製薬会社勤務
山椒魚氏(ペンネーム)


 サブプライムローン問題に端を発した景気後退が世界を覆っている。日本もその影響を受ける形で先行きの不安を増大させている。そのような状況下でいま、日本の製薬業界では更なる業界再編や将来の会社業績に対する漠然とした不安からか20代後半から30代半ばを中心とした中堅層で転職熱が高まっている。

 

 社内に漂う行き詰まり感


 武田薬品、アステラス、第一三共、エーザイの、いわゆる国内トップ4社はグローバルには未熟な点を残しつつも、海外での開発と販路の展開に活路を見出そうとしている。一方、他の内資系企業は、薬価切り下げが続く国内市場で細々と生き残りを模索している。新薬パイプラインの乏しいメーカーでは、言いようのない先行き不安感が社内に蔓延。こうした雰囲気に特に敏感に反応しているのが20代後半から30代半ばを中心とした中堅社員だ。


 団塊の世代が退職を迎え、労働力人口の低下が深刻な問題となっているのは、製薬業界においても例外ではない。中堅層は労働力不足を負担する吸収材の役割を担っている。社員の年齢構成も年々急速に高齢化しており、年功序列型の昇進制度を採用している企業では中堅社員を管理職へ登用すること自体困難な状況になっている。仮に管理職となったとしても、「名ばかり管理職」問題が着実に顕在化してきている。例えば、課長が何人も存在することで指示系統が複雑化し,社内の人間関係にまで暗い影を落としている。


 一昨年辺りまで外資系ファンドの台頭や物言う株主の登場で上場企業の業績や経営方針に対する外部圧力が強かったが、昨年来の金融崩壊でファンド株主の存在は薄れてきたものの、株主の経営者に対する目は依然として厳しい。決算期の定例記者会見でも、明るい未来や有望なパイプラインを語れない企業は市場から退場しろと言わんばかりである。これに対して、企業側もパイプラインが充実していることを説得する材料として若干無理をしてでも新規化合物の導入や株価対策としての開発を展開したりする。お家事情をよく知る社内からは「またか」の声がささやかれ、明確なビジョンのない経営方針にモチベーションは低下の一途を辿っている。


 このような現状に耐え切れなくなった中堅層が転職に踏み切っている。

 

 転職するにもメールが命

 

「あいつも転職するのか!」


 同僚との立ち話や人事異動情報に毎月一度は、社内に静かな動揺が広がる。相次ぐ退職者を目の当たりにして、「いよいようちの会社もダメか」と、残留組はあせりを隠し切れない。とくに転職可能世代の焦りは経営層の想定をはるかに超えたものとなっている。こうした状況を背景に、最近、中堅社員を中心に静かなブームとなっているのが、転職支援会社が運営する転職サイトへの登録である。

 

 転職サイトと言ってもその実態は様々。幅広い業種で転職活動を支援するものから、医薬業界に特化したものまである。いずれのサイトも登録は無料のケースがほとんどで、転職希望がなくてもその手軽さと終身雇用制の崩壊という時代背景を反映して中堅社員の多くが登録しているのが現状だ。希望する職種の動向や年収など気になる項目を随時確認することが可能となり、実際に自分の市場価値を実感できる点が好評だ。


 人気なのが職種に合わせて採用情報をメールで配信するサービスである。最近では自分の年齢やキャリアに応じて採用情報が配信されるきめ細かなサービスも提供されている。残留組の多くは、転職サイトのこうしたサービスを利用し、定期的に採用情報を確認することで「まだ大丈夫」と、自分を安心させる手段として活用している。


 それでも35歳を過ぎた辺りからメールの内容や頻度も目に見えて変化してくる。「メール来なくなったなぁー」と実感し始めた頃には、もはや企業も触手を伸ばさない人材になっているという具合である。急に勤務態度が真面目になった35歳過ぎの社員は、まわりにいないだろうか。もしかすると、その社員は採用メールが来なくなり、逆に会社に骨をうずめる覚悟ができてしまったのかもしれない。「SE35歳限界説」という言葉が一時期IT業界を中心に浸透したが、製薬業界も同様のようだ。

 

買い手優位の転職市場


 転職市場は確かに熱くなっており、サイトに掲載される転職成功例などを見ると簡単に転職できる気がしてくる。しかし、現実はそう甘くない。


 医薬品販売営業受託企業(CSO)のアポプラスステーションが昨年4月、転職希望者に対する意識調査の途中集計結果を発表した。調査によると、働きたい製薬企業の上位10社は国内トップ4社と外資系企業でほぼ占められているという。転職の受け入れ側となるこれら企業でも、徐々に採用条件を厳しくしている傾向が認められる。採用に意欲を見せる一方で、職務経歴書による入念なキャリアの確認や面接による人物評価を徹底するなど、実際の採用には慎重な姿勢が感じられる。


 即戦力を期待する一方で、自社社員の年齢構成から20代後半から30代前半を採用したいとする企業が多い。ちょうど数年前の採用抑制期と重なり、どの企業でもこの年齢層の人員は薄い。これを機に人員補充する考えだ。しかし,この年齢層では実際のところ即戦力一歩手前の人材が多く、年齢とキャリアのどちらを優先するのか、採用担当者も頭が痛いところであろう。


 逆に若干ではあるが高度な専門性が評価されれば50代に近くても転職への道が開かれる。ただ、この場合、上司と部下の年齢関係が逆転するなどして配属予定先の管理者側から「扱いにくい」とする声も聞かれることが多い。


 いずれにしても、採用側が適切な視点で選抜すれば希望する人材を採用することが可能なわけで、これは嬉しい悲鳴に違いない。

 

どうなる転職動向

 

 国内中堅企業からの人材流出傾向は、しばらく続くと予想される。今後の展開として、外資系企業が営 業部門や臨床開発部門のリストラに着手する時期がポイントになるだろう。研究所を中心とする非臨床部門の撤退を完了し、残るは営業・臨床開発部門の人員整理となる。これら部門の人員整理が本格化すれば、外資から内資への人材逆流が起きるだろう。


 また、外資、国内大手の大型薬特許切れが相次ぐ2010年以降、各社とも経営が苦しくなる中でどこが人件費削減に踏み切るか注目される。リストラは最後の手段としても福利厚生が見直され、日々の生活を圧迫してくることは容易に予想できる。例えば,某国内大手では1食500円以上の昼食手当が支給されると聞いているが、こうした温室育ち的な手当から削られることは言うまでもない。


 最近の新卒社会人の多くは安定志向であり長く就職した会社に勤務したいと願っているらしい。しかし、現実は厳しいとすぐに気付くだろう。政府は段階的にではあるが技術職を中心に外国人労働者の受け入れへ舵を切っている。もはや競争相手が同世代の日本人とは限らない。好むと好まざるに関係なく、世界の同世代を相手にしなければならない。周囲の同僚や他社の友人を見て強く思うことがある。「自分たちがグローバルな人材コンペティションの中にいることをもっと強く自覚した方がいい」と、私は本気で危惧している。


(山椒魚)