先頃、札幌地裁で札幌・すすきののホテルで起こった「頭部切断殺人事件」で、共犯とされた被告の父親である田村修(61歳)の判決があった。23年6月、ホテルで被害者(当時62歳)の頭部を切断、持ち去られた死体が発見された事件だ。猟奇的、かつ凄惨な事件だったからご記憶の人も多いだろう。
犯人は付き合いのあった田村瑠奈(31歳)で、父親の精神科医の田村修と母親の浩子(61歳)の親子3人が逮捕された。その刑事裁判でまず、殺人幇助、死体損壊幇助、死体遺棄幇助に問われた修被告の裁判員裁判で判決が出たのである。検察の求刑は懲役10年だったが、地裁の判決は懲役1年4ヵ月、執行猶予4年という寛大なもので、殺人幇助は認めず、死体損壊と遺棄の幇助だけを認めたのだった。
求刑が懲役10年なのに、ずいぶん軽いのでは、と思う人も多いだろう。しかし、私はいい判決だなぁと思う。地裁の裁判官にはいい加減だなぁ、と思う判決を出す例が多いが、この判決に限っては、「大岡裁き」よろしく、いい判決だと感じる。
裁判では犯人の瑠奈被告が自ら設置したカメラに、被害者の首を9回も刺して殺害し、頭部をのこぎりで切り落とした映像があったが、あまりに凄惨なことから裁判員には検事が口頭で説明したそうだ。しかし、裁判員は状況に流されず、事件の本質をよく見抜いたと思われ、改めて敬意を表したいほどだ。
もちろん、検察も苦肉の求刑だろうと察する。訴状では修被告は娘の瑠奈と一緒に殺人に使うためのノコギリを2度も3度も買いに行ったし、事件の折も車で送り迎えしている。さらに自宅の浴室に置いた被害者の頭部を瑠奈被告が損壊するのを撮影していたから、共同正犯とせざるを得ない。いや、殺人幇助だけでなく、死体損壊、死体遺棄を手助けした、としなければならない。
なにしろ、この猟奇的な殺人事件では犯人の瑠奈被告に対する量刑を考えると、殺人だから15年から20年くらいの懲役を求刑するだろう。それを手助けした殺人幇助、死体損壊幇助となると、求刑はそれより少し少なめにしないと辻褄が合わない。
判決で執行猶予が付くのは懲役3年以下だから、執行猶予の判決にするためには5年くらいを求刑しなければならないが、過去の判例をみれば、それでは刑が軽すぎる。その狭間に揺れた末、懲役10年を求刑したのだろう。担当検事は執行猶予付きの判決に憤慨するよりも、内心ホッとしているかもしれない。
事件は凄惨なものだが、私には本質はレイプだと思っている。レイプといっても無理矢理性的暴行をしたというものではない。62歳にもなる被害者は遊びのつもりだっただろうし、瑠奈被告は親しくなった被害者に半ば強引に、半ば心を許して性的関係になったのだろう。
だが、彼女は遊びだったとわかると、激怒する。責任を取れ、と言い張るだろう。たとえ、責任を取れなくとも、責任を取るように要求する性格だ。傍から見れば、無理な要求だとわかっても、瑠奈被告にとっては、そんなことは関係ない。結果、手をつけられなくなってしまうのだ。
おそらく普段はいい娘で、会話も楽しいし、思いやりもある女性だったろう。だが、甘やかされて育ったためか、それとも、どこか精神的な欠陥があるのか、気に入らないことがあると、凶暴になる。高価なものであろうがなかろうが、見境なく投げつけたり、包丁を振り回したりすることもする。要は手がつけられなくなるのだ。
事件後、マスメディアが近所の人の話として、修被告が帰宅したとき、家に入らず、車の中でしばらく過ごしていた、と語っていた。これは娘の瑠奈が暴れているから、気が納まるまで車の中で待っていたと察する。
