世界を揺るがす大騒動となっている独フォルクスワーゲンの排ガス不正問題。日本でディーゼル車と言えば、臭くて黒ーい煙を吐くトラック(バイク乗りだったころはずいぶん悩まされたものだ)や、90年代から排ガス規制や東京都などのディーゼル車規制条例が相次いでできたせいで、長らく「環境に悪い車」という印象があった。


 それでも、欧州で普及した「クリーンディーゼル車」のおかげで近年、イメージは大きく好転しつつあった。ところが、今回の排ガス不正が発覚。「結局ディーゼルはダメなの?」と戸惑った向きも多いだろう。


 科学的根拠をもって証明されたはずの発見や発明が、不正発覚で一気に覆され、信用が失墜——。同じような話は医療や医薬の世界でもそう珍しい話じゃない。


 昨年は一般の人にまで知れわたったSTAP細胞事件以外にも、ノバルティスの高血圧治療薬「ディオバン」の研究データ改竄問題、武田薬品の高血圧治療薬「ブロプレス」の誇大広告問題など、業界を揺るがすような大事件が起きたことは記憶に新しい。


 一見、まじめな研究者、といった印象の科学者が、なぜ不正を働くのか? STAP細胞事件ほか近年起こった有名な事例や歴史的な大事件を紹介しつつ、ライフサイエンスを中心に科学者の不正の実態に迫るのが『科学研究とデータのからくり』だ。


 自分の周りの研究者(取材先や友人・知人)を考えても、理屈っぽくて人付き合いする上では少々面倒だなと思いつつも「いかにも不正を働きそう」というワルはいない。総じて正直な人たちだ。このため、毎回この手の問題が起こると、「なんで?」と感じていたのだが、読み進めていくうちに考えを改めた。


 本書は、「たんなるミス」(LEVEL①)や「犯罪行為」(LEVEL⑤)といった、不正の「たちの悪さ」のレベル設定から始まり、事例をもとに不正が起こる原因を分析する。不正の背景にはさまざまな要因がからむが、〈研究者らが不正行為をし、それがやめられない理由は、大きく分類して「研究費獲得」と「キャリアパス」の二種であろう〉。この2つは互いに関係している部分もある。要職につけば、研究費も増えるし、使える研究員の数も増えるからだ。


 本来、不正は論文の査読等で判明する仕組みになっているはずなのだが、有効な防止策はないようだ(もちろん、コピペ程度の不正なら、すでに判定ソフトは登場している)。〈システムのみならず、査読する研究者たちも偏見をもつ不完全なものと考えるのが自然であり、結論として「査読システム全般でも、デタラメや不正をストップすることは困難である」と言わざるを得ない〉〈実験結果の査読も、その後の追試による再現も、意識的な不正行為に対しては無力である〉からだ。


 現実的に取り得る不正防止策としては、〈不正が発覚したときのペナルティはより重いものに〉というくらいか。 


■メディアはチェックされない第四の権力!?


 本書の終盤、矛先はメディア、広告の世界にも向かう。メディアは〈チェックする機関のない第四の権力〉〈「ほんのカケラの最後の良心」すらもつ必要のないのが、広告業界であろう〉となかなか手厳しい。おかしな記事には各所から突っ込みは入るし(最近はよく訴訟にもなる)、まともなメディアは怪しげな広告を載せないよう掲載基準を設けたりしているので、必ずしも批判は当たらない部分もある。


 ただ、「おわりに」に出てくる〈マスコミのデータに対するチェック能力はかなりレベルが低い(ところが多い)。もっとつっこみ(つまり質問し精査する)、事実とは何かをつきとめ、そして事実を発信してほしい〉という指摘は自分も含めて重く受け止める必要がある(この本でもさんざん批判されている「ギャンブル依存症536万人」という数字を前々回、安易に使ってしまったと反省)。


 もっとも実際のところ、記者やジャーナリストには、私立大文系学部出身で、「中学までしかまともに数学、理科を勉強していない」という人も少なくない。数式や化学式に拒絶反応を見せる書き手をずいぶん見てきた。統計の生データに当たったことがないという人も、相当数いるはずだ。


 科学者の不正を防ぐのも楽ではないだろうけど、マスコミのデータリテラシーを向上させるのは、さらに難しいかもしれない。(鎌)


<書籍データ>

『科学研究とデータのからくり』

谷岡一郎 著(PHP新書 780円+税)