富山大学附属病院長
小林正氏


 当欄で幾度も取り上げている糖尿病。今回は、その怖さや治療ではなく「経済」という側面から糖尿病を取り上げた富山大学理事・副学長・付属病院長の小林正氏の講演を紹介したい。

 

 テーマは「もし治療しなければどうなる?——日本の糖尿病治療の現状と治療の遅れによる社会的負担」(ノボノルディスクファーマ糖尿病プレスセミナーより)。

 

 糖尿病は、病状が深刻になり手遅れになってしまうまで症状が出てこない “サイレントキラー”です。そのためか、糖尿病と診断されても治療を受けない人が極めて多いのですね。医療機関で治療を受けていない糖尿病患者は97年で50%弱、02年でも40%強に及びます。このように治療を受けず糖尿病を放置しておけば、深刻な合併症が出てくることでしょう。彼らをいかにして医療機関に向かわせるか? ということは非常に重要な問題といえます。

 

「お腹が痛い」「喉が痛い」と症状が明らかであれば、その病気が下痢や風邪であっても多くの人は治療の努力(病院に行く、市販薬を飲む、養生するなど)をするものだろう。しかし、下痢や風邪よりも遥かに深刻な糖尿病は、正真正銘の無症状であるため、検査などで病状が明らかであっても「症状が出てないし、まぁいいか」と治療の努力をしない(病院に行かない、食事や運動にも配慮しないなど)ということなのだろうか? それにしても糖尿病患者の半数が医療機関で治療していないとは……。

 

 糖尿病を放置する、あるいは治療を中断することが、どれだけ危険なことなのか? これから3タイプの患者を例にあげてご紹介しましょう。

 

 日本人で46歳になる男性3人が健康診断を受け、「糖尿病の疑いがあります。かかりつけの病院で受診してください」と、同じ診断を受けた想定です。


 このうち一人は病院に行き、治療を受けます。これをAさんとしましょう。


 もう一人も病院に行き、治療を受けます。これをBさんとしましょう。


 最後の一人は病院に行かず、治療をしませんでした。これをCさんとしましょう。


 さて、Aさんはその後も治療を続けました。初めのは食事や運動療法だけでしたが、加齢に伴って経口血糖下降薬を服用。晩年にはインスリン投与をすることになりました。

 

 一方、Bさんは初めの頃こそ食事・運動療法を続けていたものの、根気がなかったのか断念。多忙もあってか、その後もたびたび治療を中断しました。インスリン投与にしても1日2回注射しなければならないところ、1回で済ませることもあったりするなど、コンプライアンスも手ってしていませんでした。

 

 病院に行かず治療もしなかったCさんは、晩年になって深刻な症状があらわれ、最後にはハードな治療を受けざるを得なくなりました。

 

 こんな想定で語られた三者三様の糖尿病患者の生き様。その後はどう展開していったのだろうか?

 

 3人の合併症——特に眼病変と腎臓病——について見ていきましょう。

 

 Aさんは眼病変、腎臓病とも早期で済んでいます。眼科は年1回の受診で済み合併症はなし。腎機能障害こそ出てきたものの薬物療法で対処できています。


 Bさんは眼病変が中等度まで進展、腎臓病も中期まで悪化しました。視力障害が出ているため眼科受診は年3回で、レーザー治療も行っています。腎臓病は薬物療法により対処しています。


 Cさんは眼病変、腎臓病とも末期。霧視と視力低下による重度な視力障害と、腎不全に悩まされています。年数回眼科を受診してレーザー治療を行うとともに、晩年の8年間は人工透析治療を余儀なくされました。

 

 ここで話は、焦点となる「生涯医療費の違い」へと転回する。46歳の健康診断からAさん80歳、Bさん79歳、Cさん77歳(それぞれ病状の違いにより死亡年齢が違ってくると想定)までの30余年に掛かった費用は、Aさんが850万円、Bさんが960万円となっているのに対して、Cさんは4540万円もの生涯負担となるという。

 

 Bさんの費用については純粋に糖尿病治療に掛かった費用をシミュレートしたものです。恐らくは高血圧、高脂血症への対処も必要になるでしょうから、この費用はもっと掛かる……この数字の倍くらいになる可能性もあります。Cさんの費用はAさんの5倍に及びますが、この多くは透析に掛かる費用です。年間400万円の負担は極めて重いものといっていいでしょう。このように糖尿病にかかる費用は「合併症が伴うと非常に高くなる」わけです。

 

 では、日本における糖尿病治療の現状はどうなっているのか?


 現在、日本の糖尿病患者は820万人と推定されています。一方、境界型糖尿病の方は1050万人ほどいるとされ、このうち年間21万〜105万人ほどが糖尿病に“悪化”しているとされます。

 

 820万人の糖尿病患者のうち治療を受けている患者は半数の410万人で、このうちしっかりと治療できているのは141万人とされます。つまり、糖尿病患者全体の18%に過ぎないのです。一方、治療していない患者(410万人)としっかり治療できていない患者(269万人)は679万人。全体の82%が合併症に悩まされる可能性があるということです。

 

 前述の例で言えば、Aさんは18%に過ぎず、Bさんが32%、Cさんが50%というのが日本の糖尿病治療の現状というわけだ。糖尿病になって放置しておくと、その治療費は文字通り桁違いに増えるという今回の話はかなり衝撃的なものといえよう。

 

 この状況を打開するためにはどうすればいいのか?

 

 結局のところは政府が旗振り役となって適切な医療費を支出するとともに、大規模研究や実効的な大規模啓発キャンペーンを推進するとともに、医療、教育の現場においても食育や保健教育を積極的に推進する——という、良くも悪くも“正攻法”で行くしかないという。

 

 失明、透析、下肢切断……といった直接的な恐怖だけでなく、お金が掛かるという面からも怖い糖尿病。すでにメタボ気味の人にとっては、ありきたりのことだが、一刻も早く健康診断を受け、「糖尿病かもしれない……」ということが分かった時点で早め早めに治療するところからスタートするのが肝要なのだろう。(有)