孑孑(ぼうふら)が
人を刺すよな蚊になるまでは
泥水飲み飲み浮き沈み
名優・故森繁久彌さんがよく口ずさんでいたといわれる都々逸である。
ぼうふらは蚊の幼虫である。水中で泳ぐ様子は、あたかも棒を振っているようにみえる。蚊は水面に卵舟(らんしゅう)と呼ばれる卵塊を産む。4〜5日で孵化(ふか)して、ぼうふらとなる。ぼうふらは水面で空気呼吸をし、水中に潜水して餌を食べる。2週間くらいで「おにぼうふら」と呼ばれる蛹(さなぎ)になって脱皮し、成虫となる。
水道が今ほど完備していなかった明治、大正、昭和の戦後しばらくまで、各家庭の台所や手洗いに「手水鉢」(ちょうずばち)というものが置かれていた。また、町のあちらこちらに、防災用の用水桶(コンクリート造りもあった)が置かれていた。長続きしている水たまりや手水鉢、用水桶などで、ぼうふらをよく見かけたものである。
孑孑や松葉の沈む手水鉢(正岡子規)
松の枯葉が沈んでいる手水鉢に何やら動いているものがいる。よく見ると、ぼうふらだった。ぼうふらがわき、松葉が沈んでいるということは、暑さにかまけて水を替えなかったからであろう。
さて、森繁さんの歌である。ぼうふらはここでは修行中の芸人のことである。一人前になるまでには、いろんな艱難辛苦(かんなんしんく)がある。その結果、確かな芸を身につけたとしても、人気という得体の知れないもののために、浮き沈みの激しい人生を送ることになる、といった歌意である。
流行歌という表現がある。歌は世につれ世はは歌につれ、ともいう。時代とともにいろんなことが変わっていく。ここ100年ほどを振り返ってみても、娘義太夫、活動弁士、浪花節、演歌等々、わが世の春を謳歌したものの、今では往事茫々(おうじぼうぼう)。見る影もなくなってしまっている。まさにこの世は「不易流行」、変わるものと変わらないものとが混在している。不易流行は茶道の開祖・千利休の言葉と伝えられている。次のような歌を詠んでいる。
茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点(た)てて
飲むばかりなることと知るべし
その道を極めるなどというと、いかにも難しいことのように思えるが、極めて平易なことなのだと諭している。織田信長、豊臣秀吉の茶頭をつとめたが、秀吉の勘気に触れて、切腹して果てたのは、あまりにも有名な話である。真の原因は不明であるが、立場は違っても、「両雄並びたたず」であったのであろう。千利休の生没は1522〜1591年。安土桃山時代の茶人である。
「家は洩らぬほど、食事は飢えぬほどにて足ることなり」という言葉も残している。当時の家屋は木造で、藁葺き、茅葺きの屋根が大半であった。風雨が強いと、上からも横からも雨や風が吹き込んだものである。質素倹約が侘び茶の真髄となっている。
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松井 寿一(まつい じゅいち)
1936年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。医療ジャーナリスト。イナホ代表取締役。薬業時報社(現じほう)の記者として国会、厚生省や製薬企業などを幅広く取材。同社編集局長を経て1988年に退社。翌年、イナホを設立し、フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演などを行なうかたわら、TBSラジオ「松チャンの健康歳時記」のパーソナリティを4年間つとめるなど番組にも多数出演。日常生活における笑いの重要性を説いている。著書に「薬の社会誌」(丸善ライブラリー)、「薬の文化誌」(同)などがある。