今回は、TPPを推進する論者たちが、日本の国民皆保険制度に対する影響をどのように考えているかをみていこう。と、話を始めると、TPP推進論者たちが実にきめ細かくかつ、TPP条約締結によって、どのような新しい医療制度を準備しているかというふうに話を期待する向きがあるかもしれないが、実はTPP以後の国民医療について、建設的な、あるいは少なくとも、現在の皆保険制度を堅持したままの提案などといったものはほとんどない。


「ほとんど」というのは、新たな医療保険制度、つまり自由医療部分を同居させる2階建て制度などに踏み込んだ意見があることにはあるが、それは混合診療の導入意図を持った小泉政権下の市場原理主義者の言い分をそっくり言い換えたものであることが多い。つまり、TPP交渉を材料として行われる医療保険制度への影響論議は、実は小泉改革のときから行われている議論の延長なのである。だから、新しい話も、「建設的な」提案も、初めて聞くようなTPP下での医療制度論などといったものは何もない。


 相変わらずの話になるが、TPP交渉によって、初めて気がついたように「ホントは医療保障にも影響がある」などという考え方をしているのは、実はメディアだけである。メディア以外はみんな知っているか、何かあるはずだと感じている。メディアだけが、しれっとTPPの影響を一括りにする中で、「実は医療制度にも影響がありそうだ」と、したり顔で伝えているのである。つまり、医療への影響については無関心。ネタになるのはやはり関税の話だから、関心は農業政策に向う。話が派手になり、やることをやっているところを見せられるから、政権も農協ともめたフリをしたりする。


●棒読みの「関税」への関心、行間読めない「非関税障壁」への無関心


 これまで、本稿で何度か触れてきたように、TPP交渉が医療制度、つまり国民皆保険制度にどのような影響をもたらすかは関税ではなく、非関税障壁分野である。皆保険制度を論議する予定はないといわれても、巨大医薬品産業、医療機器産業を背景に持つ米国が、皆保険制度とその運用規則が非関税障壁になっていると言い出したら、きりのない話になるのである。その前に手を打つとしたら、混合診療導入、一定の医療経営への民間参入の肯定という図式しかない、ということになる。


 日本のメディアが「非関税障壁」に無関心なのは、なぜなのだろうか。メディア自体が護送船団方式で、守られてきたからなのだろうか。米国の放送局が日本のテレビ業界に出て行けないのは、総務省の許認可制度のせいなどといわれる心配はないのだろうか。


 医療に話を戻すと、現場の医療慣行とは意外に根強いものである。つまり、そうした医療慣行的な見地、あるいは戦後に培われ、日本の経済成長を一方で支えてきた現行の医療保険制度が、TPPの結果、一夜にして崩壊することも実は考えにくい。だが、崩れ出すとそれほど時間がかからないのではないかという懸念も少なくない。それは日本の国民性というか、順応性の高さ、公平性、等質感、同調性などといったものが、医療でも意外と早く目に見えた結果があるからだ。


 例えば、医薬分業。分業への転換は、当事者の日本薬剤師会などに言わせれば、それこそ苦難の歴史と言うかもしれないが、政策的インセンティブを繰り返すことによって、あれほど堅い牙城だと思われていた外来院内処方の習慣はあっさりと崩れたような印象がある。準備に準備を重ね、国民に分業のメリットを説明し続け、そうして定着した分業であれば、不便になったとかの批判、処方箋に対応できない保険薬局などが出現するなどの問題が、雨後の筍のように出てくるはずはないのである。さらに分業後も、薬剤師がチェック機能を果たすことで、日本の医療水準が上がったと実感している患者がそんなにいるだろうか。つまり、「これからは薬局に行って薬を貰ってください」と言われたら、大多数の人が従順にそれに従っただけなのではなかろうか。


 このことはジェネリックの使用促進にも言える。ジェネリックの場合は、患者の一部にコスト的なメリットは感じられた面はあるに違いない。それでも、当初は盛んに言われた医師の反発もそれほど大きくはなく、すでに目標は達成されそうな勢いだ。


●これまでの医療保険制度の修正は不公平感を伴わなかった


 特にジェネリックの使用促進の流れをみて興味深いのは、銘柄名で医学教育を受けてきた医師が、ジェネリックには馴染みがないという意見が、かなりの信憑性を持って語られていたのに、わずかの間に拍子抜けしたようにすっかり一般名処方に馴染んでいるような状況があることだ。むろん、情報機器の駆使や、電子カルテといったICT技術の果たした役割が大きいが、こうした経験が、仮にTPP後に何らかの国民皆保険制度の変更が必要になった場合にも、混乱なく移行できるスタディになるのかは不透明な部分だ。


 分業、ジェネリックともに国民生活への影響を考えたとき、大きな違和感を与えなかったのは格差感、不平等感がほとんど目に見えなかったからである。ジェネリックでは、高価薬、低価格薬の選択という差別性はあったが、本質的には効果で差別化するものではなかった。「お金がないから、効き目の大きな薬が得られなかった」ということはなかった。


 しかし、あらためて説明する必要はないが、「混合診療」は違う。先進的で画期的な医療(医薬品、医療機器)は、製品開発側に十分な利益が保障されるまで高価格が維持されるのは当然で、その間、(現行のままの)皆保険制度には収載されない。そうすると、一部の富裕層、あるいは新たな金融商品(民間医療保険、医療費ローンなど)購入層にしか、そうした先進技術は供給されなくなる。


