——数日後、東京・六本木

 研究会が終わり、あたりも夕闇に包まれ始めた。

「これから、先生と飲みにいくから、君も来なよ」

 榊田の提案に、浜崎は喜んだ。あこがれの東京・六本木の夜。心躍らせながら、浜崎はただただ、榊田と川田を追いかけて後についていった。

 外資系メガファーマの若手ホープ榊田修と、国内中堅製薬会社の新人MR浜崎舞、そして地域の基幹病院のKOL、川田。奇妙な組み合わせの3人で高級なすし屋に入った。寿司屋では、榊田は一生懸命、話を盛り上げたが、浜崎は頷くだけで、高級な寿司を食べまくり、自分から話をふることは終始なかった。榊田にとっては予想通りの展開であったのだが、同時に、今日ここでとりあえず、浜崎に川田先生とのコネクションを作ってあげれば、次回から病院を回っているときに、これ以上つきまとわれないで済むという期待があった。そんなわけで、コミュニケーションのとれない浜崎に対しても、榊田はイラつきをある程度抑えることができた。

「榊田君、行こうか」

「はい、先生、そうですね」

 食事を終えると、川田が、榊田を誘った。

「浜崎さん、今日はどうも、お忙しいところありがとうございました。僕は先生とちょっとこの後行きますので、ここで失礼します」

 榊田は浜崎に丁寧にそう言うと、さっと振り返り、川田と歩き始めた。

 それは、浜崎にとって予想できない展開だった。寿司屋を出たところで置いてけぼり。榊田と川田先生がどんどん離れていく。何のために東京まで来たんだろう。あのうるさい上司になんて報告すれば良いだろう。浜崎は焦った。そして気がつくと、川田と榊田の後を追い始めていた。

「あれ、浜崎さん、なに?」

 背後に近づく浜崎に榊田は冷たく言い放った。あっちに行けよ、と言わんばかりの口調である。ただでさえ、さっきの寿司屋でイライラが募っていた榊田だ。さらに冷たく何かを言おうとしたとき、川田が言った。

「榊田くん、まあ、良いじゃないか。別に。良いんだろ? 彼女も一緒でも・・・・」

「え!? いや、でも先生、彼女は・・・・」

——六本木・某所

 地下へ続く雑居ビルの階段を下りると、分厚い黒い鉄のドアがそこにあった。榊田は浜崎の顔を訝しげにのぞく。そこは、六本木の通りの喧噪とは遠く、暗闇と静寂と、ひんやりとした空気が支配していた。浜崎のことが気になるが、榊田は意を決し、深淵に沈む、暗黒のドアのごっつい取っ手に手をかけた。

 重たいドアが開く。

 そのとき、浜崎の視界、思考、会話、呼吸、その他全てのバイタルサインは、ドアの向こうから降り注ぐフラッシュと、耳をつんざくDJの音により、一瞬にして遮られた。

 フラッシュの中で、誰か、とてもきれいな女の人が踊っている。

 浜崎は見た——川田が黒い紐のような細いブラジャーをしたダンサーのパンツと日焼けした尻の間に、細く折り畳んだ一万円札を挟んだのを。

 浜崎は見た——フラッシュの向こうで細く艶やかな身体をくねらせてポールに絡み付いているダンサーが、大音響に合わせて踊りながら川田に近づき、お返しの熱いキスをしたのを。

 榊田は気まずくなる。浜崎の口は開いたまま、目も、瞳孔が開き、微動だにしない。まばたきも息もしていないように思えた。浜崎の中で、何か、奥にあるヒューズのようなものが飛んだ。中学のときから勉強一筋、大学で分子標的の抗がん剤を勉強してきた事、上司の事、彼女の全てがこの数秒のあいだに一気に、激しく、どこかに吹っ飛んだ。

 ここは、六本木のポールダンスバー。榊田と川田がもう何年も通っている店である。浜崎はとうとう最後まで一言も口も聞けず、一滴もお酒も飲めず、腰を抜かし、妖艶なダンサーの踊りをただジーッと見つめていた。

—数日後

「こんにちはぁ〜」

 いつもの病院を訪問すると、榊田の目の前には、また浜崎がいた。もう川田先生とのつなぎ役は済んだはずだと思いながら。

「あ、どうも」

 と応える榊田は少し驚いた。化粧をしているからだ。しかも、髪型もショートカットになっていた。服もどことなく今時に。いや、間違いなく、何か激変している。軽く会釈して通り過ぎたが、浜崎がついてくる。

「あの、もう、いいだろ。川田先生のところ、もう、勝手に行けるだろ」

 榊田は、つけてくる浜崎を邪険に応対する。

「今度、いつ行くんですか??」

 行くって、どこに?と榊田が聞き返す。

「あの、ポールダンスバー、今度いつ行くんですか? 絶対教えてください。また行きたいです。とてもとても感動しました。今まで生きてきた中で、一番感動しました。今度、いつ行くんですか?」

「はぁ??」

 おかしい、まったく、おかしい。なんで浜崎が男の喜ぶような店に行きたがるのか、理解できなかった。


「今度、いつですか? ・・・行くの」

わからない、とだけ言って、榊田はその場を去った。


——数日後、病院内、医局の川田の部屋。

 榊田は、いつも通り川田の部屋のドアをノックして、そのまま入ろうとした。ノックは形式で、榊田はいつもそのままの勢いで部屋に入っていく。


 そんな行動を数あるMRの中でも、榊田だけは許されていた。これも、川田との関係構築に成功した賜物である。

 部屋に一歩入って、足を止めた。そこには既に浜崎が居た。

「あ、すみません。」

 榊田は外に出る。浜崎は川田になにか文献を見せながら、話しているように見えた。当然、他社の邪魔はできない。ドアの外で待つことにした。 


 ところが、10分経っても浜崎は川田の部屋から出てこない。 特段用事がなければ、そのまま去ってもよいところであるが、その日に限っては添付文書の改訂の件など、川田と会う必要があった。榊田は軽く舌打ちをして、もう少し待つことにした。


