『存在しない女たち』キャロライン・クリアド=ペレス 神崎朗子訳(河出書房新社)
●性差を考慮しない医療界、医薬品業界
「これでもか」。こう表現したくなる。とにかく世界に存在する女性をとりまく諸問題に関して、「圧倒的な」データの渉猟による、ジェンダー論である。著者のクリアド=ペレスは2020年に、前年に上野千鶴子が受賞した「男女平等に貢献した功績をたたえる」フィンランドのハン賞を受賞している。フェミニズムを「人権」として主張し続ける気鋭のジャーナリストでもある。ペレスの評論に関する自己評価は、この本のなかで、ユーモアたっぷりに記されている。
私がツイッター(現X)で少しでもフェミニストっぽい発言をして男性から「頭がおかしいんじゃないか」と言われるたびに1ポンドもらったら、たぶん一生働かなくても済むだろう。
ペレスは、あらゆる社会的営み、医療に限らず、社会保障政策、政治体制、飢餓を含む人口問題、交通政策、戦争、災害それらに関わるデータ、それをもとにした研究、評論が「MAN=人間」と総称語化され、了解されて話が進んでいることに、具体的データを突き付けながら異議申し立てを行っていく。
例えば、スウェーデンのカールスクーガ市は2011年に、男女平等イニシアチブの一環として、すべての政策をジェンダーの視点から再評価したが、そのなかで、「除雪」に関してはジェンダーとは無関係だろうと笑った男性議員がいた。すると、そこに疑問を持った一部の人が「除雪」にも性差別があるのではないか、と考えたことを紹介している。
除雪の必要が生まれる欧州の多くの国では、除雪作業は幹線道路を優先的に行う。カールスクーガ市もその例に漏れない。この例題をもとにペレスは、欧米の状況のデータを次々に紹介しながら、「除雪」順位が幹線道路優位となっているのは、為政者たちが必要性が他の問題より大きいと思い込んでいるにすぎないことを徹底的に洗い出す。
男女では移動手段が違うことが、こうした政策では注目されない。幹線道路を使うのは自家用車の主要使用者である男性であり、それは多様性の先進国であるスウェーデンでも変わらない。子どもを送る、高齢者を病院に連れて行く、買い物をするなど、徒歩移動が必要なのは女性のほうが圧倒的に多い。歩道や自転車専用道の除雪を後回しにするのは果たして正当だと言えるのか。車よりベビーカーを押すほうが大変なことを放置する意味があるのか、と厳しく問いかける。
そしてデータの収集をしてみると、雪道での事故による負傷、入院は大半が歩行者であることがわかった。そこでカールスクーガ市は、12年の冬から除雪費用順位を歩道優先とすることに切り替えた。同市当局は以後、事故は半減したとペレスに伝えている。当然ながら、それによって同市の医療費削減や生産効率向上への影響は少なくない。
ペレスはこの例題を通じて、政策が意識された「男性優位」の目線で継続されてきたわけではないこと、つまり「MAN=人間」という総称語が、女性を無意識に排除してきたことを強調する。カールスクーガ市の11年以前の除雪策は男性に便宜を図ろうとしたのではなく、女性の行動パターンが念頭になかったからだと。問題の基本は、制度設計時に女性がいないことだ。決定の現場に女性は徹底的にいない。
●前臨床試験はなぜオスのラットなのか
医療に関してペレスは「イエントル症候群」という言葉で性差医療の必要が認識されているにもかかわらず、それが現実的にはほとんど機能していないことを、データをひっくり返しながら語り続けている。「イエントル」とは、83年のミュージカル映画の主人公の女性が出典だ。イエントルがユダヤ教の聖典、「タルムード」を学ぶため男装して男性になりすますという物語。「イエントル症候群」の意味は、女性の病気や症状は、男性の病気や症状と一致しない限り、誤診や誤った治療を受ける可能性が高いことを指している。
ペレスは語る。心臓発作で苦しむイメージは男性だが、それは思い込みだ。欧米、アジアの2200万人のデータ分析では低所得層女性は、同じ低所得層の男性より心臓発作リスクは25%も高い。アスピリンによる予防効果は45~65歳の女性には効果がない(05年論文)、だけでなく低用量アスピリンは大部分の女性には効果がなくむしろ有害(15年論文)など。
また、医薬品臨床試験における女性不在、それの無視、そうした性差医療への無知、偏見に満ちた評論、論文についても多くのページを割いて指摘し続けている。
何千年ものあいだ、医療は、男性の体が人体の代表であるという前提で行われてきた。その結果、女性の体に関するデータは歴史的に不足している。医学研究の対象に雌性細胞、雌性動物、人間の女性を含むことが、急務であることを、研究者たちがいまだに無視し続けている現状において、データにおけるジェンダー・ギャップはますます拡大している。(中略)女性たちは次々に死亡しており、医学界はその死に加担している。
