筑波大学
眼科教授
大鹿 哲郎氏


 2012年、5月21日は金環日食の日だ。6時30頃から9時頃にかけて、全国のほぼ全ての地域で日食が見られ、7時30分頃には関東、東海、近畿、四国、九州南部で金環日食が観測できるという。


 金環日食については、東京に限って見ても1460年7月18日以来のことで、実に1300年振りのこと。「太平洋ベルトを中心としたほぼ日本全国」で「就業学業時を覗く絶好の観測時間帯」に見られるという条件を含めれば奇跡的なタイミング——実際、1460年の金環日食の観測地域は関東甲信越に限られ、次に来る2762年の金環日食の観測地域も北陸から関東甲信越に限られる——といっていい。


 理論上、全国で8300万人余の人が観測できる一大天体イベントだけに、日食観測時につきものの「日食網膜症」を発症する人も、数万人〜数十万人に及ぶ可能性がある——という懸念から、いち早く国民に「正しい日食の観測方法」についての啓蒙活動を行っているのが、日本眼科学会、日本眼科医会、日本眼科啓発会議の3団体。彼らが主催したセミナー『「不適な観察方法」で眼傷害のリスク上昇』を取材した。講演は『日食による目の傷害:日食網膜症』(大鹿哲郎・筑波大学眼科教授)。


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 太陽の光を直接見ると目に障害を負ってしまうということは、古代ギリシアのプラトンが書き残しているほど古くから知られていました。こうした太陽光による目の障害のことを、「日食網膜症」といいます。


 日食網膜症は、眼球によって集光された太陽光が眼底の中心窩を傷つけることで起きるものです。中心窩は網膜の中でも最も感度の高い部位であり、多くの視神経が集まっている部位でもあります。


 なぜ、中心窩に過度の太陽光が当たることで、目に障害が発生してしまうのでしょうか? かつては集光された太陽光により網膜内の温度が上昇し、たんぱく質を変性させてしまうという「熱傷害説」が唱えられていました。しかし、実際には網膜内の温度は数度しか上がらず、たんぱく質を変性させるほどの高温になるわけではありません。


 そこで有力視されているのは「光化学傷害説」です。これは波長400〜500nmの青色光が、網膜に光学的な傷害を与えるという説で、視物質、色覚色素の再生系破壊、網膜視細胞、色素上皮に傷害が発生すると考えられています。実際、青色発光ダイオード(400〜600nm)の光を長時間見続けると視覚障害が発生する可能性が指摘されているように、現在は、「日食網膜症=光化学傷害説」と考えられています。


 かのガリレオ・ガリレイが晩年失明した原因も、望遠鏡で太陽を見ていたことによる日食網膜症にあるという。そんな日光網膜症の症状とは、どのようなものなのだろうか?


 日食網膜症の主な症状は、次の三つです。


中心暗点——視覚の中心に黒い点が発生し、そこだけ見えなくなってしまう


変視——視覚の真ん中が歪んで見えてしまう


視力低下、霧視——視覚がぼんやりとしてしまう


 傷害の程度は「曝露量率」と「曝露時間」の積で決まります。つまり、「短時間に強い光を見る」「長時間にそれほど強くない光を見る」といういずれのケースでも、同じように傷害が発生するということです。「直視できるくらいの光なら、しばらく見ていても安全」ということはないんですね。加えて、ごく短時間の日蝕の観察でも、回数が重なれば網膜へのダメージも重なるので、同じように傷害が発生する可能性があります。


 例えば、「0.1秒間、太陽を直視する」という行動を10回繰り返せば、「1秒間、太陽を直視する」のと同じ程度のリスクがあるということ。加えて、1秒に満たない時間であっても、日食を見ようと太陽を直視したら最後、運が悪ければ生涯視力に影響が出てしまうこともあり得るということだ。では、日食網膜症を患ってしまった場合、その治療法はあるのだろうか?


 こうした症状は、一過性で終わるものもあれば、永続的に続いてしまうものもあります。ただ、いずれのケースでもハッキリしていることは、「有効な治療法はない」という事実です。経過観察した後、軽症であれば数日なり数週間で回復することもありますが、運が悪ければ生涯視力に影響が残ってしまう可能性もあるということ。だからこそ、初めから日食網膜症にならないように予防することが大切なんですね。


 1978年、全国で日食が観測された際、幼少時の筆者は「色つきセロハン」や「煤つきガラス」を通して太陽を見たものだが、このような予防方法は適切なものといえるのだろうか。


 普通のサングラス、色つきの下敷きやカラープラスチック板、CD板、カラーフィルムなどは、全て予防効果はありません。ローソクの煤をつけたガラスについては、昨今のローソクでは煤が出ないので、期待できるほどの予防効果はないといえます。太陽を直接観察する方法としては、市販されている「日食グラス」を通して見る方法が、最も適当といえるでしょう。


 このような予防方法が必ずしも世間一般に周知されていなかった1978年の部分日食では、全国で46例、1936年における北海道北東部皆既日食では90例もの日食網膜症の報告例が上がっているという。一過性の症状に終わり医師の診断を受けていないケースは遥かに多いものと見られ、実際には上記報告例の数十倍の患者がいたと考えられている。また、1912年のドイツにおける日食では、眼の傷害を訴えた人が3500人を超えたという。


 1978年10月2日の部分日食は、ほぼ全国で見られたものでした。東京では16時30分頃に最も多く日が欠け(食分0.35)ており、天気も晴れ、最高気温26.6度と日食観測には最適のコンディションでもあったことから、日食網膜症の報告例が数多く上がってきました。


 このうち5日以内に受診した36眼のケースでは、22眼に視力低下が認められました。その程度は視力0.5までの中程度のケースが多いものでしたが、なかには視力0.1まで低下したケースもありました。大多数は回復しましたが、暗点が残った症例もあったと報告されています。日食網膜症の怖いところは、潜在例がかなり多いことです。数年前の日食網膜症が一般検診で見つかったり、30年前の傷害が人間ドックで発見されたこともあります。


……30年以上前に煤つきガラスで日食を見て大騒ぎしていた筆者の眼も、もしかしたら日食網膜症に冒されているのかも知れない……。ちなみに、煤つきガラスによる日食観測がNGとされるようになったのは、2009年7月22日の皆既日食の頃からだそうだ。


 ともあれ、日食網膜症は誰でも予防できる——最も有効な予防方法は日食を観察しないことだ——ものなので、5月21日までに「日食グラス」(せいぜい数百円から高くても千円前後のモノ)を購入しておくのが良いのだろう。なお、「日食グラス」での観察にあたっては、あらかじめ太陽のある方向を確認したうえで、下を向いて「日食グラス」をつけた後、太陽を見るのが正しい観測方法とのこと。ちょっとでも直に太陽を見てしまっては、日光網膜症を発症する恐れがあるので、ごく短時間でも太陽に目を晒さないように注意するのが肝要といえよう。(有)