スリープ&ストレスクリニック
林田健一院長
70年代のサスペンスドラマで定番だった「クロロホルムで気絶させる」と「睡眠薬を大量に飲んで自殺を図る」というシーン。今となっては、紋切り型だけで構成されている2時間ドラマでさえ見かけることがなくなってしまったが、それでもこうしたシーンから連想して、「睡眠薬ってやっぱり怖い薬なのでは?」と思っている人も多いのではないだろうか?
睡眠薬が怖い薬というのは昔の話で、現在の睡眠薬は極めて安全でかつ優れた効果を持っている。ここまでは医薬品業界にいる人であれば常識だろう。しかし、いくら使いやすく効果の高い睡眠薬といえど、全ての“不眠”に効果があるわけではない。なかには症状を悪化させてしまうケースも少なくないという。
今回取り上げるのはスリープ&ストレスクリニック・林田健一院長の講演。テーマは「睡眠薬だけでは治療できない睡眠障害」(日本ベーリンガーインゲルハイムプレスセミナー)。
睡眠に悩んでいる人は数多くいます。体力づくり事業財団・健康づくりに関する意識調査(97年)によると、全国20歳以上の3030人のうち699人が「睡眠で休養が不十分」と答えています。欧米諸国の報告では10〜40%の範囲で不眠があるとされます。いまや不眠は現代病の一つといえるまでに増えてきているといっていいでしょう。
ただ眠れない、寝付けないだけではないか? そう思われるかもしれません。しかし、睡眠障害が社会に与える影響は思いのほか深刻なものです。
86年のスペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故。89年のアラスカ沖・石油タンカーの座礁事故。03年のJR山陽新幹線の岡山駅停止事故。いずれも当事者の睡眠不足による注意力・判断力低下に伴うヒューマンエラーが引き起こしたものです。アメリカでは4000万人が不眠に悩んでいて、睡眠障害による事故がもたらす社会的損失は直接的対価だけで158億ドル、生産性低下まで含めると1500億ドル以上の損失に及ぶとされています。
昼食後、どうしようもなく眠気に襲われる。会議中、あまりの眠さに机の下で太腿を思い切りつねる……なんてことは、社会人をしばらく経験した人であれば一度は経験したことではないだろうか? このように睡眠障害にともなう社会的損失——注意不足による事故から眠気による業務効率の低下まで——は思いのほか大きいという。「だったら、睡眠薬を飲んで早めに寝たらいいのでは?」と思うところだが……。
これは医師でも誤解している人が多いのですが、「睡眠障害=不眠症」ではありません。不眠症であれば睡眠薬によって改善(コントロール)できます。しかし、睡眠障害は——症状には様々なものがありますが——睡眠薬では改善(コントロール)できないのですね。睡眠障害は大きくわけて8つに分類できます。そして、その多くは睡眠薬だけでは改善しないだけでなく、症状が悪化する可能性があり、正確な診断と適切な治療が必要になってきます。
例えば、むずむず脚症候群による睡眠障害の患者に睡眠薬を投与すると、「眠いにも関わらず脚がむずむずする」という生き地獄のような状態になってしまいます。また、SAS(睡眠時無呼吸症候群)の患者に睡眠薬を投与した場合には、いたずらに上気道閉塞、無呼吸を増やしてしまうことになるでしょう。つまり、睡眠薬を投与しても睡眠時間、睡眠の質とも向上させることができないわけです。これは他の症状でも同じように言えることです。
ここまでの話を聞くと、睡眠薬の効果に疑問を持ってしまいそうになるが、睡眠薬の本領はあくまでも「不眠症の治療」にある。
不眠の原因には“5つのP”があります。こうした原因から来る不眠症——睡眠の質が低い、なかなか寝付けないという症状——を訴える患者には、睡眠薬を使った治療も効果的な方法の一つといえるでしょう。睡眠薬に対しては、「怖い薬ではないか?」という誤解もありますが、これは昔の話です。かつての睡眠薬は、ある意味、麻酔薬に近いもので睡眠の質、耐性、安全性とも悪いものでした。睡眠薬を大量に服用して自殺するというイメージは、こうした古い睡眠薬から来るものです。
ただ、「一度飲み始めると、ずっと依存するのでは?」とか「飲み続けるとボケるのでは?」など、睡眠薬にはネガティブなイメージを持つ人もいるだろう。軽い不眠なら寝酒で対処しよう! という人も少なくないのではないだろうか?
睡眠薬を服用したからといって認知症が進行するということはありません。また、適切に使えば依存することもありません。大量に服用すると生死に関わるというのも昔の話です。そして寝酒ですが、これはハッキリいって全く意味がありません。アルコールは沈静作用がありますから、寝酒により若干寝付きが良くなることはあるでしょう。ただ、アルコールによる沈静効果が切れてしまうと、その時点で眼が覚めてしまうのですね。そうなると再び眠ることは難しいものです。仮にアルコールの耐性や依存症(副作用)のことを考慮しなくても、不眠症に寝酒は効果がないといっていいでしょう。また、OTCの睡眠導入剤もありますが、効能・効果という点では睡眠薬のレベルに達していません。短期間使ってみて不眠の改善が見られないのであれば、専門医に受診するのが安全といえます。
結局、「最近、どうにも寝つきが悪い」「なんだか昼間に強烈な眠気がくる」といった症状がある場合には、かかりつけ医を訪ねるよりも睡眠専門医を受診して、その症状、原因をもとに正しい鑑別診断を受けることが肝要といえそうだ。
最後に睡眠障害対処の12の指針(図3、図4)をご紹介します。睡眠障害の鑑別診断は長時間の検査(睡眠時の状況をモニターする必要がある)を始め、なにかと厄介なものですが、ここで根本的な原因を突き止めて正しい対処をしなければ、症状を改善することはできません。あわせて、睡眠障害を巡る医療側の受け入れ体制も見直していく必要があるでしょう。例えば、かかりつけ医に相談して不眠と分かれば精神科医を紹介したり、SASとなれば内科の専門医を紹介する——といった各科の枠を超えた医療連携を進める必要があるのではないかと考えています。(有)