薄ぼんやりとした印象論でしかないが、総選挙での安倍自民党圧勝という結果にもかかわらず、政治や世相のいわゆる“右傾化”は、ここに来て底を打ち、潮目が変わり始めている気がする。振り子の針が再び旧来型のリベラルに向かうとは限らないが、少なくとも新自由主義やグローバル化を手放しで礼賛する風潮や、国家主義的な傾向を強める政策に、少しずつ異論が膨らみ始めているのではないか。 


 おそらくそのきっかけのひとつは、昨年末、みすず書房から邦訳が出たフランス人経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』だ。13年秋にフランスで刊行された同書は昨春、英訳が出るやベストセラーとなり、ピケティの名は“21世紀のマルクス”とまで呼ばれているという。久しぶりに世界規模で注目される学術書の登場である。 


 書店に平積みにされたその分厚さにはたじろいでしまうが、『世界中のビジネスマンが読んでいる 5分で分かる! トマ・ピケティ「21世紀の資本」ここがポイント』という週刊現代の記事が、簡単にその内容を紹介している。 


 それによれば、同書では世界20ヵ国以上の税務統計を過去200年にわたって分析した結果、資本主義経済による所得格差は、2度の世界大戦期を例外として、拡大の一途をたどっており、相続や資産への累進課税を世界的に強化するなどの是正策をとらない限り、貧富の差は果てしなく広がってゆく、というのである。 


 国全体が経済成長を成し遂げれば、いずれは恩恵が庶民階層にも回ってくる、という話はもはや成り立たず、社会はいよいよ“再分配”を真剣に考える時期に差し掛かったのかもしれない。 


 文春の匿名コラム『新聞不信』にも「ピケティが暴いた日経の質」という記事が載り、安倍政権寄りの読売新聞ですら特集を組んだにもかかわらず、一向にこの本の衝撃を取り上げない日経新聞の姿勢を「“日本を代表するクオリティペーパー”という宣伝文句も風前の灯という他ない」と批判している。 


 興味深いのは新潮のワイド特集で「『日本の正社員は異常に保護されている』とのたまう『竹中平蔵』は正常か?」という、およそ新潮らしからぬ記事が出たことだ。記事は年越しのテレ朝『朝まで生テレビ』の討論で、政府が規制緩和を目論見る改正派遣法案をめぐって、新自由主義者・竹中氏が「格差を減らすには正社員をなくすべきだ」と主張したことに噛みつき、派遣の惨状を訴える辻本清美議員や評論家の荻原博子氏、森永卓郎氏といったリベラル派の肩を持つ主張を繰り広げている。 


 これが本当に新潮の記事なのか、と思わず表紙を確認してしまった。 


 筆者は元日のNHKスペシャルで司会者のタモリが「資本主義は限界に来ている。新たな資本主義を作れるのは日本人ではないか」と発言したことにも驚いたが、それが可能なのか否かは別として、そうした大変革を求める機運がここに来て吹き出し始めている、というおそらく世界規模の空気なのであろう地殻変動を改めて感じた次第である。 


 NHKといえば、紅白歌合戦で、サザンオールスターズの桑田佳祐がチャップリンの名画『独裁者』さながら、ちょび髭をつけ、まるで70年代のようにベタな“ラブ&ピース”のメッセージソングを歌ったことも注目を集めた。 


 文春は「朝日新聞のテーマソングかと思った」と批判的に報じている。確かに、歌そのものには気恥ずかしくなるような“青臭さ”があったにせよ、タモリの発言といい、サザンの歌といい、メディア出演者が“権力への異論”を醸し出すことに、これほどまでピリピリとした緊張感を伴うご時世が果たして、戦後の日本で過去、存在しただろうか。 


 そんな異常さをもし、何も感じないとしたら、文春の記事執筆者の感覚を疑う。

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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』(東海教育研究所刊)など。