 ところが、浜崎は、15分経っても部屋から出てこなかった。


 しびれを切らした榊田が、ノックをしようとしたとき、ドアが開いた。

 中から顔を出した浜崎が

「川田先生ですけど、少しなら話して良いっていってますよ」

 榊田は仰天した。なんでいちいち浜崎との合間に川田に会わなければ行けないのか。自分の得意な先生なのに。理解に苦しみながらも、川田の部屋に入った。ところが、浜崎は外に出て行かない。不思議に思っていると

「榊田君、ちょっと来て」

 川田が声をかけた。浜崎もいる。

「榊田君、内緒だよ。絶対。こんなの院内で見てるのバレたら、ヤバいから。わかった?」

 榊田が頷いたが、そんな秘密の会話を浜崎に聞かれてもよいのだろうかと思った。

「あ、浜崎さん、ちょっと僕先生と話が・・・・」

 浜崎をドアの外に出させようとした榊田を、川田が制した。

「あ、まあ、いいんだよ。彼女も居て・・・」

「ところで、これ、榊田君ならどれが良い?」

 川田はこう言い続け、今まで浜崎と一緒に見ていた文献を榊田に見せた。榊田は唖然とした。医学の文献かと思っていたが、それはアメリカの有名な下着、コスチュームのカタログだったのだ。

「彼女が、通販で輸入したいらしいんだ。どれが良いか、聞かれちゃって、ねえ、そうだよね、浜崎さん」

 川田先生の問いかけに、浜崎は紅潮して頷いた。しかもメイクもばっちり決めて、服もいけている。 イメチェンとは、こういうことか? 榊田は思った。

「榊田さん、私、ポールダンス始めたいんです。コスチューム、どれが良いか、先生に聞いているところです」

 お前は、ばかか!? 浜崎の発言に、榊田は叫びそうになったが、先生は楽しそうにしている。

「今度、私のダンス、見てもらえますか? 明日、私の家に先生が見えて、ダンスを見てもらうんです」

 このとき、川田が正気を失っていることに榊田は気づいた。榊田は川田と浜崎に丁重に断り、その場を去った。

——後日、榊田が勤める製薬会社の支店

「はい、はい、あ、そうですか、はい、ああわかりました。今日午後ですね、4時・・・・」

 支店長が電話を切るや否や、榊田が呼ばれた。

「いま、お前の担当している病院の院長先生から電話があったよ。お前、川田先生と仲良いよな」

「ええ、まあ。で、川田先生がなにか?」

「クビになったらしいよ。で、ちょっと君に聞きたいことがあるって。。。」

 榊田は驚きで絶叫しそうになった。院長は榊田に川田とのことについて、聞き取り調査をしたいとのことである。何があったんだろう。 おそらく、あの馬鹿女だろうな・・・・・・。色々バレちゃったんだろうな・・・。それか、川田先生も、間違いを起こしちゃったのかな・・・・。

 数秒の間に走馬灯のように色々な可能性が榊田の頭の中をぐるぐる回る。院長のところに同行しようかと、気遣う支店長に、榊田は大丈夫であることを告げ、独り病院へと向かった。

 院長との面談はあっけないものだった。最近、川田先生との間で変なことはなかったか?という問い合わせだった。もちろん、榊田はすべてを伏せた。

「特に、かわったことはありませんでした。」

 院長に言い残し、院長室を出た。嘘といえば嘘である。基幹病院の院長に対して虚言・・・・。

 なにか、とてつもないことをしてしまったような恐怖感と、良心の呵責のようなものが榊田を支配した。病院を出るまで、なるべく誰にも会わないように、人通りの少ないルートを通った。だれにも会いたくなかった。

 榊田は、この後、この病院に一切足を踏み入れなかった。川田、浜崎とも一切の連絡を絶った。

 会社側に強い要望を出し、ちょうど5年たっていたこともあり、すんなりと転勤が決まった。川田に別れの挨拶も、伝言も、手紙も出さずに、榊田はこの5年間過ごした地方都市を後にした。

 あれから、20年が経った。川田の実家は開業医であることを、榊田はもちろん知っていた。そして、後を継いでいることも風の噂で知っていた。


★★★★★


 榊田が若手のときに評価されたのは、川田のおかげであることは間違いはなかった。色々あったが、川田には感謝しなければならないと、この20年、心のどこかにいつも引っかかっていた。20年間、もちろん、川田とは話していないし、この出来事を誰にも言っていない。封印とはこういうことを言うのかな。榊田は思った。


 昔のことを振り返っているうちに、いつの間にか住宅地と市街地を結ぶ大通りに出ていた。射し込む西日を眩しく感じながら、榊田は、すっかり冷たくなった空気を一杯に吸い込んだ。

「あの人・・・奥さん・・・・浜崎舞だよな。間違いない・・・・へええ」

「今度、川田先生と、奥さんを忘年会に誘ってみようかな・・・・」

 なんだか爽やかな気分になった。榊田は笑顔で、タクシーに大きく手をあげた。(かつしかニューヨーク)


*「小説MR榊田」は、事実を基にして書いた小説です。作中に出てくる個人名、施設名や地名などの固有名詞は架空のものです。また、現在のMRの営業活動の実態とは違うことが多々あります。昔はこんなことがあったな、あったんだな、とお読みください。