国立病院機構相模原病院臨床研究センター

アレルギー性疾患研究部長

海老澤元宏氏


「食物アレルギーといっても、せいぜいじんましんと熱が出る程度では?」というのは、生まれてこのかた牛乳アレルギーを患っている筆者の認識だ。もちろん、食物アレルギーで死亡するリスクが絶無ではないこともわきまえているし、年に何度か「そばアレルギー」や「甲殻類アレルギー」による死亡事故が起きていることも知っている。しかし、こうした事例はごくごく例外的なものであって、自分には縁遠いハナシ——というのが、正直な認識だ。


 今回取材したファイザー㈱プレスセミナー「食物アレルギーとアナフィラキシー」(国立病院機構相模原病院臨床研究センターアレルギー性疾患研究部・海老澤元宏氏)は、たまたま筆者がアレルギー持ちだったので、「聞いて損はないかも」くらいの気持ちで聴講した講演だったが、その内容は実に興味深いものだった。


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 アレルギー性疾患とは、外部からの抗原に対して、体内の免疫が反応して起きるものです。今回取り上げるアナフィラキシーショックはⅠ型アレルギーと呼ばれ、口粘膜や小腸から吸収されたIgE(免疫グロブリンE)抗体が肥満細胞などに反応することで発症します。その症状は激烈で、全身性のじんましんに加え、喉頭浮腫(こうとうふしゅ)、喘鳴(ぜんめい)、ショック、下痢や腹痛などを発症します。そのまま放置しておけば死に至ることも珍しくはありません。つまり、食物アレルギーとは、同じくアナフィラキシーショックを引き起こす「スズメバチ刺傷被害」と同じくらい危険で、死ぬこともあり得る症状であるということです。

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 しかし、この事実は思いのほか周知されていないようだ。ファイザーが実施したアンケート調査によると、「食物アレルギーを持つ子どもの母親の87.6%がアナフィラキシーショックを起こす可能性が高いと思っていない」「食物アレルギーの対応として44.4%の母親は特に何もしない」「複数の臓器でアレルギー症状が出ていても、46.8%の母親がアナフィラキシーショックを疑わなかった」という。


 この調査は、食物アレルギーの子どもを持つ母親824人、食物アレルギーの子どもを持たない母親824人の計1648人を対象に、インターネットでアンケートをとったものだ。書面及び対面回答の調査とは違い、厳密な意味ので正確性には欠けるかも知れないが、それでも「世間一般の母親は、食物アレルギーを案外軽く認識しているようだ」とは言えそうだ。


 実際、「長年アレルギー持ちの大人」であり「医薬品業界で仕事をしている」という筆者にして、冒頭で開陳したお気楽で、かつ、徹頭徹尾間違った認識を持っていたのだから、食物アレルギーが思いのほか軽視されているという事実は間違っていないのだろう。


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 食物アレルギーの患者について、全年齢(約3800人)を対象に行った調査によると、原因食物では鶏卵が最も多く4割弱。次いで乳製品、小麦、甲殻類、果物と続きます。近年の傾向を見ると、鶏卵を原因とするアレルギー患者が群を抜いて多いことには変わりありませんが、乳製品、小麦、ピーナツを原因とするアレルギー患者が年を追うごとに増えてきています。


 また、食物アレルギーを巡るかつての“常識”も、いまでは“非常識”となっているものが少なからずあります。以下、6つの“常識”について見てみると——

①鶏卵アレルギーの人には鶏肉、牛乳アレルギーの人には牛肉は禁忌→誤り。鶏卵と鶏肉、乳製品と牛肉とのあいだに、アレルギーを起こす相関関係はない。
②青魚は、白身や赤身の魚に比べてアレルギーを起こしやすい→誤り。白身魚でも青魚と同じくらいアレルギーを起こす可能性がある。
③大豆アレルギーの人に大豆油を使うのは禁忌→誤り。油精製法の向上により、現在の大豆油にはアレルギーの原因となるタンパクはほとんど含まれておらず、喫食してもまず問題ない。
④大豆、小麦アレルギー患者に醤油、麦茶は禁忌→誤り。醤油や麦茶、その他大豆、小麦の含まれる調味料を喫食しても、まず問題はない。
⑤IgE抗体検査の結果により食物アレルギーの有無がわかる→誤り。IgE抗体検査の結果と食物アレルギーとのあいだに完全な相関関係はない。
⑥妊婦や授乳中の女性に対する予防的な食物除去は必要→誤り。食物除去によるQOL低下に伴い、余計なストレスを与えることのデメリットが大きすぎる。


