片山安孝氏ら幹部を集め、その場で通報者が誰であるかを「徹底的に」調査するよう命じている。すぐにメールの履歴などから、県民局長が浮上した。


 25日に、片山氏が県民局長を訪ねてパソコンを回収し、その場で局長の任を解く人事を伝達している。斎藤氏は27日の会見で「業務時間中にうそ八百含めて文書を作って流す行為は公務員としては失格」と切り捨てた。


 県民局長は4月4日、今度は県の公益通報窓口に内部通報することになる。3月にメディアなど外部機関に通報した「3号通報」に対し、内部通報は「1号通報」と称されている。幹部会議では、この1号通報の調査結果が出るまで処分を待つという選択肢も示された。だが、斎藤氏は強硬姿勢を崩さず、県民局長への処分を急いだ。5月7日、停職3ヵ月の懲戒処分を発表する。県民局長は百条委員会への出席直前だった7月に亡くなっている。プライバシーが暴露されてしまうことを憂えて自死した可能性が強いとされる。


 斉藤氏が百条委員会での聴取や会見などで繰り返してきたのが「真実相当性」だ。3月20日に入手した文書は「うそ八百」「噂話を集めた怪文書」で「確信的な部分が真実ではない」うえ、具体的な証拠が示されていないといのが理由だ。


 だが、告発文書は本当に怪文書の類だったのだろうか。少し複雑だが、告発文書の性格を決定づける出来事があった。


 昨年12月11日、内部に通報した1号通報について、県の公益通報窓口となる県財務部県政改革課が調査結果を公表したのだ。怪文書であれば、わざわざ調査結果を発表する必要はない。


 そこで「パワハラと認められる事案があったとの確証までは得られなかった」としつつも、「職員に対して強い⼝調で指導することがあったと認識している」と強い叱責が繰り返されていたことを認めている。


 業者からレゴブロックやスポーツシューズ、播州織の浴衣、ロードバイクのヘルメット、コーヒーメーカーなどを受領した物品供与についても、「貸与を装った贈与と誤解を受けたケースが確認された」と結論付けている。つまり、告発内容が「うそ八百」ではなかったことを示唆している。


 物品供与は、額が大きくなければ収賄罪には当たることは稀だ。だが、公職にある者が物を受け取ってしまえば、必ず見返りが期待される。あるいは、受け取ったことで行政監視機能が緩んでしまい手心を加える、あるいはその疑いを招くことにもつながる。物品供与は抑制的であるべきで、我々メディアにも共通する倫理観だ。


 注目されるのは、財務課が是正措置として、ハラスメント研修や贈答品受領のガイドラインを見直すことを要請している点だ。ここでも告発内容の公益性が図らずも証明されたことになる。


 実は3月の3号通報も、4月の1号通報も、ほぼ同じ内容の告発だ。その片方は「真実相当性がない」と言い、片方は公益通報として認められるというというのは、いかにも矛盾している。


 それでも斎藤氏は頑なに抗弁を続ける。1号通報は県の通報窓口に提出されたもので、建前上はその内容は告発された知事当人には伏せられることが同法で定められている。つまり、3号通報の内容には真実相当性がないが、1号通報については知る立場にないから、判断できないというのだ。


 客観的にみても真実相当性が明らかな告発だったにもかかわらず、なぜ斎藤氏らは「怪文書」として処理しようとしたのか。斎藤氏のプライドが許さなかったのか。あるいは旧県政からの改革を続けてきた斎藤氏が、その推進力を保つために握り潰そうとしたのか。あるいは、県民局長の聴取を担った片山氏が、「噂になっている」との県民局長の弁明を斎藤氏に伝え、斎藤氏がその言葉を鵜吞みにしたためか。


反感などの動機は「不正とはいえない」


 その片山氏が9月6日、百条委員会の聴取で何度も繰り返した言葉がある。それが「不正の目的」だ。


 片山氏が回収したパソコンから、県民局長の「クーデターを起こす」とか、「革命」などの文言が見つかっている、これらは斎藤県政を転覆させる「不正な目的」で、同法の保護対象とはならないと主張したいわけだ。


 共用パソコンにクーデター計画を残す時点で、その本気度が推し量れるものだが、確かに同法2条では、通報の濫用を防ぐために「不正の目的」による通報を禁じている。「不正の利益を得る目的」「他人に損害を加える目的」と定められているが、いかにも抽象的だ。法を所管する消費者庁参事官(公益通報・協同担当)室に尋ねても、「不正の目的とは、公序良俗に反しない目的」としか説明してくれない。


 だが、昨年9月に開かれた公益通報者保護制度検討会の第4回会合に消費者庁が提出した資料に、ヒントがある。


「『不正の目的でないこと』の要件に関する整理」という資料で、「事業者に対する反感などの公益を図る目的以外の目的が併存しているというだけでは『不正の目的』であるとはいえない」とある。


