『心的外傷と回復』ジュディス・L・ハーマン 中井久夫・阿部大樹訳(みすず書房)


●性差別も根底に存在するPTSD


 前回触れた『存在しない女たち』の著者、キャロライン・クリアド=ペレスは、世界に存在する女性を取り巻く諸問題に関して、「圧倒的な」データの渉猟による、ジェンダー論を繰り広げている。2020年に、前年に上野千鶴子が受賞した「男女平等に貢献した功績をたたえる」フィンランドのハン賞を受賞している。フェミニズムを「人権」として主張し続ける気鋭のジャーナリストでもある。


【斜め読み医療雑読記】における今回のシリーズ「医学的性差別」は、マリーケ・ビッグの『性差別の医学史』を扉にして、そこから医療における性差別とフェミニストたちの告発を軸にして、男の孤独死以外は女性の医師、科学者、哲学者、ジャーナリストの発信を受け止めてきた。


 雑読者である私自身、この一連の読書を通じて女性たちの医療の現場における、医学研究の場における女性の「無存在」の実情、無視の実態、男性モノサシの無意識の適用などの状況にたいへん驚いた。そして恥知らずにも、私がこうして驚いた事態そのものが、現代までに続く女性差別の根源であるのは間違いない。


 それなのに、今でも男たちはこうした状況に無関心か不快感か非難の眼差しを向けることにも、私は少し恥ずかしい思いがした。普通に人間として女性を眼差すことが、いかに難しいことなのかもまた学んだ。まさにクリアド=ペレスが、「私がツイッター(現X)で少しでもフェミニストっぽい発言をして男性から『頭がおかしいんじゃないか』と言われるたびに1ポンドもらったら、たぶん一生働かなくても済むだろう」と語っていることを反芻するたびに、私の頭のほうがかなりおかしかったことを自覚せざるを得なかった。


 前回にも書いたが、クリアド=ペレスは何と、2019年に、日本の「103万円の壁」にも言及している。ペレスは「男性中心の扶養控除」の最高の具体例として紹介し、男女の賃金格差を助長する仕組みの典型例として批判するのだが、日本の現状は「手取りを増やす」が制度改正を求めるモチベーションとなっている。


 日本の政治家や、メディアの「差別」感覚、認識の薄っぺらさを感じざるを得ない。クリアド=ペレスは「GDPや公共支出に関して女性をまったく考慮していないやりかたと相まって、世界の税制は性差による貧困を緩和するどころか、逆に助長している。世界から不平等をなくそうと本気で考えるなら、可及的速やかにエビデンスにもとづいた経済分析を採用すべきである」と語るが、扶養控除のあり方が選択的夫婦別姓制度ほどに関心が向かないのは、繰り返しになるが私には理解ができない。保守陣営の「日本の家族制度の美風」をA新聞はしつこく攻撃しているが、扶養控除への関心は示さない。


●暴力のトラウマに性差はあるか


 話をこのシリーズの始まりの動機に戻せば、もっとも強い影響を受けたのはジュディス・ハーマンの『心的外傷』(原題)であった。主題は精神科領域にある診断と治療がテーマであり、性差別ではない。トラウマ、そしてPTSDである。そして、私がこの本に最も強い衝撃を受けたのは、レイプ被害者と戦場帰還兵のPTSDは同じ症状であると語っていることである。同じ括りで語られないことに性差別が絡まっている。


 ハーマンが語る心的外傷は、レイプ被害者、近親姦、幼児期虐待、戦争帰還者が受けたまさに心の傷だが、それは知らない者には想像を超える痛苦と癒しきれない重たさを持っている。その多くが当然ながら、複雑なPTSDを伴う。ハーマンが繰り出す多くの症例の治癒への遠い道のりに呆然とする。無関心や見過ごすことの罪責感は(専門家ではない)読者に重すぎて息苦しくなるほどだ。


 ハーマンは心的外傷の研究は被害者を消し去ろうとする傾向性との絶えざる闘いとなる必然、治療者自体が患者以外の勢力との闘いを余儀なくされることを明かす。「しばしば専門家仲間から村八分にされる」状況を打開するには、「被害者を肯定し受容し保護し、被害者と証人(目撃者)とを連帯させるような社会の流れが必要」だと強調する。