 一方で、こうした先進技術が、開発側が目論んだ通りに市場が成長しない場合、皆保険制度に収載されない技術に頼らない消費層が一定のシェアを占めるのは当然の成り行きになるだろう。そのときに、前回までに説明した、SDI条項が力を持って登場することになる。日米の消費者団体が不安を示したのは、こうした流れが常態化することへの懸念だ。


 SDI条項の適用が始まると、実質的には当該の問題は実質的に国家間取引の様相を見せ始めるのは火を見るより明らかだ。要するに、この連載で示してきたように、米国との戦後の貿易摩擦交渉、経済構造協議の亜流がまた始まるのだ。TPPが締結されたから、新たな日米間の貿易ルールが確立されるというのは、どういう了見で語られているのだろうか。米国の制度が日本商品の米国市場での競争力を弱めていると、声高に言える国家間の力量の平衡性が確保されているのならまだしも、60年代後半から始まった繊維交渉を皮切りにした貿易交渉は、常に、実施時期の設定、実現目標数値の設定といった米国流の条件闘争にいつの間にか導かれ、結局、日本側が多くがなし崩し、ないしは交渉引き延ばしで、一定の成果を引き出してきたにすぎない。


 医薬品や、医療機器の先端医療商品が市場価値を生み出さないのは、皆保険制度の運用のためだと言われると、その運用を是正して混合診療を導入することになる。あるいは高額医薬品に関しては、参照価格的な制度導入も現実感を増す。そして、それらの制度が並行すると、公的医療費の伸びを抑制するために、国民負担を増やすことへの躊躇が為政者側に減殺される効果も予測することができる。かくして、国民皆保険制度は名前だけが残ることになる。


●皆保険制度の先進性論議も警戒の必要


 TPP推進論者は、上記のような懸念に、まるで笑いをこらえたような態度での反論がみられる。その第一は、TPPは関税自由化を目的とする協議であって、各国の制度政策に踏み込んだ論議を行うものではないというものだ。これはただの原則論だ。ならば、SDI条項は何の意味があるのか。「パンケーキとお好み焼きは似たようなものだから、価格は同じにしましょう、けれど日本のお好み焼きにはキャベツが入っているから、アメリカのパンケーキが売れない、お好み焼きからキャベツを排除してほしい」などという議論を他国が吹っかけるわけがないというような原則論だ。しかし、「それならパンケーキにキャベツを入れるようにしたら」と提案すると、ほとんどの国は逆切れするだろう。自国の慣習、文化、建前への批判は許したくない。しかし、他国の慣習、文化に踏み込み、蹂躙するのはお手の物だ。


 この延長線で語られるのが、日本の皆保険制度そのものの先進性だ。推進論者の論旨は、「日本は世界で最速の高齢化社会を迎えた。これは人類の歴史でかつてなかったことだ。それを社会で乗り切る装置、システムとして国民皆保険制度がある。高齢化に対応するためにこれを修正する必要はあるが、世界のモデルとして機能するためにも皆保険制度は残っていくだろう」というようなことと要約していいだろう。つまり、優れた制度である皆保険制度は一定の修正は必要とするだろうが、人類の福祉の象徴として残ると、推進論者のほとんどが語る。まるで世界遺産である。


 この論旨には、非常に能天気なことに、日本の皆保険制度が国家統制による統制経済システムで運用されていることを忘れているか、あるいは賞賛してしまっていることが無視されている矛盾を包含している。TPPは自由貿易を現実化する条約である。資本主義的な構図を前提にした自由貿易の地域を拡大していく構想である。本質的には統制経済主義とは相容れないはずだ。オバマケアが前に進まないのをみても、皆保険制度が世界で適用されるシステムだという段階には進んでいない。推進論者の建前は矛盾をはらむ上に、楽観がすぎるといえよう。


 統制経済システムだから、つまり「皆保険制度」なのであり、ピケティなどが言う格差社会の拡大を少なくとも医療ケアの面では抑止しており、それは医療だけでなく社会保障全体、国民の生存権を確保するためのバックボーンとして機能しているのである。


●要は負担も、受療ハードルも高くしたい


 むろん、TPP推進論の中には、皆保険制度の修正を軸にした国内医療制度の変革が必要だとする意見が多く、主流である。論議としてはまともなものだが、前述したようにその主張はTPPが話題の中心となる前から、市場経済原理主義、言葉を変えれば小泉改革時代の改革派の主張とほぼベクトルは重なる。その意味で、ほとんど周知のものだが、要約をみてみよう。


①  費用対効果を重視した公的保険適用の最適化


②  ICTの活用とデータに基づく医療政策の実施


③  混合診療の全面解禁


④  公的保険を補完する民間保険の導入


 絞り込んでみれば、推進論者の皆保険制度への影響に対する対策的な提言は、上記のようなものに集約されるが、やはり皆保険制度は縮小し、混合診療の導入は不可避であることが、あらためてよくわかる。


 このほか,TPP推進論者の反対論への切り返しで行われる論議には、日本医師会などが既得権確保のために反対しているという主張もある。農協と同じ圧力団体論だが、これはなぜか大メディアに受けがいい。


 また、混合診療導入は、補完する富裕層向け医療保険(民間商品)の金融機能の側面に注目して、国内で塩漬けにされている資金を社会に還流する機能も期待できるという主張もある。また、健康寿命重視の時代を迎える中で、受療のハードルを高くすることは、高齢者の健康意識を高めるという主張もある。病気になったらカネがかかるのは仕方がない。カネの準備をしておけ、それが嫌なら医者にかかるな、とTPP推進論者は言っているように聞こえる。


 次号からは特区制度について、現状とこれからをみていく。(幸)