300年間売れ続けている超ベストセラー 〜元祖・健康本「養生訓」〜
2013.05.24


日本医史学会
理事長
酒井シヅさん


 著者は福岡藩の医師であり、儒者でもある貝原益軒。


 1713年、84歳のときに自らが実践し続けてきた健康法を全6巻にまとめたものが、現代の“健康本”の先駆けともいえる「養生訓」だ。


「養生訓」というベストセラーを刊行し、大衆に支持される健康法を広めた“カリスマ医師”ともいえる益軒は、幼少の頃は虚弱体質で頭を悩ませていたそうだ。ところが、自らが編み出した養生法で体質改善につとめた結果、人生50年と言われていた江戸時代において大病を患ったりボケたりすることなく85歳まで長生きをした。特に晩年は、若い頃から実践し続けていたこの養生生活のおかげで、誰もが羨むようなおだやかで幸福な余生を送ったという。


 この医師自らが考案・実践した、晩年を自分らしく過ごすためのノウハウを詰め込んだ「養生訓」のエッセンスを分かりやすく解説してくれる講演会があるというので、取材に行ってきた。


 300年間日本人を惹きつけてやまない益軒が説く養生のポイントをいくつかご紹介したい。


◇◇◇


江戸時代から現代に受け継がれている「養生訓」の教え


「養生」という言葉を聞くと、現代人の私たちは病気やけがをしたあとの保養をイメージするかもしれない。しかし、江戸時代においては、それに加えて晩年の幸福のために若い頃からいかに過ごすかという生き方も「養生」に含まれていた。


「江戸時代の人たちは、若い頃に一生懸命働き、隠居をして世俗の仕事からときはなたれた晩年において心安らかに過ごすことを幸福と考えていました。つまり、人間の幸福は晩年にはじめて訪れるものだったのです」


「江戸時代の養生訓」と題した本講演で講師をつとめた酒井シヅ氏は言う。


 つまり、「養生」とは体の衰えや不良を感じてから慌てて行うものではなく、実り豊かな老後のために普段からコツコツと実践するものなのである。そして、そのための方法を詰め込んだものが「養生訓」なのだ。


 養生訓では養生の基本について、次のように述べている。


「“食欲”に代表される“内欲”つまり、人間の三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲と、風・寒・暑・湿の“外邪”を遠ざけ、自分の体をよく養い、痛めないようにすること。噛み砕いていうならば、おいしいものをお腹いっぱい食べたいといった日々の小さな欲を遠ざけ、人間が生まれながらに備えている“元気”を損なわないように、あるいは“元気”が減った場合にはそれを養い、病気にならないよう予防に努めることです」


 養生訓には、こうした生活を実践するためのノウハウが細部に至るまできめ細やかに記されていると酒井氏は言う。


「例えば食事についてですと、ご飯の炊き方や冷たいもの熱いものの摂取の仕方、弱っているときに食べると良いもの、老人と子供に適した食事のことなど、私たちが日常生活で遭遇する様々な場面における具体的な教えが、誰が読んでも分かりやすいように、また、すぐに実践できるよう詳細に示されているのです」


「養生訓」を紐解けば、自分や家族の体を健やかに保つための方法を知ることが出来るというわけだ。


 養生訓が優れているのは、平易な言葉で書き記すことによって、江戸庶民の健康に寄与しただけではなく、われわれが今読んでも古さを感じずに共感し、実践できる教えが多く含まれることも挙げられるのではないだろうか。


「現代の長命な人の食生活や暮らし方を見てみると、 “食事は腹七分から八分にとどめる”“夕食は朝食よりも消化しにくいので少なめにする”といった養生訓の教えがそこかしこに息づいています。これは、益軒の養生法が血となり肉となり、知らずのうちに私たち日本人の身に沁み込んでいるからではないでしょうか」


 300年の時を経て、現代に至るまで読み継がれている「養生訓」。益軒の教えは、私たち日本人の健康観としてしっかり根付いているようだ。


体のことは病院任せの現代人に対する警鐘—300年前から予防医学とセルフメディケーションの大切さを説いていた養生訓—


 益軒は養生訓の中で、病気にならないことが養生の道の大前提であるとしているが、万が一病気になったときについては、次のように記している。


「むやみに薬や鍼灸を用いないこととしています。病の中には薬を飲まなくても自然と治る病が多く、人は養生をしていれば薬の力に頼らなくても自分の力で病を癒やす力をもっているからです」


 養生訓のこの教えについて、酒井氏は、


「現代の医療の在り方に対する警告のようにも思えます」


 と言う。


 たとえば、風邪をひいたときのことを思いだしてほしい。数種類の薬を調剤してもらったとする。元来が健康な人であれば、風邪は1週間も安静にすれば癒えるはずだが、現代人である私たちは、病院に行き、処方してもらった薬を飲んだから治ったと思いがちだ。しかし、薬の助けを借りなくても、仕事を早く切り上げたり、温かくして栄養のあるものを食べるといった“養生”を心がけることで、人は自然に自分の力で体を癒やすことが出来るのではないだろうか。


「養生の基本は、先にも述べましたように自分の体を慈しみ、病気を予防することです。もし病気になっても、医者にかからず、まずはセルフメディケーションを試みるということが大切だと益軒は私たちに教えてくれています。人は本来その力を持っているのですから」


 現在、私たちは誰もが等しく医師の診察を受けられるようになった。しかも費用の一部は国が負担してくれる。その気軽さのせいか、いつしか私たちは、ちょっとした不調でもまずは病院にかかるようになった。
医師や薬剤師が言うままに治療を受け、薬を飲み、「体のことは病院任せ」になってしまった。


 自分の体と健康は医療従事者のものではなく、自分自身のものである。
自分の健康を自らの手で保つための知恵が詰め込まれた「養生訓」が胸に響くのは、自分の体のことを人任せにしている現状に対し、心のどこかで居心地の悪さを感じているせいではないだろうか。(育)

■日本薬史学会 2013年度公開講演会

日時:2013420日(土)
開催場所:東京大学薬学系総合研究棟2階講堂
主催:日本薬史学会