この主張をみるかぎり、ペレスの治験への関心は前臨床にも向いていて、オスのラットが重用される現実に強い違和感を示している。私もその理由が知りたい。
一方でペレスは、女性の社会的な性役割意識の欠如が生み出すさまざまな女性の被害、診断の誤りに関してもデータを突き付けていく。自閉症診断やADHD診断に関する男子児童をステレオタイプと見なすために起きる女子児童への医療機会の喪失には怒りを隠さない。乱暴者は男子だが、整理整頓ができない女子もADHDではないのか、と。
また、80年代から90年代には、男性が痛みを訴えると鎮痛剤を投与されたが、女性には鎮静剤が多かった。さすがにこれは是正される方向にあるが、このところの論文では女性のほうが痛みに敏感だとされているのに、米国の論文では11年でも鎮痛剤投与が遅いことが報告されていることも明らかにしている。「イエントル症候群」が死語となる世界の実現には、ペレスの文章からは悲観的なニュアンスも伝わる。
●IRBを全員女性にしないと打開できない
月経困難症の患者でもあるペレスは、13年に1次アウトカムが公表されたシルデナフィルクエン酸塩のランダム化試験結果が「4時間連続で痛みが和らぎ、副作用は観察されなかった」にもかかわらず、非ステロイド系抗炎症薬との比較試験の申請は却下された問題を取り上げている。
研究主体者は、レビューの査読者は医師主導治験に厳しく、そのうえで月経困難症自体が理解できていないため、助成金申請を却下したとペレスに説明したうえで、審査委員会の委員を全員女性にしないと埒が明かないとまで語ったと述べている。
周知のとおり、シルデナフィルクエン酸塩はバイアグラ。シルデナフィルは心臓病の治療薬として治験が始まったが、勃起不全に効果があることがわかって当該治療薬として開発された経緯は誰でもが知るが、ペレスはそのときの治験参加者が全員男性だったから勃起不全効果がわかったのではないかと皮肉りつつ、製薬会社は月経困難症の治験を(当然のことながら)女性だけでやって結果が出なかったときのことを恐れているのではないかと語る。それでバイアグラが危うくなったら困る、ことほどさように女性の痛みには、男性社会である製薬会社も鈍感だとペレスは言いたいようだ。
製薬会社はこれを絶好の商機とは思っていないかもしれない。だったら、女性たちはこれからも毎月、痛みに打ちのめされるしかないというのか。
この問いに答えなければならないのは誰なのだろうか。医学界全体、医薬品産業全体だろうか。経済的利益とは何か。性差に基づく治療アルゴリズムを、関係する男たちは真剣に考えているのだろうか。
●「103万円の壁」の雑な政策論
ペレスは、前述したように「MAN=人間」という総称語が、地球上ほとんどの地域の社会生活、制度に何の疑問も批判もなく、行き渡っている状況をデータで検証していくのだが、その厳しい視線は、女性の労働が経済的に換算されない「常識」への転換を促すことにも向けられている。育児、家事、高齢者ケアなど多くの場面で女性がその労働を担うが、「無償」がその前提であって、有償とした場合の経済的効果などは省みられない。この本の肝は、この無償労働のリアリティに存在している。
女性の無償労働に関する言及は非常に苛烈だが、とはいえ、最も男性(また多くの女性も)の無理解な部分だ。GDPへのメディアをはじめとする無批判な信奉、女性を扶養者とみる税制や給与体系。日本での話では理解しやすいが、ペレスによると、こうした税社会制度的体系は欧米を含めて、全世界でそれほど大きな差はない。むろん、北欧諸国などの革新的な動きは知られてはいるが。
なんとペレスは19年(原著)に触れているのだが、日本の「103万円の壁」にも言及している。ペレスは「男性中心の扶養控除」の最高の具体例として紹介し、男女の賃金格差を助長する仕組みの典型例として批判するのだが、日本の現状は「手取りを増やす」が制度改正を求めるモチベーションとなっている。日本の政治家や、メディアの感覚の薄っぺらさを感じざるを得ない。
世界各国の税制は、市場主導の力によるトリクルダウンを目的として制定されるが、税制が及ぼす影響には性別によって顕著な差があることは明らかだ。こうした税制は、性別に区分されていないデータと、男性をデフォルトとする考え方にもとづいている。GDPや公共支出に関して女性をまったく考慮していないやりかたと相まって、世界の税制は性差による貧困を緩和するどころか、逆に助長している。世界か不平等をなくそうと本気で考えるなら、可及的速やかにエビデンスにもとづいた経済分析を採用すべきである。(幸)