——という、“新常識”が確立しています。こうしたことも、多くの人に知っていただきたいことです。

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「小麦アレルギー患者に麦茶は禁忌」「牛乳アレルギー患者に牛肉は禁忌」といった俗説は、筆者が小さい頃に聞いた覚えがあるが、いまでは笑い話に近いものなのかも知れない。そう思わせるほどに、食物アレルギーを巡る知見は、20年前、いや10年前と比べても大きく進歩しているといっていい。現在では、食物アレルギーによりアナフィラキシーショックに陥った場合でも、適切な対処により命を取り留める手法と、必要な製剤(パッケージ)が確立しているという。


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 まずは、アナフィラキシーショックは突然に、そして劇的に発症するものです。食後、あるいは食後の運動中、もしくは食後数時間後に、嘔吐や呼吸困難、意識障害などの症状が出た場合は、速やかに医師の診断を受ける必要があり、救急車を呼ぶべき状況といえます。


 ただし、救急車も呼んですぐに到着するわけではありません。そのあいだに、バイタルサイン(体温・血圧・脈拍・呼吸)の確認、仰臥位で下肢拳上を初めとする応急処置をとっておく必要があります。この応急処置におけるポイントとなるのが、「アドレナリンを注射する」ことです。アナフィラキシーの治療では、発症から30分以内にアドレナリンを注射して、心機能促進、血管拡張、気管支筋弛緩などを図ることにより、呼吸停止やショック死を防ぐことが求められます。


 アナフィラキシーの死亡報告例は、こちら(図1)にある通りです。


図1

 日本における死亡例(図2)は小児から高齢者、原因食物もバラバラです。いずれのケースでも発症から30分以上を経てアドレナリン投与していることがわかります。言葉を換えれば、早急にアドレナリンを投与していれば、助かった可能性も高いということです。


図2


 ファイザーの『エピペン』を始め、現代のアドレナリン製剤は、ニードルカバー付きで注射のために特別な技能を必要としないパッケージとなっています。第一義としては患者が自己注射すべきものですが、意識消失などで自己注射できない場合は、医師や看護師でない人でも代わりに注射することができます(注〜〜すでに厚労省、法務省とも法令を整備している)。つまり、小学校や保育園などで児童、小児が食物アレルギーによりアナフィラキシーに陥った場合には、教師や保育士がアドレナリンを打てるということです。


『エピペン』を例に紹介しますが、こちらhttp://epipen.jp/download/manual.pdf
にある通り、使い方はごくごく簡単なものです。すでに保険適用もされているので、こうした施設には早急にアドレナリン製剤がいつでも使える体制に整備しておく必要があるといえるでしょう。

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 アナフィラキシーショックは、突然現れるものだ。それが食事中であることもあれば、食後数時間経ってのことでもあれば、食後に運動している最中に発症——食物依存性運動誘発アナフィラキシー。食後に運動することでアナフィラキシーショックが起きる。10〜20代に多い——することもある。劇的な症状であれば、呼吸停止、心拍低下、意識消失も起きるだけに、救急車の到着を待つあいだに最善の処置を取る必要があろう。いまやアドレナリン製剤の常備は、AED(自動体外式除細動器)の設置と同じくらいに重要な施策の一つといえるのだ。


 アドレナリン製剤の配備、使用方法の啓蒙とともに、食物アレルギーの持つ恐ろしさについても広く周知する必要がある——ということを改めて思い知らされた1時間だった。(有)