新潟大学大学院医歯学総合研究科
呼吸循環外科学分野助教授
榛沢和彦氏

三重大学大学院医学系
病態制御医学講座
循環器・腎臓内科学講師
中村真潮氏


 東日本大震災の発生から2カ月余。被災地では、未だに避難所暮らしを強いられているが、長引く避難所生活が健康にどのような悪影響を及ぼすのかまでは、案外知られていないのではないか。今回取り上げるのは、まかり間違えば命を落としかねない“血栓”の話。テーマは「被災地における静脈血栓塞栓症の管理〜避難所生活で留意すべき疾患」(グラクソ・スミスクライン、メディアセミナー)。

 

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◆新潟大学大学院医歯学総合研究科呼吸循環外科学分野・榛沢和彦助教授

 

 深部静脈血栓(DVT)の原因は、大きく分けて3つあります。すなわち、「血流が悪くなる」「脱水症状が続く」「血管が傷つく」です。そして、これら3つの原因はいずれも避難所生活と密接に関わっています。窮屈な場所で動かずにいることで「血流が悪くなる」、水分制限され、食事の回数も少なくなることで「脱水症状が続く」、足のけがや打撲などで「血管が傷つく」——というケースが多いということです。

 

 このようにしてDVTができてしまうとどうなるのか? この血栓が大きくなり、一部がちぎれて肺にまで達すると肺塞栓症となります。肺動脈が血栓で詰まると、その先の細胞には血液が流れなくなるため、呼吸困難と全身の血管循環に支障をきたすことになり、最悪の場合は死亡します。

 

 このように致命的な結果になりかねないDVTですが、多くの場合は「ヒラメ筋静脈」——ふくらはぎの奥に流れる静脈に発生します。つまり、血栓を予防するためには、何よりもふくらはぎのケアが重要になるということです。具体的には車の中で寝泊り(車中泊)を避けることや、運動をすること、「弾性ストッキング」(足を圧迫することで静脈の血流を活性化させるストッキング)を履くことなどが薦められます。

 

 このように、避難所生活でのDVTの多発という現象は、新潟県中越地震(以下、中越地震)の際にも見られたという。榛沢助教授が調査した結果は、次のようなものだった。

 

 中越地震被災者のDVTフォローアップ検診の結果を見ると、被災地のDVT頻度(=初めて検査を受けた人におけるDVT頻度)は——

 

・震災直後:30%超

・震災1カ月後:10%程度

・震災5カ月後:20%超

・震災1年後:7.8%

 

——となっています。この数字は、新潟県と共同で行った地震対照地DVT頻度検査結果の1.8%よりも有意に高いものです。震災被災者が血栓症を患うことは明らかといえましょう。

 

 フォローアップ検診では、震災5年後の検診も行っていますが、結果はDVT頻度が5%以下にならず、脳梗塞発症者は、血栓のあった人が6倍ほど多くなっているという衝撃的なものでした。つまり、震災後の避難生活で生じた血栓症が、後々まで尾を引くということです。この結果は、震災直後の血栓症予防がいかに重要であるかを物語っているといっていいでしょう。小さな血栓であれば、「弾性ストッキング」を履き続ければ1カ月ほどで消滅する——脚部の静脈血流が活性化することで、小さな血栓が溶け、血栓が消えてしまう——ことも多いものです。


 車中泊をした人が血栓症を発症するというのは、「ようするにエコノミー症候群ってことでしょ」と腑に落ちることが多いが、避難所生活をしている人であっても同じように血栓症を発症するという事実には、ちょっと驚かされた。確かに狭く、動きづらい環境であると想像できるが、ある程度恒常的に生活する空間であることには変わりなく、車の中よりも快適であるように見えるのだが……。

 

 学校の体育館などに蒲団を敷いて雑魚寝をしている——これが日本における避難所生活の典型的な態様と思います。実は、このように避難所で雑魚寝をするスタイルを取っているのは、先進国で日本だけなんですね。アメリカもヨーロッパ各国も、避難所には必ず簡易ベッドが設えられています。「避難所=簡易ベッド」がグローバルスタンダードです。

 

 欧米における雑魚寝スタイルの最後のケースは、第二次大戦中のイギリスです。ドイツの空襲から避難すべく、イギリス政府は市民を地下鉄の構内に避難させました。そのときの避難所生活が雑魚寝スタイルでした。その結果どうなったのかといえば、避難者に肺塞栓症が続出したんですね。事態を重視したイギリス政府は、早速仮設ベッドの生産を加速させ、1年のうちに20万床の仮設ベッドを用意。その翌年にはさらに20万床を追加し、大戦中には避難を必要とする全ての市民に仮設ベッドを用意できるまでになりました。

 

 振り返って日本はどうだろうか? 報道で伝えられる避難所の生活を見る限り、震災から2カ月以上経っても簡易ベッドは導入されていないようだ。そもそも簡易ベッドを用意すべき、という声はどこからも上がって来ないのが実情だろう。そのくらい避難所生活の厳しさ、DVTの恐ろしさが認知されていないといえるのではないだろうか。大戦中のイギリス政府にできたことが、平時の日本政府にできないわけがないと思うのだが……。

 

 榛沢助教授の次に演壇に立った三重大学大学院医学系研究科病態制御医学講座循環器・腎臓内科学・中村真潮講師は、「日本における静脈血栓塞栓症治療の現状と展望」をテーマに講演。

 

・重症肺血栓塞栓症116例の診断と予後の結果から、急性期に診断が遅れた場合の生存率が32%であるのに対して、迅速診断では78%の患者が生存した。


・肺血栓塞栓症の診断にあたっては、普通の検査(スクリーニング)だけでは診断が難しい。心エコー、下肢静脈エコーなどを用いた診断が必要だが、そこまでのハードルが高い。とりわけ避難所の患者全てにこうした診断をすることは難しい。

 

・急性肺血栓塞栓症の治療にあたっては、ワルファリンを用いるが、注射薬でかつ頻繁にモニタリングする必要があるため、必ずしも使いやすい薬とはいえない。

 

・一方、フォンダパリヌクスなどの新薬は、ワルファリンよりも遥かに安定性が高く、期待通りの抗凝固効果が得られ、モニタリングする必要もない。一日1〜2回投与という簡便性も魅力的。

 

・だからこそ、診断、治療に限界のある避難所における初期治療薬としては、極めて有用と考えられる

 

 以上のように「早期診断」と「簡便な治療薬」の必要性を訴えた。避難所生活では、最低限の衣食住すら事欠くことが少なくないため、生活のQOL自体は後回しにされがちだが、こうした点に配慮しなければ、DVTを発症し、後々まで健康に悪影響を残しかねないということを知られるべきことだろう。仮設ベッド導入も喫緊の課題といえるはずだ。

 

 なお、セミナーの主催者であるグラクソ・スミスクラインは、4月13日までに抗凝固薬「アリクストラ」(一般名:フォンダパリヌクス)を被災地に1050本(薬価換算額で約400万円分)とOTCのかぜ薬、ハミガキ、歯ブラシ(約8000万円分)を寄贈。製薬協の依頼を受け各種医家向け医薬品10品目(薬価換算額で約1億7000万円分)を寄贈。義援金として日本赤十字社を通して2億円寄付したほか、毎週一回、ボランティアの社員が被災地に必要な物資を届ける「チームオレンジ」を展開しているという。(有)