孝行のしたい時分に親はなし


 川柳の創始者として知られ、江戸時代中期に活躍した俳人の柄井川柳(からいせんりゅう)が出版した句集、誹風柳多留(はいふうやなぎだる)の最初に出てくる一句である。江戸時代の日本人の平均寿命は40歳代。一人前になった時に片親しかいなかったり、両親ともに亡くなっている例は決して珍しいことではなかった。そうした世相を見事に詠みこんだ一句である。


 ひるがえって現代を見てみると、男性の平均寿命は79歳、女性が86歳。ほぼ倍となっている。そこで詠まれる川柳は次のような内容となる。


孝行をしあきてるのに親がいる


 長寿であることはおめでたい限りなのだが、なんとなくウンザリといった心象風景が浮かび上がってくる。


孝行をしたくないのに四人いる


 結婚すると両方の両親がしっかり元気でいるという嘆き(?)である。


孝行をするもしないも金次第


 ここまでくると、まったくもって身もふたもない仕儀(しぎ=物事の次第)と相成ってしまう。


 川柳は、「軽み」、「おかしみ」、「うがち」(=一般人が気づきにくい事実などを表現すること)の3要素が備わっていることが大事である。初めに七七が提示され、その前の五七五を詠む、「前句づけ」が江戸時代に大流行した。たとえば


うらやましいことうらやましいこと


 という七七にふさわしい五七五は—という出題である。よく知られている前句は


役人の子はにぎにぎをよく覚え


 であろう。

どこの国でも、いつの世でも、お役人への贈収賄事件はかならず起こっている。江戸時代にも商人などからの贈り物やつけ届けを、お役人が受け取っていたのであろう。それを子どもに置き換えて皮肉っているわけである。見事なうがちであり、おかしみである。


盗っ人を捕らえて見れば我が子なり


 父親の嘆きを詠んでいる。出来が悪いというか、不心得きわまりないというか、遊びぐせのついた放蕩息子が、遊ぶ金欲しさに店の品物をくすねたのか、帳場の金に手をつけたのかと思われる句だが、下の句の七七を知ると、盗んだものが何であるかがわかる。


斬りたくもあり斬りたくもなし


 とある。江戸時代では不義密通(浮気)をした場合、その二人を重ねて四つに斬ってもよいことになっていた。息子はこともあろうに、父親のお妾さんを盗んでしまったのである。不逞な息子を持った父親の苦悩を詠んだ一句なのだ。


品川の客はにんべんあるとなし


 これも江戸時代の人にとっては、ハハァンとすぐにわかる句であるが、現代人には不可解だ。品川宿は東海道の最初の宿場町であり、最後の宿場町でもあった。当然、旅籠(はたご)がたくさんあり、女郎といわれる女性たちもたくさんいた。そのお客となったのが武士と坊さんだったので、にんべんのある「侍」と、なしの「寺」となった。

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松井 寿一(まつい じゅいち) 

 1936年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。医療ジャーナリスト。イナホ代表取締役。薬業時報社(現じほう)の記者として国会、厚生省や製薬企業などを幅広く取材。同社編集局長を経て1988年に退社。翌年、イナホを設立し、フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演などを行なうかたわら、TBSラジオ「松チャンの健康歳時記」のパーソナリティを4年間つとめるなど番組にも多数出演。日常生活における笑いの重要性を説いている。著書に「薬の社会誌」(丸善ライブラリー)、「薬の文化誌」(同)などがある。