9月某日。炎天下の北千住駅前にやってきたのは、8月に懲罰降格で2軍落ちしたDeNAベイスターズの中村紀洋と同世代の筆者さん。今日の打ち合わせは、昨今話題になっている「学術の春」について、記者が筆者さんと対談するために設定したものだ。

 実はこのテーマ、筆者さんに原稿執筆をお願いしていたものの、「ちょっと書けないから、別のテーマで打ち合わせしようぜ」と断られたものだ。そこで、筆者さんの希望通り打ち合わせの席を設定したのだけど、ここで普通に打ち合わせをしてしまっては一流の記者にはなれない。シャア少佐曰く、「戦いとはいつも二手三手先を考えておこなうものだ」というのであれば、「打ち合わせの席を設定した、ということはこれを利用することも可能であるはず」と考え、打ち合わせの席を即席対談することを決心。

 暑苦しい日に暑苦しいヒゲ面を見て、余計に暑苦しくなって……という感想を胸に秘め、「とりあえず涼みましょう」と向かった先は、某ファミリーレストラン。懐に忍ばせた小型ICレコーダーのスイッチを入れ、アイスティーを一気に啜った後、今日の本題をおもむろに切り出した。

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記者——さて、今回は「学術の春」について取り上げてもらいたいんですが

筆者——このあいだ「書け!」っていわれたから、いろいろ資料ひっくり返したり、ネットの情報を漁ってみたりしたんだけどさ。これで何を書けっていうのさ。

記者——というと。

筆者——つまるところ、これって「ブランド品を高値で売る会社に、客がケチつけてる」ってハナシでしょ? 突き詰めれば単なる値引き交渉なわけだから、取り上げたところでどうにもハナシを転がしようがないじゃない。

記者——でも、「学術情報の自由」とか「学術出版を巡る構造的問題」とか、いろいろと切り口はあるんじゃないですか?

筆者——……それってフカしだろ? とりあえず難しい言葉を並べておけば、それっぽくなると思って言っただけだろ?

記者——そんな滅相もない! このblogにある記事からの引用ですよ(と、プリントアウトした紙をエラそうに提示)。

筆者——まぁいいや。じゃぁ、ちゃんと勉強しているってことを証明してもらいましょうか。というわけで、「学術の春」について簡単に説明してみて。

記者——「学術の春」(Academic Spring)とは、今年1月、ケンブリッジ大学の数学者であるウィリアム・ティモシー・ガワーズが、自らのblogに「エルゼビアには寄稿しない」とのエントリを書いたことを契機に起きた、<エルゼビア・ボイコット運動>です。

このエントリを受け、「The Cost of Knowledge」(http://thecostofknowledge.com/)という<エルゼビア・ボイコット運動>の署名サイトが発足。現在までに12691人(12年9月18日時点)が署名するなど、その運動は猛烈な勢いで拡大しています。この<エルゼビア・ボイコット運動>の要諦を三か条にまとめると、

・エルゼビアで出版しない

・エルゼビアで査読しない

・エルゼビアで執筆しない

となります。なお、ボイコットのターゲットとなっているエルゼビアは、16世紀から続くオランダの学術出版社で、『The Lancet』を初め数々の著名な学術誌を発刊している業界屈指の企業です。

筆者——要するに数学者を中心に、「雑誌ごときにバカ高い値付けをして暴利を貪るエルゼビアとは、今後一切付き合わない」というボイコット運動を起こしているってことだね。

記者——実際のところエルゼビアの学術誌の値段っていくらなんですかね?

筆者——エルゼビア・ジャパンのサイトに2012年の価格表があってね、これをザッと覗いてみたんだけど、最も安いもので44000円。高いものは600万円を超えていたね。100万円以上の雑誌もザラにある。仕事のためにAmazonからたびたび学術専門書を買うことがあるけど、その値段はといえば3000〜6000円くらいの相場だからね。もちろんプレミアつきのものであれば20000円以上する本もあるけど、さすがに40000〜50000円もする本はない。一般市場での流通がほぼ見込めない学術専門書と比べても、エルゼビアの学術誌の値段は割高……というか、ハッキリ高すぎ! とはいえそうだね。

記者——そもそもどうして、エルゼビアの学術誌の値段は高いんですかね?

