京都府立医科大学 眼科学教室
教授
木下茂氏


 右を向けばエイ、左を向けばタイ、そして見あげればサメ……。何を言っているのかというと、3月某日に開催されたプレスセミナー(大塚製薬主催)の会場の光景のことだ。

 セミナーの会場は『エプソン品川アクアスタジアム』という施設。「水族館といえば葛西臨海公園と池袋サンシャイン!」という、お上りさん丸出しの筆者にしてみれば、品川駅の目の前、プリンスホテルに囲まれたショッピングモールの隣に、こんな立派な水族館——念のために書いておくと、『しながわ水族館』とは全く別の施設——があったこと自体驚きなのだが、もっと凄いのがその設備。半円筒形の水槽に囲まれたプレス会場を目にしたときは、「記者生活20余年、こんな記者会見場など見たこともない!」と、ど根性ガエルの町田先生のように仰天してしまった。


 さて、この驚くべき会場で行われたセミナーのテーマは、『ドライアイの本質と最新治療』。京都府立医科大学眼科学教室の木下茂教授が、ドライアイ治療の現状について語った。


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 水棲動物が陸棲動物へと進化していくなかでは、足が生える、鰓(えら)がなくなるといった身体機能の大きな変化がありました。体表に皮膚ができたことも、陸棲動物へと進化するなかで身体機能が変化したことの一つです。体表を角化した皮膚で覆うことで、水分の蒸発を防ぎ、陸上で活動できるように進化した——というわけですが、実は陸棲動物の体表のうち、粘膜で覆われている部分が一つだけあります。それが目なんですね。


 哺乳類の目は、粘膜と涙液で覆われています。階層的に見ると、「角膜→粘膜→涙液」となり、つまるところ「レンズを粘膜が覆い、その上に涙を敷き詰めている」ようになっています。この目は、感覚器(五感)のなかでは最も酷使されているもので、体外からの情報のうち視覚は9割弱を処理しています。そして、これだけ酷使されるからこそ、目には常に大きな負担がかかっています。


 パソコンに向かって目を酷使する。コンタクトレンズを使用する。エアコンの送風で目が乾燥する——私たちの世界では「3つのコン」と呼んでいますが、今回のテーマであるドライアイは、こうした様々な要因が複合的に関係することで発症する多因子疾患なのです。

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 ドライアイの患者について、企業就労者の眼検診結果調査(対象人数1025名)によると、ドライアイ患者の比率は、男性で22%、女性で41%と女性が多く、コンタクトレンズの非使用者で27%、使用者で41%とコンタクトレンズ使用者に多いことが明らかになっている。また、ドライアイは加齢によってリスクが高まるもので、全患者のうち30代以上の患者が8割を占め、その比率も加齢に伴い高まることが確認されている。


 さて、ドライアイとは、その名のごとく「目が乾く病気」と思っている人が多いのではないだろうか?


 その答えは「YesでもありNoでもある」となる。つまり、「目が乾く病気」であることは確かだが、それだけの病気ではないということだ。


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 1995年、米国国立眼研究所(NEI)のドライアイワークショップ(1995 NEI workshop on Dry Eye)で定められたドライアイの概念は、「涙の不足」。すなわち、「目が乾く病気」と考えられていました。しかし、その後研究が進むにつれて「涙の量と質の異常」へと変遷し、「2006 年ドライアイ診断基準」(ドライアイ研究会)では、「ドライアイとは、様々な要因による涙液及び角結膜上皮の慢性疾患であり、眼不快感や視機能異常を伴う」と定義されました。今日においてドライアイとは、「涙と粘膜の疾患」であると考えられているわけです。


 では、ドライアイによって目と粘膜、涙にどのような変化が起きるのでしょうか?


 正常な目の表面は、前述の通り「角膜→粘膜→涙液」という順番で、粘膜と涙が角膜の表面を覆い、これを保護しています。粘膜、涙の層は一定の厚さで均等に覆っていることから、どの角度からもキレイに光が入り、まぶたと角膜とのあいだの摩擦も極めて少なく、目に違和感を感じることはありません。


 しかし、ドライアイでは、粘膜、涙とも不足してしまい、角膜の表面を覆う粘膜、涙の層が付近等になってしまいます。つまり、目の表面が凸凹になってしまうということで、その結果、光は正しく目に入らくなってしまい「ものが見えにくい」「ものが霞んで見える」という症状が出てきます。加えて目の表面が凸凹であることから、まぶたと角膜とのあいだの摩擦により、目に違和感を感じることも多くなってくるということです。

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 この目における粘膜と涙の凸凹状態を、靴における靴底と中敷きに喩(たと)えるなら、「中敷きに穴が空いただけでなく、靴底にも穴が空いてしまい、歩くたびに足が痛くなる」ようなものだろうか。


 これまでのドライアイ治療は、「点眼治療」と「涙点閉鎖」が主流で、いずれも「点眼により水分を補給する」「涙の出口を塞ぐことで鼻に流れる涙を止め、その分、目への涙の量を増やして水分を補給する」というものだった。靴の喩えでいえば、「中敷きを入れ替えることで、靴を直す」となるだろう。


 しかし、靴底に穴が空いていては、すぐに中敷きもダメになってしまうように、ドライアイ治療にあたっても、「涙」だけではなく「粘膜」をどうにかしなければ効果的に治療できないといえよう。


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 ドライアイ治療のために目の粘膜を治療して、目の凸凹状態を均(なら)す——。このコンセプトの下に開発されたのが、胃腸薬から転用された新薬です。


 この新薬は、元々胃の粘膜を保護・修復する効果を持つ胃腸薬でした。この薬効に注目して、「胃の粘膜を修復できるのであれば、目の粘膜も修復できるのではないか?」と考え、数多くの胃腸薬を動物実験で選り抜き、長期臨床試験を経て効果が実証されたのが、現在、大塚製薬より上市されている新たな点眼薬です。


 この新薬は、世界で初めて「目の粘膜に効果のある治療薬」でもあります。現在、アメリカを初め各国で臨床試験が行われているところですから、現時点において日本は、ドライアイ治療の世界最先端を突っ走っているといえましょう。

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 巨大なエイと群れる魚に見守られながら行われたプレスセミナーは、「日本がドライアイ治療の最先端国である」という、意外ながらも頼もしい結論で終了した。人工涙液、ヒアルロン酸の点眼薬から、涙液の分泌促進剤、そして新薬である粘膜治療薬——と、ドライアイを巡る治療薬の進化は、ここにきて加速しつつあるようだ。


 パソコン、コンタクトレンズ、エアコンだけでなく、加齢、車の運転、読書……etcなど、ドライアイの原因となる因子は数多くある。現代人にとってドライアイは「避け得ない疾患」ともいえよう。今回上市された粘膜治療薬が、ドライアイ治療の決定打となるのか? それとも近い将来、さらに強力な治療薬が台頭してくるのか? 青い水槽で気持よく泳ぐサメの行方とともに、眼科治療の将来が気になるセミナーだった。(有)