精神鑑定は異例の6ヵ月に及び、その結果は「罪を問える、正常だ」ということだった。そう、瑠奈被告は精神疾患ではない。医学的に精神鑑定すれば正常と出てしまう。性格的な問題なのだ。起立性に欠けるところがあるとでも言うのだろう。もし、精神鑑定で「精神的疾病がある」と判定してくれたら、瑠奈被告の両親は共同正犯、いや殺人幇助、遺体損壊幇助などを問われなかっただろうにと思う。
裁判では、検察側は殺人幇助の要件として、修被告は瑠奈被告とともに殺人のためにノコギリを買っていた、キャリーバックを購入した、といった点を挙げている。だが、これは無理筋だ。彼女はノコギリを数本持っていたそうで、修被告は瑠奈被告と2度も3度もノコギリを買いに行っているというのが何よりの証拠だ。
修被告は公判で「殺すとは思っていなかった」と語ったが、それは本当だろう。たぶん、瑠奈被告は感情が激化して「殺すためにノコギリを買いに行く。一緒に来てよ」と言い、修被告はノコギリを買えば、瑠奈被告の激高した感情が納まると思い、同行してノコギリを買ったのではないか。
傍からは我がままを許しているとしか映らないが、これが可愛い娘に対する父親の気持ちだったろう。何か起こったときは瑠奈被告の感情が高まったときだろうから、両親は気の毒でしかない。
裁判の話に戻る。検察は修被告は共同正犯だから、罪を軽くできない。過去の判例から殺人事件は12年から20年くらいの懲役刑を求刑することになる。共同正犯はそれと同等か、あるいは、程度にもよるが、主犯の8割程度として10年以上にしなければならない。検察は父親の気持ちを組んで10年の懲役を求刑したのではなかろうか。
さて、裁判官はどうするだろうか。多くの事件で、新聞では裁判長は「厳しく咎めた」「温情、改悛を諭した」などと書かれているが、この種の裁判長の言葉と量刑は別物だ。裁判官も検事同様、常に過去の判例を参考にする。すると、10年の求刑なら判決は6掛けから8掛けだ。被告に同情するときは6掛けの懲役6年の判決になり、厳しくしたときは8掛けの懲役8年が「通例」だ。
普通なら父親の行為を同情的に見て懲役6年になりそうに思えたが、札幌地裁の判決は、前述の通り、さらに軽く、懲役1年4カ月、執行猶予4年だった。殺人幇助を認めなかった、ということだが、この判決はいい判決だ。
そもそも地裁にはロクな裁判官がいない。前述の通り、過去の判例から6掛けだとか、8掛けで済ましてしまう。民事事件になると、やたら和解を勧める。内実は判決文を書くのが面倒だから和解を勧めると言われている。もし和解を拒否しようものなら、「裁判官の心証を悪くする」というが、裁判官は「オレに判決文を書かせやがって」と和解を拒否したほうが不利な判決になる。
だが、この札幌地裁の裁判官(裁判員たちもそうだが)は、過去の判例に捕らわれず、真実がどこにあるか、なぜこういう例のない殺人事件になったのかを真剣に考えたようだ。
付け加えれば、懲役1年4カ月、執行猶予4年、という量刑にも工夫が窺える、裁判長は検察が控訴する可能性を考慮したような気がする。高裁では検察の主張を幾分入れて、多少刑期を重くする可能性もある。そうなると、刑期は2年か、あるいは3年に延びる、執行猶予も5年になるかもしれない。それを十分考慮に入れて、とにかく高裁でも執行猶予をつけやすいようにしたように窺える。
付言すれば、瑠奈被告について、今後、誰が面倒をみるか、ということもある。刑務所に入れても刑務官は大変だろうし、精神科に入院させても医師も看護師も扱いに苦慮するだろう。両親が面倒をみるしかないのだ。そんな点も考慮して裁判官は父親に執行猶予を付けたのだろうと察する。すぐ次には母親の浩子被告の地裁判決が出る。今回の地裁判決と同様になるのではなかろうか、と推察する。(常)