筆者——根本的なハナシをすれば、「高くても売れるから」でしょ。まぁ、これを言ったらお終いだけど。もう少し踏み込んで言えば、「学術誌の業界が独占市場だから」ってことなんだろう。現状、世界的な学術誌は、オランダのエルゼビアを筆頭にドイツ、アメリカあたりの出版社しか出していないわけでしょ? しかも、全部合わせても両手で数えるくらいの出版社しかないわけだし。だから競争原理なんて働くわけがない。

 加えて、学者は発表済みの論文を読まなければ仕事ができないわけでね。実際、何か思いついて実験なり計算なりをして論文にまとめても、「過去の業績と被ってないか?」ってことを確認するプロセスは絶対に必要なんだもの。つまり、絶対にニーズがなくならなず、いくら高額な値段設定をしても確実に捌けるということ。

 となれば、バンバン値上げするのは経営者として当然の判断であって、むしろこれだけの条件が揃っていて値上げを見送る経営者なんてのは、株主にとってみれば「意図的にサボタージュして損失を拡大しているダメ経営者」ってことになるわけだから。

記者——それにしても、新規参入の動きはないんですかね? 実際、論文を査読する学者を集められれば、誰でもできると思うんだけどなぁ……。

筆者——仰るとおり。多分、誰でもできると思うね。それこそ「エルゼビアの一部門が、本社経営陣と喧嘩別れして独立。元社員がコネを辿って学者を囲い込み学術誌を出す」なんてことになれば、多分、エルゼビア本体で出しているモノと全く遜色のない雑誌を出せるだろうね。それでも新規参入がないってことには、それなりの理由があるんじゃないの?

記者——じゃぁどんな理由があって新規参入できないと?

筆者——ズバリ、ブランドの問題でしょ。学術誌を作ること自体は誰でもできる。でも、ブランドをゼロから創出することは難しいからね。これは鞄の世界と同じで、一流の鞄職人であれば誰でも、ルイ・ヴィトンの鞄より丈夫で使いやすい鞄を作れる。その職人のセンス次第では、ルイ・ヴィトンよりも素晴らしいデザインの鞄を作ることだって不可能じゃない。でも、実際にそういう鞄を作ったところで、ルイ・ヴィトンの鞄よりも高く売れることはないわけでしょ? 学術出版の世界もコレと同じで、「何を発表した」かよりも「どこで発表した」かの方が大切なわけだから。

記者——そうはいっても本当に画期的な論文だったら、発表の場を選ばないんじゃないですか?

筆者——もちろん。でも、そういう画期的な論文ってのは毎日発表されるものじゃないんでね。それこそSF作家のシオドア・スタージョンの言う、「どんなものでも、その90%はクズ」ってハナシを適用すれば、日々発表される論文の90%以上は、「既存論文の語句をちょっと変えた」「既存論文の数値をちょっと変えた」「既存論文の実験の仕方をちょっと変えた」みたいなものばかりで、まぁ、クズに近いものだと思うけどね。

 で、こうしたクズ論文にとって見れば、ブランドのあるメジャーな媒体に載ることこそが大事なわけで、だからこそ他の学者に閲覧され、場合によっては参照され、学者としての実績にも繋がるってことになるわけだから。

 極端なハナシ、もし、アインシュタインが現代に蘇って統一理論を練り上げたとして、その論文を名も知れない学術誌に載せたとしたら、これが顧みられるまで10年以上かかる——なんてことがあっても不思議じゃないかもね。よしんば学会で理論を発表したとしても、「エルゼビアみたいなメジャーなところで論文を発表できない学者の言うことだから、多分、トンデモ理論なんだろう」と思われるだろうし。

