病理医・作家
海堂 尊氏
日本医学ジャーナリスト協会の月例会で、医師であり作家である海堂尊氏が講演した。外科医を経て病理専門医となり、オートプシー・イメージング(Ai:Autopsy imaging)、つまり死亡時画像(病理)診断の重要性について演述した。
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医学部へ入り、外科医をめざした。7〜8年研修医をして大学院へもどり、博士号を病理でとった。分子生物学にも取り組み、実験をやりたくて千葉の放医研で解剖を経験した。放射線の治療効果をみるのと、病理的に判定する仕事ならば解剖が重要となる。一生懸命にやったが、2年目にきちんとできないということがわかった。
がんの場合、小さくなれば効果あり、大きくなれば効果なし、である。死亡時に判定できるわけだが、それでは遅い。解剖すれば組織をちゃんととれるし、容量の違いもわかるのだが、最終的には画像が得られていない。実態を、なますのように切ってみても比べられないのである。つまりがんの治療効果判定は、ちゃんとできていない。
何年に1度の割合で慰霊祭が行われる。99年11月7日、お経を聞きながらウツラウツラしているときに、死体の画像診断をしてみては、と思いついた。講堂から研究室へ戻るとき、同僚の医師に話したら賛意を示してくれた。しかしPETの専門医なのでAIとは相性が悪かった。院内会議や倫理委員会をクリアして、AIのパワフルな検査をわかってもらえた。学問の体系上、医療上Aiは必須のものである。放射線科の本意ではないというが、死を学ばずしてなんの医学か、といいたい。
AI画像をとることは、国民的コンセンサスがないという。「生きている患者をとっているのに、死体をとるとはいかがなものか」と批判する人もいる。こういう人はやりたくないのだなと思う。しかし病院のベッドでは患者さんが亡くなっている。それでも次の患者さんは嫌がらないでそのベッドへくる。
千葉大にAIセンターが立ち上がった。ジャーナリストの皆さんにも一般の人にも、腹蔵なく知ってもらうのが使命である。遺族の方々に郵便でアンケートすると、ほとんどの人がAiをやったほうがいいと答えてきてくれる。看護学校で教えて調査すると、95%がやれと答える。やらないほうがいい、わからないはたかだか5%である。一般の人たちは賛成50、反対50となっている。
現在の日本は、死因不明社会である。これを解明する必要があるのに、官僚は予算を計上しない、お上のいうことを聞いている御用学者が反対する、大新聞、テレビもお役所の情報をタレ流しているだけ。「医学の基礎は解剖」は黄金律なのに、厚生労働省は病理解剖にお金をつけていない。しかもいつまで経っても医療費削減の一点張り。
遺体を損壊するのは非人道的という理由から、医療現場で解剖が重視されなかった。しかしこれからは解剖に別途予算を計上すべきである。Aiは画像診断だから、遺体を傷つけないし、非侵襲性でスピードも速い。遺族が知りたがっていることを伝えることが大切で、Aiでわからなければ解剖へ進めばいい。それができない社会はおかしい。私1人が声高にいっているのもおかしい。もっと多くの他の人もいってくれればいい。正しくて当たり前のことができないのでは、市民社会の敗北である。
ジャーナリストが座視しているのはなぜなのか。基本に立ちかえって考えれば、みんないつかは死ぬのである。平等に一度だけ行うのがAiであると、きちんとシステム化すべきである。景気回復よりも先に、国民1人ひとりの生命の尊厳を考えてほしい。
死因究明は医学である。医学への投資は惜しまないでほしい。医療は金を生む。患者を治療し、メタボを予防する。それなのに、死因究明は医療でやれというのはおかしい。医療費は足りない。しかも減らそうとしているのに、である。
法医学会が事件性のある遺体を解剖している。年間5千体から7千体。1体につき20万円である。医師個人の収入となる。下支えしている放射線科医は脚光も浴びなければ、収入もない。金がない、人が足りない、業務だけ、では医療現場はやっていられない。
AIは医療現場の末端に置いて、医療費以外のお金を入れるべきである。司法的立場でなく、純粋に遺族の皆さんに情報提供ができる。Aiの死因確定率は3割といっているが、CTのことであり、MRIまでやると6割になる。解剖は8割で、10割じゃない。法医学会では1年かかるといわれ、病理で3か月から半年間。Aiはその場で決着がつくし、翌日結果がわかる(不明も含めて)これなら医療紛争にも役立つ。現在「死因究明医療センター」を立ち上げようと尽力しているところである。(寿)