私は40歳近くでフリーになったこともあり、雑誌の仕事では、編集部の指示を受けるより、自分で考えた企画を持ち込むパターンが多い。それでも振り返れば、「そんな無茶な」とため息をつきたくなる“無理難題”を発注された経験もいくつかある。


 そのひとつが02年日韓W杯の直後、週刊文春に頼まれたバイロン・モレノというエクアドル人審判をめぐる疑惑の追及記事である。当時、私は隣国ペルーに暮らしており、移動の利便性だけを理由とした依頼だったのだが、何にせよ、あまりにも雲をつかむような話で途方に暮れてしまった。


「この審判、この間の韓国-イタリア戦で、買収されていたそうなんです」


「具体的に、どんな情報があるんですか?」


「いや、証言や証拠はありませんけれども、あまりにもひどい審判ぶりだったから、みんな『買収されたに違いない』と言っているんです」


 みんながそう思ってるから……。


 ただそれだけの話で本人を直撃したところで、ワイロをもらった、などと白状するはずはない。「無理ですよ」と電話口で抗ったが、「とにかく、やれるだけやってみて」と押し切られてしまった。


 結局、肝心のW杯をめぐる疑惑は、モレノ本人にもきっぱりと否定されてしまったが、その代わりこの男が過去、怒りに任せて強引な笛を吹き、大量の退場者を出す騒ぎを何度も起こしていることや、ライバルを蹴落として国内審判の世界で登り詰めたプロセスなど、山ほどの悪評を集められたので、いったいなぜ、こんな審判がW杯に選ばれたのか、という視点から特集記事を書くことができた(この男はのちにアメリカで麻薬密輸容疑で逮捕され、その人間性の問題は天下に知れ渡ることになった)。


 この取材では、現地プロチームの複数のオーナーから、コパ・リベルタドーレス(南米のクラブ選手権)など重要な試合で、国際審判を買収した直接の体験談も聞くことができた。そういう風土がある、という傍証となる話だ。日韓がW杯誘致を争っていた時期、南米のFIFA理事に韓国サイドから豪華な贈り物攻勢があったことも聞いた。


 そんな取材体験に照らすと、今回のFIFA幹部らの大量訴追騒動には、「さもありなん」という感想しか浮かばない。週刊新潮は今週、『日本の交渉が相手にされない理由がわかった! 賄賂と裏金と汚職のハットトリックだった「FIFA」理事の饗宴』という特集記事を掲載している。


 それによれば今回の疑惑は、米国のFBIと国税庁に脱税容疑をかけられたひとりのFIFA元理事が、司法取引によって供述した膨大な内部情報がベースになっており、テレビ放映権などをめぐる腐敗の中心にはトリニダード・トバゴ人の元副会長ジャック・ワーナー氏がいるのだという。13年前の取材でも耳にした名前だ。


 ネット情報によれば、今回のFIFA幹部らの訴追を端緒として、イタリアでは02年韓国戦における“疑惑の笛”問題も暴かれるのではないか、と期待が高まっているのだという。あの大会ではなぜ、通常とは違った不規則な審判の割り振りが行われたのか。モレノ審判のようにいかがわしい男がなぜ、トーナメントの重要な一戦で、主審になったのか。そういった一連の経緯に、ジャック・ワーナー氏らの関与があったのなら、確かに捜査の進展次第では、あの疑惑の真相が明るみに出てくるかもしれない。


 この記事によれば、今回の訴追騒動の少し前、FIFA倫理委員会の報告書で、22年のW杯招致運動の際、日本の誘致関係者がFIFAの理事たちに8万円から24万円ほどの伝統工芸品を贈った、という“疑惑”も指摘されているそうだが、これはFIFA理事が受け取って来たワイロの“相場”からみれば、5000分の1。私自身かつて、韓国の誘致運動でヒュンダイの高級車が理事に贈られた、という話を耳にして驚いたものだが、そんな噂話さえ、小指の先ほどの断片に過ぎなかったわけである。


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三山喬(みやまたかし)  1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。