 片山氏が指摘する「クーデター」もこれに類する反感や不満の表れだ。武力計画でもない限り不正にはつながらないようだ。同じ資料には、こうもある。


「公益通報する者は様々な事情につき悩んだ末に通報することが多く、純粋に公益目的だけのために通報がされることを期待するのは非現実的」


 つまり「不正の目的」とは、「誰の目から見ても法目的に適合しないような」(第4回検討会での発言)特殊なケースを想定しているのだ。


 何十人もの告発者と接してきた私の経験からすれば、組織内の不正を告発する動機はさまざまだ。権力闘争に敗れた者が復讐ややっかみで告発してくるケースもあれば、因縁や怨恨から相手に打撃を加えたいという不純な動機もあった。純粋な正義感からの告発は、むしろ少数と言っていい。自分の身元が暴露されかねないという危険な橋を渡るには、不純な動機があってもおかしくはない。


 動機が不純だからといって、取材を打ち切ることはない。動機よりも告発内容が事実であるかどうかの見極めのほうが大切だ。報ずる価値さえあれば、裏付けに全力を尽くす。事実を突き止めるために、さらなる協力者を探したり、相手に否定されても記事にできるだけの材料を集める必要がある。告発者から取材を重ねても、お蔵入りになった事件は少なくない。こういった告発内容はほとんど事実とみていいが、実際に裏付けられるのは、せいぜい1~2割ほどだった。


国の検討会でも兵庫県のケースに否定的


 公益通報者保護法は06年に施行され、22年に改正されている。改正法では、300人を超える事業者や団体(行政機関も含む)は、通報窓口に専従者を置くなどの体制整備が義務付けられた。通報者の探索や不利益な取り扱いは実質的に禁止され、同法の指針では1号通報でも3号通報でも同様であることが明記されている。


 検討会は昨年末に、公益通報したことを理由に解雇や懲戒処分を下した場合に、刑事罰を科すことを盛り込む報告書をまとめた。不利益な取り扱いの禁止に実効性を持たせるためだ。


 昨年5月に議論を始めた検討会では、兵庫県のケースが名指しされることはほとんどない。だが、複数の委員が暗に兵庫県で同法が蔑ろにされかねないことに懸念を表明している。


「告発された人が通報者を特定し、何とか逃れようとするケースが実際に生じています。公益通報しようとする人がますます委縮するのではと危惧しています」


「公益通報制度の制度趣旨事態が没却されるような事態が残り続けるのでは」


 そして報告書案がまとまる直前の12月4日の第8回会合で、弁護士の山口利昭委員がモニター越しに発した言葉が象徴的だ。


「現在(兵庫県の)百条委員会で公益通報に当たるかどうかが議論になっている。何が公益通報に当たるのかを明確にしていかないと(通報者の)委縮効果が高い。法改正を早急にやってもらいたいことを(報告書の末尾の)おわりに、のなかで強調していただきたい」


 これまでの百条委員会での審議を振り返ると、告発文書の「真実相当性」は認められ、「不正の目的」もなかったとする意見が支配的だ。事実を追及さえしていけば、自ずと結論に導かれるはずだ。だが、昨年11月の出直し選挙に斎藤氏が圧勝したことで、百条委員会の行方に暗雲が垂れ込めている。


 斎藤氏らを追及する急先鋒だった竹内英明前県議や委員長を担った奥谷謙一県議への誹謗中傷がネットにあふれ、家族への波及を危惧したという竹内前県議は選挙直後に辞職を表明した。18日に自殺したが、誹謗中傷との関係が取り沙汰されている。


 知事の不正を暴く立場の百条委員会が、いま勢いを失い窮地に立たされている。斎藤氏が民意を得たことと、パワハラなどの告発内容の調査はまったく別の問題のはずだが、委員会には斎藤氏を擁護する県議もおり、意見の統一には紆余曲折がありそうだ。


 消費者庁の検討会での議事録やビデオを見返してみると、他の法律の刑罰との整合性に腐心する様子が見て取れる。それでも、いかに公益通報者保護法に実効性を持たせ、告発者を護るのかの真摯な議論が続いていた。


 一方、兵庫県の斎藤氏の会見や百条委員会での聴取をみていると、この法治国家のなかで、兵庫県だけが治外法権にあるかのような錯覚に陥ってしまう。モノトーンのフィルムを見させられている感覚だ。


 同調圧力の強い日本で、組織の不正を告発する行為には勇気がいる。告発者を護る公益通報者保護法は、いわば言論の自由を護る砦でもある。


 百条委員会は、それだけの重責を担っているはずだ。


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辰濃哲郎(たつのてつろう) 元朝日新聞記者。04年からノンフィクション作家。主な著書に『揺らぐ反骨 小﨑治夫』『歪んだ権威――密着ルポ日本医師会積怨と権力闘争の舞台裏』『海の見える病院――語れなかった雄勝の真実』(ともに医薬経済社)、『ドキュメント マイナーの誇り――上田・慶応の高校野球革命』(日刊スポーツ出版社)など。