春暁の ふじ紅に 匂ひたつ(平塚らいてう)


 朝日を浴びた富士山を詠んでいる。雄壮、雄大な光景である。平塚らいてうといえば、「原始、女性は太陽であった」の言葉が有名である。その平塚らいてうの研究会があり、ある観光地を訪れたところ、お土産屋のおかみさんに「へえー、平塚(神奈川県)にも雷鳥がいるんですか」といわれ、口あんぐりだったという話を聞いた。早とちりというか、勘違いというのは誰にでもあるものである。


 富士山が「世界文化遺産」に登録された。うれしい限りである。日本人の心のふるさとだといえる。飛行機に乗っても、新幹線に乗っても、富士山が見えると、妙に安心する。曇っていて見えないときは、なにか損したような気分になるから不思議である。上りの新幹線で静岡駅へさしかかるときに、車窓の右側に富士山が見えるところがある。最初にそれを見たときの驚きと感激は、今でも胸の内に残っている。


 菜の花や 月は東に 日は西に(与謝蕪村)


 天と地とを詠んで、これも雄大である。有名な俳句や川柳の下五を上五に置いて、句を詠むという遊びをやった。


 日は西に 瀬戸内海を 赤く染め


 光景が目に浮かんできて、なかなかなものである。


 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺(正岡子規)

 法隆寺 蜜柑食べても 鐘が鳴り


 うがった一句となっている


 やせがえる 負けるな一茶 ここにあり(小林一茶)

 ここにあり そこにもありあり 蟻だらけ

 行く春や 鳥啼き魚の 目は泪(松尾芭蕉)

 目は泪 クシャミ鼻水 花粉症

 なかなかに切実である。

 五月雨を 集めて早し 最上川(松尾芭蕉)

 最上川 おしんが下る 雪景色

 お遍路が 一列に行く 虹の中(渥美清)

 虹の中 オズの魔法の ファンタジィ


 叙情的であり、メルヘンチックである。渥美清さんは「フーテン」という俳号で、いくつかの句会に顔を出していたことがわかっている。毎日新聞出身の故森英介さんが、渥美さんの俳句を掘り起こして、一冊の本にまとめている。この「お遍路が一列に行く虹の中」の句碑が愛媛県松山市沖の鹿島に建てられたという。松山市北条地区は、生前の渥美さんと親交のあった早坂暁さんの出身地である。その縁で句碑建立となった。渥美さんは放浪の人生を送った種田山頭火や尾崎放哉が好きで、それを演じてみたいと早坂さんに台本を頼んでいた。


 しかし間に合わず、早坂さんが脱稿したとき、渥美さんはこの世にいなかった。


 松竹の大船撮影所で営まれた「お別れの会」の折に、早坂さんは泣きながら渥美さんにそのことを語りかけていた。種田山頭火の句を二つ。


 この道しかない春の雪降る

 春の雪ふる女はまことうつくしい

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松井 寿一(まつい じゅいち)

 1936年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。医療ジャーナリスト。イナホ代表取締役。薬業時報社(現じほう)の記者として国会、厚生省や製薬企業などを幅広く取材。同社編集局長を経て1988年に退社。翌年、イナホを設立し、フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演などを行なうかたわら、TBSラジオ「松チャンの健康歳時記」のパーソナリティを4年間つとめるなど番組にも多数出演。日常生活における笑いの重要性を説いている。著書に「薬の社会誌」(丸善ライブラリー)、「薬の文化誌」(同)などがある