記者——……つまるところ、「競争原理が働いていない市場で、確固たるブランドを持っているから、値段がバカ高い」ってことですか。

筆者——そういうこと。自由市場経済の下での価格設定には、“適切な価格”というものはないからね。価格ってもの自体、商品の需給バランスによって決まるわけだから。だから、50万円以上するルイ・ヴィトンの鞄の値段を誰も高いといわないように、エルゼビアの学術誌の値段だって高いとはいえないんだよ。

記者——でも「ブランド品」として捉えれば正しいかも知れないけど、「独占市場」として捉えれば、これは是正されるべきなんじゃないかなぁ。

筆者——いいこというね。確かにその通り。本来なら独占禁止法や著作権法の改正なんかで取り上げられるべきテーマなんだよ。エルゼビアの学術誌……とりわけ電子出版のモノに関していえば、ユーザーは「テキストを閲覧する権利」を購入しただけであって、「テキストを所有する権利」を購入するわけじゃない。つまり、これが紙に印刷された本であれば、「一度買ったらいつでもどこでも閲覧できる」けど、電子出版の場合は「常に金を払い続けないと閲覧できなくなる可能性がある」ってこと。しかも学術論文ってのは、その中身以上に「いつでも閲覧できる」ってことが大切なわけで、これを人質にとって、「この値段で金を払わないと、過去の論文も含めて一切閲覧できなくなるからな!」って言われたら……。

記者——論文をいつでも閲覧できなければ学者として仕事ができない。その論文が載っているのは欧米の10社余の出版社に集中している。学者と出版社の立場があまりにも非対称的なんだなぁ。じゃぁ、どうしたらいいんですかね?

筆者——わかんないよ、そんなこと! でもまぁ、「ボイコット運動を解消する」のであれば、「エルゼビアが値段を下げる」というのが答えになるだろうし、「現在の学術出版業界の歪みを正す」みたいな大きなテーマについていえば、「電子コンテンツを巡る著作権法の改正(=コンテンツの閲覧ではなく、所持を可能にする方向で法改正する)」というのが一つの解になるかも……としかいいようがないね。

 ただ、10年、20年というスパンのハナシでいえば、エルゼビアのやっている商売は必ず破綻するでしょ。

記者——それはどういうことですか?

筆者——名著『FREE』でクリス・アンダーソンが書いている通り、「デジタルのものは、遅かれ早かれ無料になる」ということは真理だからね。学術論文にしても、電子出版という形を取る以上、このルールからは逃れられないわけで。

 となれば、エルゼビアとしては

・いち早く査読に代金を払い、雑誌の価格を大幅に下げることで、他の出版社で書いている学者を根こそぎ引き抜き、完全な独占体制を構築することで、一日でも長く現状のビジネスを生きながらえさせる

・ドル箱の学術出版を諦め、他のビジネスで金の卵を見つける

 という二つに一つの道を歩むしかないんじゃないかと思うけどね。あ、このハナシは、早くから電子化した音楽、映像ビジネスで採られた戦略そのもので、別に目新しいハナシってわけじゃないからね。でもまぁ、実際には「学者風情が俺たちに歯向かいやがって」みたいなプライドもあるだろうから、素直に値下げとはいかないんだろうけどね。それに来年も同じように社員にメシを食わせていくためには、安易に値下げなんてできないだろうし。

記者——そうやって決断をズルズル先延ばしにすると、最悪の事態が待っているってことですか?

筆者——そこから先はご想像にお任せします。

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 結局、結論があるようでないダラダラした対談はここで終了。筆者さん的には本題である「次のテーマの打ち合わせ」に移った。「学術の春」については未も蓋もないハナシで終始してしまい、正直、不満がないわけではないけど、もっと深く掘り下げるには関係者へのインタビューが欠かせないのだろう。また、このテーマを取り上げる機会があったら、そのときは「筆者さんを外して、記者単独でインタビューを決行する」ということを心に誓った。(有)