 何かを相関的に想起しないだろうか。日本国内でようやく語られるようになってきたレイプやセクシャルハラスメントは主に「女性の問題」として論じられ、話題として消費されている。しかし、PKOの一環として激しい戦地に派遣された自衛隊員の自殺の状況、PTSDに関しては何のレポートも表面化していない。メディア的消費というネガティブさは伴うものの、レイプやセクハラは徐々にだが、告発されるケースは増えてきた。


 ハーマンは、「青年が戦争の被害者となることに異議を唱え、女性と小児を見下して男性に服従して当然とする見解に反対する流れの中で、心的外傷の体系的・組織的研究ははじめて正しいとされるようになる」との主張は、私に衝撃をもたらした。この言葉に同意することは、思想や政治的関心の潮流を考え併せれば、現状ではある意味きわめて政治的であり、イデオロギーであり、相応の激しさに身を置く覚悟が必要だ。


 そして私は、フェミニズムがハーマンの圧倒的な論考の基層を成していることに気が付いたのである。私たちは、特に男性として、改めてそのイデオローグの本質に対する理解を迫られるのだと考えた。


●フェミニズムは異端なのか


 この国(日本)では、高齢弱者は社会で面倒を見るといえば家族の美風が失われると言い返し、性的行為を強いた相手の告発には笑いを取るつもりだったと開き直り、子どもの虐待を咎められれば「しつけ」だと平然として居直ることができる世界が幅をきかせている。相変わらず「見過ごす」ことや「黙っている」ことが同調圧力の源泉だったりもする。それが政治の世界でも主流であり、選挙で多少の退潮の匂いが感じられるもののパターナルな権力は未だに健在だ。


 そもそもフェミニズム自体に、どこかしら、偏見の視線があることにはメディアでも論壇でもあまり問題にはされず、そもそも異端のイデオローグでしか評価されていないようにみえる。そのことが、多数の「心的外傷」の被害者を生んでいる。この本では、そのことを学べた。男性は息苦しくても読まねばならないと思ったのだ。


●男女に共通する複雑性PTSD


 ハーマンの『TRAUMA AND RECOVERY』の訳者のひとりである精神科医の中井久夫(故人)は、「心的外傷」をトラウマと訳すことに時間がかかったことを認めている。それについて、最初に出された原書(92年)から訳本が出された96年当時、「トラウマ」は精神科医や臨床心理学の内輪の世界にとどまっていて、「一般に定着しておらず」、あえて「簡潔な原題を煩わしいものにした」と説明している。


 だが、わずかな時間で、英語の専門性の高い用語が、日常用語になってしまった。ある意味、日本語の融通無碍を感じるが、本質は何も伝わっていないことにも唖然とする。中井はこのほかにも翻訳に際して、「被害者」「犠牲者」「患者」「生存者」といった用語の使い分けに関する説明を付している。


 一方で中井は、米国で同書は、心的外傷を云々する者がまず読むように勧められる本であり、それは専門家だけでなく公衆にも及んでおり、特に自身が心的外傷を負った帰還兵や女性の性犯罪被害者に読まれていることも明らかにしている。また、原書は翻訳より硬質な文章で書かれて(つまり、より専門書的で難しい)いるといい、このことに中井自身が驚きながらも、翻訳を易しくした経緯を語っている。90年代後半からトラウマが一般化した経緯を推測できる。


 ということで、実は専門書なのだが、私は少し臆病風に吹かれながら、どうにか読んでみたのだ。そしてハーマンが、一貫してフェミニズムの立場からの論考を行っていること。そのためにレイプや近親姦の被害者の症例が何度も繰り返されていることを知った。訳者も私も男であり、男性の性自認で理解するのは想像を超える面も否定できない。


 そして、戦争帰還者の心的外傷を知った。死と隣り合わせの激しい戦闘による人格破壊や、拷問や監禁や抑留といった人間性の欠片すら奪い取る仕業から生還した人々の症状が簡単に癒されるはずがないという現実。それがホロコーストにとどまらず、現在でも世界中で繰り返されている、再現化されているという認識を持たされた。


 トラウマは人間の文明史の中で常にあった暴力と不可分であり、女性差別とも不可分である。そこから知ることのすべてが、平和を願う何かにつながるという希望を持ちたい。103万円の壁は、扶養控除という父権主義の象徴であり、壁なのだ。


 次回からの斜め読み医療雑読は、高額療養費制度や安楽死問題に関する読書を軸に進めてみたい。(幸)