長らく問題視されていた高齢者への多剤投与、2000年代から急速に普及した胃ろう、高齢者への手術の是非など、高齢者の医療をめぐっては、ただ単に「治療して直す」以外の課題が多く存在している。人生の終盤を満足できるものとするためには、医療関係者や高齢者本人だけでなく、その家族にも複雑な判断が求められる局面が出てくるのだ。


 高齢者の医療に直面する人(長い時間軸でみればほぼすべての人)が読んでおきたいのが『長寿時代の医療・ケア』である。


 高度になった現代の医療は、画期的な治療法や医薬品を提供する一方で、さまざまな矛盾や無駄を生み出してもいる。


 死に瀕した高齢者に、効果がないことがほぼ確実ながら、患者本人に苦痛を与えつつなされる医療行為もある。そのひとつが、本書で取り上げられている死に瀕した高齢者への〈末梢点滴〉である。何度も針を刺し直したり、水分でむくみが発生したりと患者の苦痛は多いが、〈点滴をすることによって、何らかの医療を提供しているという状況をつくり、それによって家族と医療・介護スタッフの心のケアをしている〉だけのこともある。


 一般には有効とみられている「心肺蘇生法」(心臓マッサージやAEDを用いた電気ショックなど)も高齢者が非常に弱っていて、誰も心肺停止になった状態を見ていない場合は、〈本人にとって利益ではなく負担〉になることも。


■高齢者医療のカギは「フレイル」の知見


 本書では、患者が受ける医療行為を決定する方法として、3つのモデルが紹介されている。


 少し前まで続いてきたのが〈父権主義(パターナリズム)モデル〉。専門家である医師の判断で患者にとってよい方法を選択し、医療行為を決める方法だ。だいぶ減ったが、今でも時折なかば独善的な医師に出くわすことがある。


 米国で1970年代に確立したのは、〈消費者主義モデル〉。患者が消費者として医療行為に関する情報を得て、自分で選ぶ方法だ。昨今はわかりやすく説明してくれる医師が多くなっている印象だが、日本でもこの考え方が浸透してきているからだろう。


 そして、現在推奨されているのが〈共同意思決定モデル〉である。〈医療・ケアチームは患者に治療法の選択肢のメリットとデメリットを説明し、患者は自らの価値観を医療者に伝え、その価値観に基づく治療法の選択肢の検討を医療側と患者側の共同で行い、医療行為の目的設定も共同で行う〉。


 確かに専門家である医療従事者の知識と患者やその家族の意思が反映される共同意思決定モデルは理想的だ。しかし、相当な困難が予想されることは容易に想像がつく。医療スタッフには、専門性だけでなく高度なコミュニケーション能力が求められる。


 きちんとコミュニケーションをとったつもりでも、患者の要望をきちんと汲み取ることは、思いのほか難しい。〈患者自身は選択肢の意味をよく理解していると思っていても、実は勘違いや思い込みをしていることが少なくない〉からだ(勘違いや思い込みに基づく混乱は職場や日常生活でたびたび生じているはずだ)。


 何より、勤務医は忙しい。丹念に患者や家族の要望を聞いて、治療の内容を患者がわかるように説明し、合意を形成していく方法は、人手と時間と手間(とカネ)がかかる。生死を分けるような複雑な意思決定では、より難しい議論になるのは確実だ。当然のことながら、個々の置かれた状況で答えは変わってくる。


 今後、高齢者の医療を考えるうえで、求められるのは「フレイル」、すなわち〈加齢による心身機能と生理的予備能の低下〉への理解だろう。従来、高齢者が病気になると、「もう80歳だから治療はしない」といったことが行われてきたが、高齢者は人によって身体の状態の差も大きい。無駄な「過剰医療」が行われる一方で、治療できるのに年齢を理由に治療しない「過少医療」となることもある。


 フレイルについては1章が割かれているが、〈フレイルに関する研究知見が蓄積され、判断の指標が明確になる〉ことで、治療に耐え得る高齢者に適切な医療が提供されると期待される。


 本書で取り上げる論点は多岐にわたる。いのちの定義、緩和ケア、高齢者の透析治療、リビング・ウィル、終末期医療、尊厳死・安楽死……と、正直、あまりの多さに“お腹一杯”になってしまった感もあるが、医療提供側も患者やその家族が日ごろから考えておくべきテーマだ。一読して損はない一冊である。(鎌)


<書籍データ>

長寿時代の医療・ケア

会田薫子著(ちくま新書900円+税)