咲いた桜になぜ駒とめる
 駒がいななきゃ花が散る


 江戸時代、春の花見は庶民の娯楽として大変にぎわった。上野の山、大川(隅田川)の両岸、御殿山(品川)、飛鳥山などは大勢の人が出て、花、酒、ご馳走を楽しんだ。そんな中に武士もやってきたのであろう。しかし乗ってきた馬を桜の木につないだ。なんて野暮な野郎なんだろうと詠んだ都々逸である。


「長屋の花見」という落語がある。大家さんが気を利かせて、長屋の住人の無聊(むりょう)をなぐさめようと、花見に出かけるのはいいのだが、お金がないのでお酒はお茶で、かまぼこはたくあんという趣向。蓆(むしろ)を敷いて宴会(?)を始めるのだが、一向に盛り上がらない。大家さんが周囲を気にして、賑やかに騒いでくれと催促しても、「このお酒は妙ですね。色は似ているが、なぜか茶柱が立っている」とか、「このかまぼこは噛むと音がしますね」などと、まぜつかえされるという噺(はなし)である。


「花見酒」という落語もある。花見の場所へお酒を持っていけば売れるだろうと、一儲けたくらんだ二人がいる。天秤棒に酒樽を吊るして出かけるのだが、後棒の者が酒の匂いに抗しきれず、先棒の者に「一文払うから一杯呑ませて」という。しばらく行くと今度は先棒が呑みたくなって、さきほど受け取った一文で一杯呑む。こうして交互にその一文をやったりとったりして呑んでいるうちに、花見の場所へ着いたときは、酒樽は空っぽになっていたという噺である。


 日本全国、いたるところに桜の名所や有名な桜があるが、やはり群を抜いているのは吉野であろう。上千本、中千本、下千本、そして奥千本。単純に計算すると四千本だが、じっさいには一万本を超えているといわれている。標高差で満開の時期は微妙に違っているが、桜花爛漫(おうからんまん)となれば、素晴らしい景観であろう。


君は吉野の千本桜
色香よけれど木(気)が多い


都々逸である。美人はもてると羨んでいる。こんな川柳もある。


この山は風邪をひいたかハナだらけ


見事な桜の咲きっぷりを見て、やきもちを焼いたのであろう。

ところで、二階の女が気にかかる、と桜の正字をおぼえた記憶がある。木偏(きへん)に「貝」という字が二つ並んで、その下に「女」という字がある。櫻(さくら)である。


散る桜残る桜も散る桜


良寛さんの句である。後先はあるが、桜の花はみんな散ってしまう。人の存在もそうである、という句意。種田山頭火の句もある。


さくらさくら咲くさくら散るさくら


山頭火は自由律の俳句を詠んだ。各地を旅して、流浪の俳人といわれた。

江戸時代の末期、江戸落語の開祖といわれた三笑亭可楽の辞世の句がある。


人混みを離れて見れば花静か

花静かは、「話塚」に通じる。

------------------------------------------------------------
松井 寿一(まつい じゅいち) 

 1936年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。医療ジャーナリスト。イナホ代表取締役。薬業時報社(現じほう)の記者として国会、厚生省や製薬企業などを幅広く取材。同社編集局長を経て1988年に退社。翌年、イナホを設立し、フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演などを行なうかたわら、TBSラジオ「松チャンの健康歳時記」のパーソナリティを4年間つとめるなど番組にも多数出演。日常生活における笑いの重要性を説いている。著書に「薬の社会誌」(丸善ライブラリー)、「薬の文化誌」(同)などがある。