静岡県立総合病院

院長代理

野々木宏氏


「主人公が、銃弾を浴びて瀕死のパートナーの胸に両手を当て、心臓マッサージと人工呼吸をする」 ハリウッドアクション映画か海外サスペンスドラマを鑑賞していれば、誰もが一度は目にするであろう、鉄板のお約束シーンだ。


 ところでこのシーン。実は医学的に見ると、必ずしも正確に撮影されているわけではない。というのも、多くの場合、「マッサージをする際の両手のあて方」に問題があるからだ。ではどう問題があるのか? 正しいマッサージの仕方はどのようなものなのか?


今回取材したプレスセミナー「日本が変えた心肺蘇生法ガイドライン2010——救命率世界一にするために今後必要なこと」(演者:静岡県立総合病院・野々木宏院長代理)の内容は、心肺蘇生法の歴史から上記の疑問に対する答え、そして正しい心肺蘇生法の講習体験まで、実にバラエティに富んだ興味深いものだった。


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 胸に両手を当てて胸骨を圧迫しつつ、口をつけて人工呼吸を行い、電気ショックを与える——。いまでは誰もが知っている、このような心肺蘇生法(以下、CPR:Cardio Pulmonary Resuscitation)は、1960年に確立されたものです。循環確保法(胸骨圧迫心臓マッサージ法)、人工呼吸法(口対口呼吸)、電気的除細動とも、別々の人が1960年に揃って開発。これら3つの手法を統合した結果、現代のCPRが出来上がったというわけです。


 CPRの方法は、「気道確保→人工呼吸→心臓マッサージ」の順番で行われます。英語圏では、「A(エアウェイ)→B(ブリージング)→C(カーディオマッサージ)」というように、A、B、Cの順番で覚えられてきました。このCPRが日本で普及したのは比較的遅いものでした。例えばCPR50周年を迎えた2010年、日本では「国内での普及20周年」を祝う催しが開かれました。つまり、世界から30年遅れて普及したということです。

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 しかし2012年現在、日本はCPRの分野において、30年遅れどころか世界のトップをひた走っているという。では一体なぜ、我が国はCPR普及の遅れを取り戻すだけでなく、世界をリードする立場に立てているのだろうか?


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 CPRの分野において、日本が世界に追いついてきたのは、ここ10年のことです。この間に起きたことは——


①国際標準のCPR導入と普及啓発
②厚生労働科学研究での循環器救急医療研究推進
③救急救命士の機能向上:包括指示による電気的除細動実施
④市民によるAED使用の解禁:AED設置の進展と市民のCPR実施率増加
⑤院外心停止全例登録が大阪・東京から全国規模に拡大
⑥海外研究者との連携推進


——という6つの事象です。CPR普及の点でインパクトが大きかったのは③、④です。とりわけAEDの使用及び普及に向けて大胆な法改正を行ったことで、日本は世界でも屈指の“AED大国”となっています。次に世界へのキャッチアップという点で重要だったのは、⑤の院外心停止全例登録の拡大です。


 院外心停止登録とは、文字通り「病院以外の場所で心停止となった場合、その状況を記録する」ことです。1990年、ノルウェーのウツタイン修道院で開催された国際会議において、病院外での心停止に関する定義と記録様式が提言され、世界標準の院外心停止登録様式である「ウツタイン様式」が定められました。


 これを受け日本では、1998年より大阪府で院外心停止全例登録をスタート。開始10年で約5万件のデータを記録したことで、一躍、世界最大規模の院外心停止データを有するようになりました。2005年からは全国で簡易型登録をスタートし、今では年間10万件のデータを集めるに至っています。この数字は言うまでもなく世界最大規模です。

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 このようにして世界で最も多くの心停止データを採り、調査・解析を進めた結果、1960年に確立されたCPRのあり方を変えた、大きな発見があったという。すなわち、「CPRにおいて人工呼吸が大きな意味を持ち得ない」という事実だ。


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 上図の通り、東京と大阪のウツタインデータによれば、心臓マッサージのみのCPRでも、人工呼吸と心臓マッサージを行う標準的なCPRに比べて、一ヶ月生存率が同等以上という結果が出ています。この調査結果を受け、アメリカでは2008年に、CPRのガイドラインを変更。人工呼吸と心臓マッサージを一緒に行う標準的CPRから、心臓マッサージのみの「ハンズオンリーCPR」を推奨しました。この動きは世界にも波及し、2010年、「気道確保→人工呼吸→心臓マッサージ」(ABC)という標準的CPRから、「心臓マッサージ(気道確保→人工呼吸)」(CAB)という、胸部圧迫により焦点を当てたCPRにすべき——と、ガイドラインを変更しました。1960年に確立したCPRは、日本の先進的な取り組みの結果、50年を経て改良されたということです。

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 2010年以降の新しいCPRでは、口対口の人工呼吸は必ずしも必要とされない。気道確保や人工呼吸を行う前に、何はともあれ胸骨圧迫(心臓マッサージ)をするのが先決ということ。


 具体的には、「胸骨圧迫30回→気道確保→人工呼吸(2回)」を繰り返すことになる。ただし、人工呼吸ができない(あるいはしたくない)場合には、胸骨圧迫のみでいいのだという。


 従来のCPRでは、「気道確保により人工呼吸を容易にする」「人工呼吸により肺に酸素を送り込み、血中の酸素濃度を確保する」「胸骨圧迫により心臓を中心に滞留している血液を全身に流し、酸素を含んだ血液を体内各所の臓器に送り込む」という意図から、気道確保、人工呼吸、胸骨圧迫のいずれも欠かせないものとされてきた。


 しかし、日本で得られた10万件以上の院外心停止データからわかったことは、「胸骨圧迫で外部から心臓を動かし、血液の巡りを確保するだけで、従来のCPRと同等以上の結果が出せる」ということだ。CPRが心臓マッサージだけで良いのであれば、これまで赤の他人への人工呼吸に抵抗があって、CPRをし難かった——という一般市民にも、広くCPRが普及する可能性が高いといえよう。


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ここで講演は一時中断。CPRの講習体験が始まった。使用するマネキンは以下(写真)にある通り。



 このマネキンの胸部真ん中が胸骨にあたり、ここに両手を添えてリズム良く圧迫し続けるのだが……。実際にやってみると、想像以上に力を入れる必要があって驚いた。それだけ力を入れながら100回/1分というリズム(1秒に2回をメド)で30回マッサージをする必要があることから、隣にいた小柄な女性は全身を使って一所懸命にマッサージしていた。


 もっとも、胸骨を押し込むコツを掴んでしまえば、それほど力を入れずに腕の筋肉だけでタイミングよくマッサージすることも可能だ。ただし、このコツは、一度体験しなければ掴めない類のものだけに、自治体や会社で防災訓練などがあった場合には、率先して体験してみた方が良いだろう。


 最後に、ハリウッドアクション映画における心臓マッサージ描写の誤りについて。多くの場合、両手を添えたままマッサージを行なっているが、正しいやり方は、「胸骨に当てた手を、上から組むようにして添えてマッサージする」というもの。つまり、右手を胸骨に添えたら、左手は右手の上から覆い被せるとともに、左手の指を右手の指の間に入れ、そのまま組む——という形を取ってマッサージする必要があるのだ。もし、両手を組まずにマッサージを行えば、胸骨を圧迫する力が両手の指に分散してしまい、肋骨を折る可能性が高いそうだ。(有)