東京医科大学
医学部泌尿器科学
橘 政昭氏


「今現在、日本ではどのくらい「ロボット支援手術」が行われているのか?」


 実は新聞でもネットでも、この基本的な情報を載せているところはほとんどない。今回取り上げる講演は、この広く知られているようでさっぱり知られていない、日本における「ロボット支援手術」の現状を取り上げたもの。演者は国内で最も頻繁に「ロボット支援手術」を行っている東京医科大学医学部泌尿器科学の橘政昭主任教授。テーマは「本邦における泌尿器科領域ロボット支援手術の現状と将来展望」(第9回日本泌尿器科学会プレスセミナーより)。

 

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 現在、日本で「da Vinci」を導入している医療機関は13施設、導入台数は13台です。アメリカで1160台、ヨーロッパでは276台導入されています。アジアでは81台導入されていて、このうち最も多く導入されているのは韓国(30台)です。全世界での累計納入台数は1571台で、08年以降は年300台超のペースで納入されています。こうして見ると、日本の「da Vinci」導入数は“ロボット先進国”と言われている割に少ないと言えるでしょう(*注〜数字はいずれも2010年6月末時点)。

 

「da Vinci」による「ロボット支援手術」については、内視鏡下で行われる全ての外科手術をカバーできることが実証されています。08年だけで約13万6千件の「ロボット支援手術」が行われていますが、このうち60.7%が泌尿器科の手術で、このうちの90%が前立腺摘除術となっています。

 

 なぜ、「ロボット支援手術」において、前立腺摘除術が多く行われているのでしょうか? その理由はシンプルなもので、「内視鏡下で行う前立腺摘出手術が難しい」ことにあります。前立腺は骨盤の奥深く(小骨盤腔)にあるもので、手術野が極めて狭い上に、複雑な術式が求められます。内視鏡を使った手術では、患部が見えにくいなかで「小さく2Dでしか映せないカメラ」と「動かしにくい鉗子」を使って手術することが求められるわけです。

 

 これが「ロボット支援手術」であれば、「10倍まで拡大できる3Dカメラ」と「自由度の高い3〜4本の鉗子」を自分の手のように使って手術できるんですね。すなわち、内視鏡を使った手術のデメリットを完全に克服し、かつ、安全に実施できるということです。

 

 ここで膀胱・尿道吻合手術の動画が流されたが、2本の鉗子を使って手際よく縫い上げていく様子は、とても内視鏡下での手術とは思えないほどのスムースさだった。内視鏡下での吻合手術は極めて難しい手術とされるが、「ロボット支援手術」では比較的簡単に行えるという。ここで動画を紹介できないことがもどかしいが、実際に手術している様子は、「内視鏡下手術はロボット支援手術に全部置き換わるのではないか?」と思わせるに十分な説得力があった。

 

 東京医科大学における「ロボット支援手術」の現状は、前立腺がん手術が全体の75%超を占めています。


 06年8月から10年6月までに行われた150例のロボット支援下前立腺全摘術を見ると、輸血実施症例数は1例と1/100以下、術後尿禁制率(失禁を抑える成績)は12カ月後で92%と極めて良い成績を残しています。海外データを見てみると、がん制御率と予後は内視鏡下手術、開腹手術とそれほど変わりはないものの、出血量と合併症がかなり少ないことが際立っています。入院期間も短く海外では日帰り手術が実現していることも特筆すべきでしょう。

 

 いいこと尽くめのように見える「ロボット支援手術」ですが、課題がないわけではありません。システムエラーは0.2〜0.4%程度発生することが明らかになっていますし、ここ最近に使われ始めた機器なので、長期のがん制御結果は当然のことながら明らかになっていません。他にも数多くの課題がありますが、一番の問題は「高額なコスト」に尽きると言えましょう。「da Vinci」は1台が3億円、年間保守費用は2千万円必要とされます。このため、最も症例数の多い前立腺がん治療(根治的前立腺全摘除術における内視鏡下手術用ロボット支援)でも、1例当たりの自己負担費用は「72万円」となっています。まだまだ気軽に手術を受けられるようなモノにはなっていないんですね。


 ただし、コストの問題は中長期的に見れば解決する公算が高い。より多くの機器が導入・生産され、他社からライバル製品が上市されるようになれば、生産増加によるコスト減少と競争による市場価格の下落により1台3億円という価格が大きく引き下げられよう。日本における前立腺がんの「ロボット支援手術」に掛かる自己負担費用(72万円)も、将来的には大幅に引き下げられる(あるいは大部分が保険でカバーされる)のではないだろうか。

 

 Intuitive Surgical社によると「da Vinci」の開発にあたっては、中期的には「遠隔操作システム」、長期的には「画像誘導・模擬手術システム」、将来的には「自動手術システム」の確立を目指すという計画を明らかにしています。最新型の「da Vinci Si」では二台のサージカルコントロールが可能となっています。つまり、「二台の機器で、一つの手術をできる」ということで、手術者と指導者が一緒に一つの手術をできるようになっているということです。研修者と指導者が内視鏡画像を共有するだけでなく、実際の手術・手技を一緒に体験することによる教育的効果は極めて高いものといえましょう。

 

 ここまで前立腺がん手術を軸に「ロボット支援手術」の現状をお話してきました。システムエラーやコストの問題などもあり、すぐに開腹手術にとって代わることはないでしょう。開腹手術が果たす役割はこれからも常にあると思います。しかし、それでもロボット手術の症例数は引き続き増加するでしょうし、より多くの泌尿器科のドクターが前立腺がん手術を開腹手術ではなく「ロボット支援手術」を用いて行うことを快適に感じるようになることも間違いないことと思います。

 

「自動車教習所の教習車のように、“先生”と“生徒”が一緒に同じ機器を操り、“生徒”に不手際があれば“先生”がリカバーする」

 

 内視鏡下手術の世界で、すでにこのようなシステムが構築されているとは……。このような教育的効果に加え、患者にとっても予後が良好とされる「ロボット支援手術」は、日本以外の先進国では“夢”ではなく“現実”として医療システムの中にビルトインされているのだろう。もちろん、数年後には東京医科大学以外の病院でも「ロボット支援手術」が当たり前のように行われていくのだろう。しかし、そこに至るまでの明確な道筋——高額な自己負担費用への対応や「ロボット支援手術」の適応拡大など——が見えてこないのも事実だ。

 

 ついこのあいだまで“ロボット先進国”であったはずの日本が、手術用ロボットの世界では“ロボット後進国”でしかない——。「ロボット支援手術」の最新事情以上に、新しい機器、新しいパラダイムに対して後手に回らざるを得ない厚生行政の現状を思い知らされた講演だった。(有)